あと一ヶ月もしないうちに掛川のまちは祭りムードに包まれる。他の地域と同様に、近年では祭りへの興味が薄い人が増えてきているらしい。それでも地元の人たちは高揚感に包まれ、今から祭りへの気持ちを高めている。もう、とっくにいろんな準備が始まっているのだ。
祭りへの情熱は個人差がある。妹や弟はぼくよりもずっと祭りに対する思いが強く、祭り当日になればひとりで店番をするのも毎年のことである。地元の仲間達は店を閉めて参加すれば良いというのだけれど、郊外の店は観光客の受け皿になるので全く営業しないというわけにも行かない。なにしろ、中心市街地の個人経営の飲食店はほとんどが営業しないのだ。
掛川祭は、山車を引き回す参加型の祭り。各自治区ごとのまとまりがあって、その単位を町内と認識する。住所の町名が一緒でも、祭りの集団が違えば別の町というのがぼくらの感覚。祭りは町内の人達が運営をするわけだけれど、それにも役割分担がある。年齢区分があって、上から大老、中老、青年。その中に、総務だとか会計係だとか外交係といったいろんな仕事が振り分けられるわけだ。ぼくなんかは、当日の参加時間が少ないものだから、誰でも出来て補完が効く役職しか割り当てられない。いてもいなくても困らない充て職だ。
他の祭りがどうかわからないけれど、わが町では祭りは青年が中心となる。青年総務といえば、あらゆる業務を統括する総指揮官となる。総理大臣みたいなものだ。かなり大変な役割ではあるのだけれど、同時に花形でもある。同世代で構成された青年衆は、与えられた役割をこなしながら総務をもり立てていく。
祭りの主役は子どもたちという意識はあるのだけれど、主体者ではない。次世代のためにも子どもたちが参加したいと思えるような環境を作って、楽しくコミュニケーションが成り立つようにしていく。彼らが後の時代の主体者となって祭りを運営することになるのだ。幼少期の感覚記憶は大きい。
祭りの仕組みは、とてもおもしろい。社会の構造として、とても参考にするべき点が多いと思うのだ。
青年を卒業して中老になると、当たり前だが中老初心者になる。まず、これがいい。ずっとステップアップしていくのではなくて、ちゃんと初心者からやり直すことが出来る。案外、現代社会ではこういう仕組みが少ないのじゃないだろうか。
それから、中老は主に青年のサポート役になる。もう、そういうものだと体中に刷り込まれているから、中老が出しゃばったりすることはない。青年衆が思いっきり活躍できるように、割と地味な役割を受け持ったりしている。そして、時々後輩たちの愚痴を聞いたり、相談に乗ったりしている。時々、酒の勢いで説教する人もいるけれど、それも祭りの運営に関することなので、あまり嫌な気がしないというのも良い。情熱があるから、言い合いになっても平気なんだろう。
大老ともなると、もうほとんどやることがない。と、思う。ぼくはまだその年齢になるまで時間があるので、あまり良く見えていないのだ。割と自由にまつりを楽しんでいて、子どもの面倒を見たり、会所(町の本拠)に他町がやってくるときの接待係になったり、時々は愚痴を受け止めてくれたり。なんだか、「ご隠居さん」ぽいスタンスではある。
自分たちが通ってきた道だからか、必ず青年が主役になるという仕組みに違和感がない。むしろ、「青年衆!元気がないぞ。」と叱咤激励するくらいだ。あまり安全策ばかりで逃げの体制を取っていると、「ホントはどうしたいんだ?」と言われることがある。「じゃあ、そこは中老でカバーするからやってみろ」と。
一度組織のトップというか指揮者になったあとには、一般業務に戻る。これ、個人的にも理想なのだ。社長の次は会長になるのではなく、一般社員になりたい。一人の職人として従事するとか、頼まれごとを一生懸命一兵卒として頑張るのが良い。雑用から経営判断まで一通りのことをわかっている人が次世代の社長の部下になる。そういう人がいい感じで心地よく収まってくれたら、こんなんに心強い社員はいないんじゃないかな。
今日も読んでいただきありがとうございます。こういう仕組みって、祭りに適応して作られてきたのかな。自然にそうなったかもしれないし、誰かが考えたのかもしれない。とも思うんだけど、どちらかというと、昔はそういう社会だったんんじゃないかな。大老、中老、青年というのがしっくりくるような社会構造。それが「祭り」という行事にフレームとして残り続けている、と。なんにしても、良い体験になることは間違いないと思う。