お祝いに相応しい食べ物といえば、何を思い浮かべるだろう。赤飯やエビや昆布、豆などを思い浮かべる人もいるかも知れないけれど、やっぱり「鯛」が代表格になるだろうか。日本では、ずいぶんと古い時代から「祝魚=鯛」とされてきた。
なぜだろう。どんな経緯があったのだろう。
明確な根拠があるわけでもないので、様々な歴史的事象を引き並べて、その物語を紡ぎ出してみたい。それなりに資料には当たったけれど、かなり多くの部分で推測が含まれている。ということで、ここから先は「個人的な仮説」と思って読み進めていただければと思っている。
ハレの日のご馳走
万葉集に「鯛」が読まれた歌がある。
“醤酢に、蒜搗き合てて鯛願ふ、われにな見えそ、水葱の羹”(ひしおすに、ひるつきかててたいねがう、われになみえそ、なぎのあつもの)
ざっくり現代感覚に直してみると、こんな感じになるかな。
「ニンニク入りの酢醤油で鯛を食べたいと思っているのに、眼の前にあるのは野草のスープ。そんなの見せないで」
鯛を食べたいという気持ちが謳われていておもしろい。飛鳥時代には「鯛を食べたい」と思われていて、それが贅沢品だったということだろう
この時代。鯛がご馳走、贅沢な食べ物、ではあったようだ。けれども、祝魚と呼べるほどの存在だとは言い切れない。ハレの日の定番になってこそ祝魚と言えるだろう。
この歌の作者は長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)という人物。渡来系で朝廷に務める官人らしい。天皇の行幸に携わったとされているから、飛鳥地方以外の食べ物を食べたことがあるのだろう。都で鯛が流通していたのかについては明確な資料を見つけられなかったが、たぶん難しかったと思う。海から遠いからだ。仮に届けられたとしても、干物などに加工されていただろう。
時代は下るけれど、税(庸調)のなかに海産物があったな。たしか、鯛もその中に含まれていたはずだ。ただ、口にできるのは殿上人だし、水で戻して煮炊きした料理だ。そう考えると、海辺の地域を訪れたときに「天皇御一行」のために供された食事に「新鮮な鯛」があって、それを食べたら「めちゃくちゃ美味しかった!」、という感動があったのだろうな。
とにかく「旨い」というのは、食材の価値が高くなる最大の理由だ。これまで色々な食文化を勉強してきたけれど、結局「旨い」が最強なのだ。
ただ、それだけで「祝魚」になるとは考えにくい。他にも、理由なり物語があると考えたほうが自然ではないだろうか。つまり、意味性が付与される流れがあったのではないか、ということだ。
漁獲できるけれど手間のかかる魚
平安時代以降の食を調べると、魚に関しては川魚の登場機会が多い。内陸部だから、近隣の河川で漁獲できた。という現実的な理由だろう。加えて、水田が発達した地域では“水田漁業”が行われていて、水田や水路に住まう魚などを取って食料としていたことも影響する。古代の水田は、現代人が知っているような水深の浅いものではないとされている。もっと深いプールのようなもの。稲作のついでに漁を捕るというよりも、「魚を住まわせるプールであり、なおかつ稲作も行う施設」といったほうが感覚として近い。つまり、水田漁業で獲得できる魚もまた、ある種の神聖性を帯びた食べ物だったと考えられる。
川魚が日常の食料であったと同時に、上級の魚という感覚があったと言われているのは、こういったところに起因するのじゃないかと思っている。フナや鮎がナレズシに加工されて珍重されたのも、その延長上のことだ。
鯛は、浅瀬の岩礁などに生息する魚。一本釣りや網漁で漁獲される。網漁自体は縄文時代から行われていたけれど、岩礁ではなかなか難しいイメージが有る。
最初の頃は、釣りや網で漁労を行っていて、それらの労働そのものがとても大変だっただろう。徐々に網漁が発達して集団漁業になっていくけれど、鯛はあまり捕れなかったかもしれない。他の魚よりも貴重。で、平安時代になって、海産物の流通ネットワークが形成されていく。とはいっても商売のためではなくて、朝廷の官的ネットワーク。延喜式に見られる貢納品に「鯛」「鰤」「鱸」「鮑」があるから、この頃には一定量が都へと届けられるようになったということだ。
川魚と海魚を比べると、「鯛」の貴重さが見えてくる。現代人には感覚的に理解できないレベルで、「なんかすごい貴重で良いもの」というイメージが出来上がったのだろう。そして、貴重な食材は「大切なとき」に食べるというのは、あらゆる社会で共通すること。徐々に、ハレの日の食材としての地位を築いていったと考えるのが自然ではないだろうか。
赤という神聖性
鯛は赤い。実は、赤い食材ってあんまり多くないのだ。トマトやイチゴ、リンゴ、唐辛子などが日本に入ってくるのはもっとずっとあとの時代。人参が日本にやってきたのも江戸時代のこと。室町時代より前の時代の料理を再現したものを見ると「赤」はエビや鯛である。他に赤いものと言えば、主に器。他に無いというわけではないけれど、かなり限定的だ。
赤(紅)は、伝統的に「魔除け」「祝」「吉祥」を象徴するとされてきた。なぜ、「赤」に神聖性を見出すようになったのかは、よくわからない。古代中国の思想が影響しているだろうし、もしかしたら拝火教(ゾロアスター教)に起因する「炎」への信仰かもしれない。太陽を赤と感じるのは、夕焼けから連想したものだろうけれど、太陽信仰の影響があるのかもしれない。もっと詳しく調べたらいろいろと述べられるのだろうけれど、今回は「赤色に対する神聖性がある」というところだけ分かればいい。
弁柄(ベンガラ)は酸化鉄を主成分とした顔料で、暗い赤みを帯びた茶色だ。建物の塗料や、繊維の染料、陶器や漆器にも用いられる。縄文〜弥生時代の土器にも赤色顔料として使われている。朱色の櫛を髪にさすのは、カミ(神・髪)に対する神聖性の現れだと聞いたことがある。もっとずっと身近なところでは、鯛以外の祝料理の代表格である「赤飯」にも、赤色信仰が現れている。
鯛は、魚の外観が赤くて鮮やかだ。切り身にしても、透き通った白と赤のコントラストが美しい。こうしたことから、徐々に神聖性が追加されていったのではないかと考えている。
希少性がハレの食事へと繋がり、赤色信仰によって神聖性を帯びていく。そんな流れだろうか。
少し別の角度、民族文化の融合という視点で見てみよう。
弥生時代よりも古い時代の日本は、狩猟採集生活を送っていたとされている。山へ海へと狩猟に出かけていっては食料を得て、それぞれの自然環境を神様として崇めてきた。そういう意味で、海洋民族であるとも言える。一方で、弥生時代から飛鳥時代にかけて、大陸からの大量移民がやってきた。全てではないだろうが、彼らは農耕を中心とした生活をしている。両方の文化が入り混じった結果、鯛という赤い海の幸に神聖性を見るようになったとも考えられる。
「感覚」の可視化
魚類の格付け(上魚・下魚)が明瞭になったのは、江戸時代のこと。元禄時代の『本朝食鑑(1695年)』に、「鯛は本朝鱗中の長」とある。つまり、鱗のある魚の日本一は鯛だ、といっている。
それまでは「ハレ=海魚(鯛)」という観念だったが、文化や年中行事と結びついて制度化されて、明確なランキングになったということだ。
一度、儀式というテンプレートにセッティングされてしまえば、あとは神聖性という観念はブーストし続けるばかりだ。「なんとなく」お祝いには鯛、だったものが、出産、元服、祝言などの行事に固定されていく。
「良いことがあったから赤飯を炊く」というのと、「誕生日だからケーキ」というのとでは、行事と食の繋がりの強固さが違うのが伝わるだろうか。お祝いには鯛が付き物だ。それも尾頭付きがなおめでたい。という感覚がブーストされていったのだ。ざっと歴史の流れを見る限り元禄時代頃のことだろうと思う。
「神聖性と鯛」といえば、七福神の恵比寿様を思い浮かべる人もいるだろう。右手には釣り竿を持ち、左手には鯛を抱えている。恵比寿信仰の起源は平安時代に遡るのだけれど、面白いことに「鯛を抱えている姿」が登場するのも元禄時代頃のことらしい。
神話に登場する「ヒルコ」が、後に神様となって漁業を司る存在になった。これによって、魚を抱えた姿が描かれるようになるのだが、後に「この魚は鯛だ」ということになっていく。こうなると、益々「鯛の神聖性」は高まるばかりだ。恵比寿様は、漁業だけでなく海上交易を司るようになり、やがて商売全般の繁栄を司る存在となっていく。「鯛」を抱えた恵比寿様=繁栄。この構図が、すっかりと社会に溶け込んでいくことになった。
江戸の経済発展
江戸期に入って交易が盛んになったのは、戦闘のためのテクノロジーやインフラがビジネスに転用されるようになったからだ。近世経済は、日本社会をビジネスのチカラで推し進めていく。大型帆船は作られなくなったが、菱垣廻船や樽廻船を代表とする海運が発達し、大消費地へと多くの商品が運び込まれるようになった。
届ければ売れるのであれば、そのための工夫をこらすものが商売というものだ。瀬戸内では、高級食材である鯛を効率よく捕獲する技術が発達し、大阪港へ運び込まれたり、加工食品へと変えられた。やがて、西日本で発達した網漁は房総半島へと伝えられる。こうして、江戸の魚河岸にも鮮度の高い鯛が並ぶようになっていく。
高額商品をたくさん用して、消費地へ送ることができれば儲かるはずだ。と考えるのはいつの時代も同じである。それは、徐々にではあるけれど、市場価格を引き下げることに繋がる。もちろん、イワシなどの大衆魚のような価格になることはないけれど、以前のように「貴族や上級武士だけ」のものではなくなった。
長屋に暮らす庶民が何年かに一度でも「鯛の尾頭付き」を食べられたかというと、なかなか難しかっただろう。それでも、長屋の大家さんだったり、商家の旦那衆であれば、祝いの席に鯛が供されるくらいのことは一般的だっただろう。
江戸や大阪は、都に比べれば遥かに海に近い。だから海産物を手に入れやすかったのだ。とも言えるし、江戸市中に張り巡らされた水運や、魚河岸、棒手振り(行商人)といった、社会的インフラのおかげで、時間的に海との距離を縮めることが出来たとも言える。
かつては、煮物(羹)やナマスだけだった調理方法は、様々に広がった。1785年には『鯛百珍料理秘密箱』が出版される頃には、様々な鯛料理が世に知られていく。鯛そのものがメデタイのだけれど、その中でも尾頭付きが特別だという感覚は、おそらくこの頃に醸成されたのではないだろうか。古くから伝わる鯛の尾頭付きと一般的な鯛料理との差別化は、一般的な料理が広く知れ渡ることで初めて差別化する意味が生まれるのだ。
おそらく「めで鯛」という語呂合わせも、この頃に流行した江戸地口の影響で広まったのだろう。古来から音韻に意味をもたせることはあったけれど、めで鯛、よろ昆布というのはちょっと洒落っ気が強くて地口のような気がするのだ。
夫婦鯛とかいって、鯛は一生同じツガイで暮らすという話も、もしかしたらこの頃のことなのかもしれない。ちゃんと調査をすれば詳しくわかるのだろうけど、少なくとも江戸後期よりもあとの時代のことじゃないかと思うのだ。「鯛は祝の魚だっていうけれど、なんだって鯛がメデタイんだい?」と言われれば、江戸っ子ならそれっぽい理由を言いそうじゃないか。なんにせよ、広まれば知りたくなる。よくわからなければ、それなりの理由を考え出す。なんてことは、いつの時代でもよくあることだ。
江戸時代は、物流とメディアが食文化の裾野を広げ、後に続く和食文化を覚醒させた時代だ。そうした時代背景の中で「鯛」がより特別なものとして知られていくことになったと考えられる。
それと同時に、肉食禁忌の概念が最高潮に達する時代でもある。米文化圏といえば、大抵は魚と豚がセットになるものだけれど、長い時間をかけて肉食を避ける文化が一般庶民にまで浸透する。結果として、江戸中期にはほとんど肉を食べないという文化が確立し、魚類に対する神聖性は相対的に高まることになる。その中でも最上級とされた「鯛」「鯉」「鮎」は、まさに別格の扱いを受けることになったのだろう。
近代国家の規定
日本各地の神社では、様々な神饌(しんせん=神に捧げる食事)があった。モチや酒、米だけでなく、鹿肉、鳥、魚とバラエティ豊かである。神饌には、生饌(せいせん)、熟饌(じゅくせん)と2つの種類がある。生饌は地域で取れた食材そのもので、豊穣に対する感謝や、次の豊穣への祈りの標本としての供物だ。これに対して熟饌は、神をもてなすための食事である。つまり調理済みの料理なのだ。
明治になって、新たに「日本」という統一国家が誕生した。天皇を中心とした社会は、西欧列強の様子を観察しながら形作られていき、「神道」という新たな国教的概念を作り出すに至った。この過程で、古代から続く神々への信仰(神祇信仰)は、一定のルールによって統一されることになる。
明治政府は国家の祭祀を一本化する方針をとることになった。祭祀や神饌についても制度化が進められるのだ。信仰というよりは、国家儀礼として性格が強くなったと言えるかもしれない。
八百万の神々が祀られた神社では、当然ながら八百万の祭祀や神饌があって自然なのだ。けれども、国家思想を統一することで国民国家を作りたい政府にとっては、これが都合が悪い。地域性や信仰の多様性は、挙国一致には向かないというわけだ。そこで、儀礼の簡素化と統一を進めることになった。
こうした流れの中で、熟饌は人為的であり俗世的、また仏教的だと考えられるようになって、排除の方向へと進んでいく。一方で、生饌は原始的で清浄という感覚があり、それが神聖性を帯びて受け入れられた。生のものが清らかで上質という感覚は、ここでも発揮されたのである。
こうした神饌の制度化によって、選ばれたのが米であり鯛なのだ。魚の中でも、古くから神聖性を帯びた鯛。生のままでも姿が大きく美しく、生饌の象徴。
他にも経済や物流の発達が影響したこともあるのだけれど、「神聖性の象徴」が日本人の心の中に具現化したのは、この出来事が一番大きかったように思う。神への捧げ物=神聖=鯛。それまでの「祝=鯛」の構図を、更に一段格上げした感覚がある。
鯛はメデタイ。祝魚。
調べればもっと色々と面白い事象が見つかるだろうし、社会背景や影響因子をならべて見ることも出来るだろう。が、とりあえず今回はここまで。「たべものラジオ」の本編ではないので、ざっくりした流れだけで良しとしよう。多分に推察、考察が含まれているけれど、流れとしては大きくハズレてはいないだろうという感覚がある。
とにもかくにも、「鯛=メデタイ」という感覚は、ぼくら現代人にとっては真実なのだ。それはそれで、都合がいいと思っている。漫画「葬送のフリーレン」に登場する僧侶ハイターが「女神様はいると思っていたほうが都合がいいじゃないですか」と発言していたのだけど、その感覚に近い。
お祝いの席で「鯛の尾頭付き」が供されれば、なんだかすっごくメデタイ気分になる。嬉しい気持ちを増幅してくれるし、気持ちのアンカリング効果まで期待できるというものだ。だから、いろんな理由をつけては「メデタイ」ものだということにしておくのが、これからも良いのだろうと思っている。
今日も読んでいただきありがとうございました。
今回は、ポッドキャスト番組「サイエントーク」の企画によせられた「トリビア」がきっかけ。トリビアがトリビアじゃないかもっていう話の流れで、レンさんからSNSで呼びかけられちゃったのだ。ホントはもっとちゃんと調べたいところだけど、あんまり時間がとれないのでこのくらいで良いかな。歴史部分は回答できたと思うので、理科っぽい話は他の人にお願いしてくださいな。