日本人が考える主食と言えば、もちろんご飯だ。朝ごはん、昼ごはんと言うように、食事を指し示すものを「ごはん」と言ってしまっているよね。例え昼ごはんに食べるものがラーメンやパスタだったとしても、それはやっぱり「昼ごはん」。完全に代名詞になっちゃってるもの。
日本人にとっては、それだけ「お米」が浸透しているということだろうね。
海外の主食事情を知ると、日本人が捉えている感覚とはまるで違うことが分かる。というか、日本人の感覚の方が特殊だということが分かるかなあ。「ごはん=主役」がかなり強いんだよね。日本食の場合。海外だと、主食とはいいつつも他の食材とはフラットな関係に近いかな。
この違いがとても良くわかるのが「ご飯がすすむ」という表現。おかずはご飯をたくさん食べるためのお供だ。そう言っている。ご飯にワンバンとか。そういうの、あんまり無いから。「このステーキめちゃくちゃパンがすすむ」って、どうですか?なんか変な感じするでしょ。日本の「主食」の捉え方がけっこう特殊ということね。
ご飯を置く場所もそう。日本の場合は一番メインになるところにくる。「お箸は右手で茶碗は左」と表現されるくらいに、当たり前のように主役ポジションにいる。だけど、欧米のパンはどこに置いてある?目の前の真ん中ってことはないよね。ちょっと脇に置くか、テーブルのセンターのバケットに盛られていてそこから各自で取って食べる。そこからして、主役感が全然違うというのが「ご飯」。
よーく見てみると、面白いくらいに違うでしょ。
一方で似ているケースもある。パンとお茶だけの食事、それにスープが付くとか、そういうのが朝食の定番という国もある。日本の伝統的な朝食もこれに近い。もちろん家庭によって違うけれどね。ご飯とその当てになる佃煮や納豆やらがあって、これがパンならバターやジャムということになるのかな。そこに味噌汁というスープがあって、お茶がある。こんな構成にもなっていることが興味深い。
主食は主食であることは、世界の他の国々でも同じことが起きている。だけど、日本食の文化はご飯の絶対的な主役感が強いという感じかな。
ちなみに、同じく米食文化の他の国はどうかというと、これまた日本とは違った捉え方をされているところが多い。東南アジアあたりも米食文化圏だ。ベトナムとかインドネシアとかタイ。ちゃんとしたお米の国なんだけど、日本ほどは主役感がない。主役というよりは、食材のひとつという見方の方が正確かもしれないな。米もあるし、肉もあるし、麦もあるし、という並列の中のひとつ。で、穀類は量的に比率が高いと言うくらいの感じ。
しっかりご飯が主食ではあるけれど、絶対的な主役みたいな強さはない。同じことを何度も繰り返しているけれど、日本料理における「ご飯」の主役感は他の文化とは異質と感じるくらいに絶対的だという話だ。ぼくは勝手に「食の主従関係」と呼んでいるのだけど、ご飯がなくてもこの構成を無意識に求めてしまう文化を持っているのがニッポン。飲み会の席だったらお酒が主で、つまみが従という主従関係が感覚として染み込んでいる。特にヨーロッパでは見られない現象だ。
逆に似ている地域もある。朝鮮半島や中国南部も比較的「ご飯」の主役感が強い文化圏かもね。この類似性に関しては、文化の伝来として近隣国が似ているという側面もあるし、気候環境が似ているということも影響している部分も大きいと言われている。後で、イネ科植物と米という植物的特性について詳しく語るけれど、環境要因もあるみたい。
ご飯文化によってもたらされたのが「おかず」という発想。おかずという言葉自体がご飯の主役感を高めているよね。語源辞典によると「食事の際の副食物。もともとは多数やいろいろという意味の名詞である「かず」におをつけた言葉。副食として数々取り揃えるものが副食自体をさすようになった。」と記載されている。完全に副食って言っちゃってるもんね。だから、日本料理に「メインディッシュ」という概念が存在しないのよ。
実際、会席料理を提供しているとお客様に「メインはどれですか?」と聞かれることがあるんだけど、そんなものは無い。さっきも言ったけれど、会席料理は主食を飲み物に置き換えたものだ。全部がおかずであって、全部がつまみ。最後にご飯物が供されるのは、それだけだと満腹感がなくて、肝臓の働きを助けるためという理由だからなんだよね。
フランス料理などのコースに「メイン」というのがあるのも、パンが絶対的な主役ではないということを示しているかもね。あくまでも、今回の食事の主は、例えば「肉」というのがあって、それを横で支えているのがパン。みたいな感じかな。
いろいろと事例を挙げてみたけれど、どれもこれも日本料理における「ご飯」の位置づけが少々特殊そうだということがわかってもらえただろうか。そして、このご飯を中心に据えたことで、いろんな食文化が生まれていくことになるんだ。