脱線しちゃったけれど、ご飯がなくちゃどうにもならない食文化は、まさしく色んな意味でお米が重要なポイントになっているという話だ。
ご飯のお供として発展した料理もたくさんある。その中でも思いっきり「ご飯をたくさん食べるため」に振り切った料理があるのが面白い。煮物だったり、納豆だったり、漬物だったり、いろんな物があるのだけれど、特に際立ったのが佃煮ときんぴらかなあ。これは、江戸時代に発展した料理だ。
これ以外だって、基本的な味付けはご飯と一緒に食べることを前提にしているものが主流になっているのだけど、この2つが際立っているのは、文字通り「少量のおかずでご飯をたくさん食べる」ことが主眼に置かれているところ。栄養バランスとか健康を考えるのが料理だとすると、なんかもう料理として破綻しているような気もする。ただ、これが江戸の人気のおかずランキングでトップクラスにいるのがスゴイよね。
これには、江戸時代の江戸という町の特殊性が背景にある。この時代は御存知の通り納税はお米だ。そのお米が日本全国から江戸に集まることになるわけだね。そして、それを現金化して幕府で蓄えるというのがざっくりとした流れ。そうなると、江戸の市中にお米がたくさん溢れることになる。これが江戸中期の頃。だいぶ豊かになってきているから、庶民であってもお殿様のような白米を食べることが出来るようになっている頃でもある。
そうすると、とにかく米の流通量が多いから、必然的にご飯を大量に消費することになるんだよ。当時の庶民の一人あたりのお米の消費量がけっこうスゴイ。一日あたり3~5合。メチャクチャでしょ。白米だと玄米に比べて美味しいもんだから、少々の塩気があればどんどん食べられる。嬉しくて食べちゃったのかね。太平の世が続くと、庶民にも手頃な価格でお米が買えるようになってきている。むしろ、魚なんかを買うよりも安かったら米に偏りがちになるんだろうね。あと、玄米よりも白米の方が燃料が少なくて済むんだって。この時代だと薪とか炭だけど。そういうのも理由になる。
農村部では年に数回しか白米を食べられないような状況だったのに対して、江戸では白米より燃料代の方を気にするというのだから、経済格差が大きかったんだろう。
そんなこんなで、「とにかくご飯をたくさん食べる」ことを目的として、おかずが少量でも済ませられるようにきんぴらや佃煮みたいなものが人気になっていく。それでなくとも、おかずは漬物だけということもあった時代だから。ご飯と質素な味噌汁と塩っ辛いおかず、というのが定番だった。
そして、これが思わぬ病気を流行らせてしまう。脚気だ。これはビタミンB1の不足から末梢神経障害を起こす病気だ。足のしびれや、ひどいときは心臓機能が低下して死亡してしまうこともあった。当時は「江戸患い」といわれて、江戸の町特有の病だと言われていた。
それまでは、ご飯ばっかり食べていたとしても、玄米や五分搗きのお米だったらそうそう脚気にはならない。胚芽や糠にビタミンが含まれているからさ。お米が自然に栄養バランスを整えてくれていたから、人間はそんなこと考える必要がなかった。つまり、糠と胚芽を全部取り除くとどんな結果になるのかを知らなかったということだね。これは知らなくても無理はない。初めての経験だからね。当然、脚気の治療法が確立されるのは随分長い時間がかかり、明治時代を待つことになる。
ちなみに、江戸に出稼ぎに来ていた人たちも、里帰りで田舎に帰ると数日で治ったらしいよ。江戸だけで流行した病。と言う意味で「江戸患い」。これだと江戸に行きたくなくなりそうだ。
日本人が、どれだけ「ご飯中心の生活」をしているかということがよく分かるよね。だから、料理も「ご飯が中心」となって発展していくことになったわけだ。
・プロテアーゼ → たんぱく質をアミノ酸に分解 → うま味
・アミラーゼ → でんぷんをブドウ糖に分解 → 甘味