S5-1 命がけ?魅惑の魚ふぐ

日本人と「フグ」の付き合いはとても長い。

実は、縄文時代よりも古く旧石器時代の遺跡からもフグが発見されている。およそ2万年前。マフグの仲間の骨が出土していることがわかっている。これも石器などと一緒に発見されていることから、ちゃんと食事なり生活用品なりと、利用されていたようである。

食事として用いられたことがはっきりしているのは、およそ6000年前の縄文時代である。日本各地の縄文時代の住居跡や貝塚からは、フグの歯骨がたくさん発見されている。知っての通り、フグはその殆どの種類が猛毒を持っているけれど、この時代で既にある程度の「毒処理技術」が確立されていたのだろうか。それとも、フグのほうが無毒だったのだろうか。

ちなみに、千葉県市川市にある姥貝山貝塚(うばかいやまかいづか)の住居からは、成人男女各2名と子供1名の骨が住居跡から発掘されており、この時彼らはフグを食していたとの疑いがかかっている。現存する、フグ毒による食中毒事件の保存現場である。

彼らが、フグ毒の処理を誤ったために中毒死してしまったのか。それとも、今まではほとんど無毒だったものが、一部で毒化したフグが発生し始めた年代だったのかは不明である。
少なくとも、縄文時代にはフグを食べる習慣があったことは間違いなさそうだ。

日本人が米の味を知るよりもずっと昔。1万年以上前から、フグとの付き合いがあるのだ。こう考えると、恐ろしく長い。私達とお米の付き合いが深いように、フグとの付き合いも相当なものである。世界でも極めて珍しい「フグ食」の文化を持つ日本。これだけの付き合いの長さがあるのであれば、少しはうなずける部分があるかもしれない。

どんな食べ方をしていたか?流石にそれはわからない。およそ推測できることは、土器で「煮る」か「茹でる」ことが調理であって、当時は焼くということは見られなかったということ。それから、味付けはされていないということくらいだ。この調理方法は、他の食材全てに当てはまるわけだから、フグ独自の食べ方というわけではない。

随分と時代が下って、「文字」でフグが紹介されるのは平安時代に入ってからのことである。そもそも、日本人の一部が文字の読み書きが出来るようになったのが、平安時代の少し前、奈良時代頃のことなのだ。ここに至る前は記述のしようがない。平安時代にフグについて書かれた書物は「本草和名(ほんぞうわみょう)」(918年)と「和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)」(930年代)である。本草和名は名前の通り本草書、つまり薬物事典。和名類聚抄は辞書。

この中では「布久(ふく)」や「布久閉(ふくべ)」と記されているのだけれど、おそらく文字は当て字なのだと思われる。元々、日本では音象徴だけの言語だったのだから、言葉だけはあったはずだ。平安時代から見ても何千年も前からフグを食べてきたのだ。名前がない方が不自然である。

フグの呼び名についての由来は諸説が有る。

大和言葉では「膨らむもの」や「膨らんだ形状」を表す言葉として「ふく」が用いられていた。例えば「ふくろ」とか「ふくらはぎ」とか、「ふくよか」や「ふくれる」もそうだね。その中のひとつとして「ふく」があったという説がある。

もう一つ「吹く」が語源だという説もある。餌をとるときに、海底の砂に水を吹き付けて舞い上がらせる修正があるからだというのだ。

個人的には、生態よりも形状を由来に考えるほうが自然なように思える。

ちなみに、現代では河豚と表記することが多いのだが、これは中国での表記をそのまま日本で用いている。河豚の「河」は黄河や揚子江のことを指している。この辺りにはマフグに似た種類でメフグというのがいる。これが基本的には東シナ海を中心に生息するのだけれど、中国では河川にもいる。両方大丈夫なタイプだ。だから、河という字が使われているのだ。

なぜ河の「豚」なのかについてはいくつかの説がある。

よく言われているのは、見かけが豚のように膨らんでいるからだと言う説がある。それから、鳴き声が豚みたいだからというのもある。釣り上げるとビービーと鳴く。それから、美味しいからという事も言われている。古代の中国では、豚は「上等なもの」「美味しいもの」であると言う認識が強く、その豚にも劣らない味だということで豚という字が使われているという話もある。

「河豚」をフグと読むのは少々無理がある。「河豚」はあくまでも中国語としての漢字で、それを日本語で無理やり読んでいる状態である。BOOKを本と読んでいるみたいなもんだね。

表記のついでに、いろんな漢字で表現されているから紹介しておこう。江戸時代によく使われていたのは「鰒」という字。魚編に腹の右側部分が充てられているのは、お腹が膨らむことから名付けられているのだけれど、これはちょっとややこしい。本来、この漢字はアワビを意味しているからだ。実際に勘違いで大変なことになったという逸話が残されている。「病の療養のために食事制限を受けていた男が、医者から食べても良いものリストを書いてもらった。そのなかにこの鰒が書いてあったから、男は喜んでフグを食べて死んでしまった」と。もちろん、医者はアワビと書いたつもりだった。
あくまでも、逸話だからホントにあったかどうかは知らないけどね。

さて、平安時代以降どのような調理方法で、どのように日本人と関わってきたのか。これについては、残念ながら記録が見つけられなかった。この時代、文字を使用した記述は、ごく限られた知識人だけのものであるし、そのような人がちがフグを食べる機会がなかったのかもしれない。ただ、縄文時代に既に毒の処理についての知見を蓄えていたのだとしたら、庶民は茹でる、煮る、焼くなどの調理を行って食べていたのだと考えても良いのかもしれない。

次に、まともにフグについての話が表舞台に現れるのは、更に時代が下った戦国時代。文禄の役(1592年)のことだ。俗に言う、豊臣秀吉による朝鮮出兵である。前年の1591年8月、佐賀県唐津市に名護屋城(なごやじょう)を築城して、ここを遠征の宿営地とする。そして、翌年の1592年。この地に、総軍20~30万の軍勢が集結する。秀吉の命令により、全国各地の大名たちが呼び集められたのだ。当時の日本全体の総兵力がおよそ50万程度だと言われていたのだから、半数以上が集まったことになる。しかも、有力大名も集まっていたため、軍事的にも、政治的にもかなり濃厚な空間になったはずだ。従軍した水戸の平塚滝俊が書状に「野も山も空いたところがない」と記したほどの活況ぶりだったらしい。

有名武将だけざっと並べると、徳川家康、前田利家、上杉景勝、毛利輝元、伊達政宗、宇喜多秀家、小西行長、小早川隆景、石田三成、黒田長政、加藤清正、鍋島直茂、立花宗茂、九鬼嘉隆、藤堂高虎、島津義弘、大谷吉継などなど。日本のトップクラスの大名たちが総集結している。

これだけの、「人材」が、一つの場所に集結してるところで事件が起きる。

少ない方の20万人として、実際に海を渡るのは15万人である。残り5万人は名護屋城の駐屯兵。主に西日本の兵士が朝鮮へ出征し、徳川家康などの東日本の兵士は駐屯兵となる。全国各地からやってきた兵隊たちが、ただただ駐屯しているだけだ。

それに、出征する人たちも一度に海を渡るわけではない。1陣から9陣まで分けて、順番に渡航する。だから、名護屋城のある唐津には、数万人の兵士や水夫たちがしばらくたむろすることになる。そもそも集結してから渡航を開始するまでに1ヶ月以上の待機時間があるのだ。(招集命令が3月、1陣の出征が4月。)

ここは、少し前までなんにもない場所。宣教師ルイス・フロイスはその手記の中で「その地は僻地であって、人が住むのには適しておらず、単に食料のみならず、事業を遂行する際のすべての必需品が欠けており、山が多く、しかも一方は沼地で、あらゆる人手を欠いた荒地であった」と記している。
なーんにも楽しみがないのだ。

上級武士たちはいざしらず、足軽などの兵士は何をするでもない。楽しみといえば、飲食くらいのものであっただろうということは、想像に難くない。そこで、フグを食べたのだ。すぐ目の前の海でカンタンにフグが取れたのだろう。地図を見ればわかるが、豊富な漁場が目の前に広がっている場所である。

地元に住まう人や、海沿いの漁師などであれば、それなりにフグに接する機会もあったかもしれない。毒にあたらない食べ方だ

って、もしかしたらすでに地元では知られていたのかもしれない。だけれども、なんにも知らない兵士たちは、フグを他の魚と同じように食べたのである。美味しそうに見えたのか、美味しいという噂だけを聞きつけたのかは知らないが。とにかく食べた。当然だが、バタバタと兵士たちが中毒死をすることとなった。

この自体が、豊臣秀吉の耳に届く。秀吉は怒り心頭である。これから、海を渡って大国「明」を整復しようというのだ。一人たりともカンタンに死なれては困る。倒すべき相手は、人口1億5千万人の大国「明」とその間にある朝鮮(人口500万人)である。戦って散るのなら仕方ない。百歩譲って病に倒れるのであればわかる。娯楽や暇つぶしで死なれたのではたまったものではないのだ。

豊臣秀吉は、すぐさま命令を発する。「フグ食禁止令」である。それでも、一部の兵士たちはこっそりとフグを食べていたらしい。いくつかの藩で取締を行い、見つかった者は厳しい処罰を行っていた。

秀吉によってフグを食べることが、権力によって禁止された。宗教でも経済でも政治でもなく、軍事的な事情によって。食に関するタブーはいろいろあるが、珍しい例のひとつである。

補足

縄文時代のフグはマフグ科が中心で、トラフグが多い。概ね30cm以上の大型

▼名護屋城 マップ

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