S7-1「すし」の多様性と包容力:時代を超えた日本の誇る料理の進化をたどる

「すし」は「寿司」「鮨」「鮓」と書くのだけれど、どれが正解か知っているだろうか。

もうどれでも良いよと思った人もいるだろう。実はそれが一番正しいかもしれない。正解というと語弊があるな。文字通りどれでも良い。「すし」のルーツを辿っていくと、そういう感覚になる。

ところで、いま頭の中に「すし」を思い浮かべている人はどのくらいいるだろうか。思い浮かべているとして、どんなものを思い浮かべているだろうか。

マグロ、サーモン、鯛やヒラメやエビなんかを想像している人は、握りずしだ。しかも、かなり最近のものだね。サーモンの握りずしが一般に流通し始めたのは平成に入ってから。鯛やヒラメやブリやハマチなどの「鮮魚」の握りずしも昭和になってからの定番である。

サーモンと呼んでいるけれど、あれは日本語ではマスだ。マスとサーモンの違いを定義して一所懸命に説明してくれる人がいるけれど、マスを英訳するとサーモンとなる。同じ生き物だ。

マスは昔から日本で食べられてきた魚である。けれども、生で食べることはしていない。なぜならば、虫がいるからだ。寄生虫の確率が高くて、恐ろしくて生で食べるなんてことはしなかった。それが今や人気ランキングでは上位にいるのだから面白い。

そもそも鮮魚だって、冷蔵庫や冷凍庫が普及していなければどうしようもない。もちろん、海から遠いところへ運ぶ技術だって必要だ。昔は徒歩なのだから、鮮度の高いまま届けられる距離は極めて限定的だということになる。

江戸市中であっても、そうそう鮮魚を生のママ食べられる場所は限られていたはずなのだ。

ところで、握り寿司の話ばかりしているのだけれど、すしと言ってもそれはごく一部のタイプでしか無いよね。他に何を思いつくだろうか。

ちらしずし、五目ずし、いなりずし、太巻き、鯖ずし、笹巻きずし、押しずし、大阪ずし、鮒ずし、鮎ずし。

今挙げたもののなかで、想像できなかったものがどのくらいあるだろうか。

ちなみに、これらは全て握りずしよりも先輩である。握りずしなんかは、鮒ずしからみたら千年くらいあとに登場した、ぽっと出の新人なのだよ。

そもそも、すしとは一体何なのだ。

日本人の目から見れば、先に挙げたすしを聞いても「たしかに全てすしだ」と感じているだろう。けれども、なにをもって「すし」だと認識しているのだろうか。

すしシャリか?だとすると、鮒ずしや鮎ずしはすしではないことになってしまう。魚を使ったものか?五目ずしは山のものが具材になっている。魚介を使った料理などすし以外に山ほどある。これも違う。もっとざっくりと、すっぱいものということなのか?それもなんだかおかしい。すしは酸味を帯びているけれど、酸味を帯びたものが全てすしなわけじゃない。

どうだろうか。すしをすしだと定義することは以外と難しいのだ。

すしは、原点となるすしが存在していて、そこから派生して生まれていった分家をまとめて「すし類」と呼んでいるということなのだ。分家から分家へ、すしは時代や場所、人々の生活スタイル、それから社会の流れによって変化を繰り返していった。

近年では、スシはSUSHIとなり世界中へ旅立った。およそ、日本人が想像する握りずしの概念からはかけ離れたものがSUSHIとしてまかり通っている。カリフォルニアロールを皮切りに、いちごをタネにして海苔の代わりにクレープで巻いたいちご巻、ブリトーずし、カップずしなど。もはやどこがスシなのだと言いたくなるような代物がSUSHIとなっているのだ。

それでも、これらも全てスシという名を関し続けている稀有な料理でもある。

何という包容力。

そんなものはスシではない。という声も聞こえてくるようだけれど、それは少々了見が狭いのではないだろうか。ラーメンもカレーも日本人の国民食とまで言われているけれど、ほとんど原型をとどめていない。別のものとして新たな命を吹き込まれてちゃんと息づいている。

たらこスパゲティは人気のメニューのひとつだけれど、イタリアの人たちからしたらそんなのパスタじゃないと言われてもおかしくないわけだ。そのくらいのことは、許容するくらいの度量が欲しいよね。

そうだ。スシにはそういう包容力があるのだと思うよ。

普通は、どこかで古いものが消えてしまったり、別の新しい名前を与えられて独立していくのだけれど、ちゃんとスシとして広がっていけるわけだから。

スシの懐の深さはどこからやってきたのか。

日本人の暮らしや社会背景を眺めながら、スシの生い立ちを辿って行くことにしよう。

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