S8-1 冷やす技術の進化:現代の冷蔵庫から辿る人類の冷却の歴史

現代の食品事情を考えると「冷蔵庫」は必須アイテムにまでなっている。更には、冷凍庫も必要となり両方ともが揃っていない家庭はごく僅かだろう。
まったくもって地味な存在ではある。が、とても重要な役割を与えられている。

よく考えて欲しい。人類が誕生して「加熱」は「火」によって手に入れた。自らの力でコントロールすることが出来るものとなった。これに対して、「冷やす」は寒冷地などの限られた「地理条件」によって縛られた存在であったのだ。つまりコントロールすることが長らく出来なかった。
10万年前には加熱をコントロールすることのいとぐちを掴んでいて、その後の進化は家庭内にある様々な家電を見るだけでも十分に見て取れる。それに対して、「冷やす」技術を手に入れ初めたのはわずか170年ほど前のことなのだ。家庭にある家電を改めて眺めてみて欲しい。冷凍冷蔵庫、エアコン。その他に冷却できるものがあるだろうか。
他に冷やすと良いことがありそうな用途すら思いつかないだろう。そしてどんな新たな冷やし方が効果を発揮するのかも。

食に話を戻そう。
ほとんど全ての食品と料理が、「冷やす」技術のお世話になっている。
鮮度が保持できるようになったことで、保存加工をしなくても長期間の保存が可能になった。その結果遠方まで輸送することが出来るようになったわけだ。
言い方を変えれば、冷やすことが出来なかった時代だからこそ保存のための技術が発展したとも言える。だから、それまでの保存技術の意味が変わったのだ。保存ではなく「味覚という価値の創造」である。

市場が一変したこともある。
かつては、ごく限られた人だけが食していたもの。アイスクリームやかき氷。新鮮な魚介は海の近くでしか食べることが出来ない。これら全てが安価に市場に流通するようになったのは、全て「冷やす」技術のおかげである。
ラガービールだって、大量の氷を必要としていたし、醸造は秋から春の間しか出来なかった。夏は作れないし劣化するしか無い。それが今や世界中どこでもいつでも醸造可能である。
スシもまた、冷蔵技術のおかげですしダネの種類が増え、結果的に一口サイズにまで小型化していった。回転寿司のような安価なスシが実現し得たのも「冷やす」技術の恩恵である。

もっと大きな話をしてしまえば、現代の大都市は「冷やす」技術なしでは成立しないのだ。
野菜、肉、魚介は生産出荷のタイミングからすでにコールドチェーンの中に組み込まれている。コールドチェーンとは、生産・輸送・消費の過程で途切れること無く低温に保つ物流方式のことだ。家庭の冷蔵庫や冷凍庫にある食材は、取り出して少々の調理をすれば食べることが出来る。家庭の食材がなくなれば、近隣のスーパーマーケットに行けば簡単に手に入る。これもまた、地域を支える巨大な冷蔵庫の役割を果たしている。
これが、世界中に張り巡らされていることで日本もその他の国も食糧の交換をすることが出来ているのだ。特に日本は魚介を食する文化にある。国内から冷蔵冷凍庫が消失したら、まず真っ先に都会の食糧事情は悲惨な状況となるはずだ。これが世界中で起こったとしたら、再び食料を奪い合う世の中がやってくる可能性もゼロではない。
かなりの極論ではあるけれど、「冷やす」技術が世界の平和を支えているとも言えるのだ。

食以外の分野でも、重要である。真夏の暑いときでも快適に過ごせるのも、冷やすことが出来るからである。半導体だって冷却が必要だ。冷やすことが出来なければ量子コンピューターは実現していない。薬品の保存にも必要である。パンデミックの際、ワクチンが世界中に提供されるのも冷やすことが出来なければ実現できないのだ。

「冷やす」

こんなことを言われたら、あなたならどうするだろうか。
機械を使わず水を温めてください。
きっと何通りもの方法を述べることが出来るだろう。しかも、ひらめくレベルで素早く。直感的には火を当てる方法さえあれば良い。日光でも良い。光か炎があれば可能である。
機械を使わず水を冷やしてください。
これはどうだろう。冷たい川や山地に運ぶ以外に思いつくことがあるだろうか。

温める仕組み対して、冷やす仕組みがわからない。まったくもってわからないのだ。
現代人が当たり前に感じていることが、いかに不思議な現象であるかわかってもらえただろうか。それに伴って、日常に配備されるまでの道のりを思うと、研究開発者たちに頭が下がるのだ。

冷やすことに人類が価値を感じ始めたのはいつだったのか。
人類に思いも寄らない影響を与えた「冷やす」技術は、いつ、どこで、どうやって生まれたのか。

そのストーリーを辿ってみることにしよう。

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