S4 お米 たべラジ原稿

S4 日本食の中心「米」

S4-1 日本食の中心「米」

日本人が考える主食と言えば、もちろんご飯だ。朝ごはん、昼ごはんと言うように、食事を指し示すものを「ごはん」と言ってしまっているよね。例え昼ごはんに食べるものがラーメンやパスタだったとしても、それはやっぱり「昼ごはん」。完全に代名詞になっちゃってるもの。

日本人にとっては、それだけ「お米」が浸透しているということだろうね。

海外の主食事情を知ると、日本人が捉えている感覚とはまるで違うことが分かる。というか、日本人の感覚の方が特殊だということが分かるかなあ。「ごはん=主役」がかなり強いんだよね。日本食の場合。海外だと、主食とはいいつつも他の食材とはフラットな関係に近いかな。

この違いがとても良くわかるのが「ご飯がすすむ」という表現。おかずはご飯をたくさん食べるためのお供だ。そう言っている。ご飯にワンバンとか。そういうの、あんまり無いから。「このステーキめちゃくちゃパンがすすむ」って、どうですか?なんか変な感じするでしょ。日本の「主食」の捉え方がけっこう特殊ということね。

ご飯を置く場所もそう。日本の場合は一番メインになるところにくる。「お箸は右手で茶碗は左」と表現されるくらいに、当たり前のように主役ポジションにいる。だけど、欧米のパンはどこに置いてある?目の前の真ん中ってことはないよね。ちょっと脇に置くか、テーブルのセンターのバケットに盛られていてそこから各自で取って食べる。そこからして、主役感が全然違うというのが「ご飯」。
よーく見てみると、面白いくらいに違うでしょ。

一方で似ているケースもある。パンとお茶だけの食事、それにスープが付くとか、そういうのが朝食の定番という国もある。日本の伝統的な朝食もこれに近い。もちろん家庭によって違うけれどね。ご飯とその当てになる佃煮や納豆やらがあって、これがパンならバターやジャムということになるのかな。そこに味噌汁というスープがあって、お茶がある。こんな構成にもなっていることが興味深い。

主食は主食であることは、世界の他の国々でも同じことが起きている。だけど、日本食の文化はご飯の絶対的な主役感が強いという感じかな。

ちなみに、同じく米食文化の他の国はどうかというと、これまた日本とは違った捉え方をされているところが多い。東南アジアあたりも米食文化圏だ。ベトナムとかインドネシアとかタイ。ちゃんとしたお米の国なんだけど、日本ほどは主役感がない。主役というよりは、食材のひとつという見方の方が正確かもしれないな。米もあるし、肉もあるし、麦もあるし、という並列の中のひとつ。で、穀類は量的に比率が高いと言うくらいの感じ。

しっかりご飯が主食ではあるけれど、絶対的な主役みたいな強さはない。同じことを何度も繰り返しているけれど、日本料理における「ご飯」の主役感は他の文化とは異質と感じるくらいに絶対的だという話だ。ぼくは勝手に「食の主従関係」と呼んでいるのだけど、ご飯がなくてもこの構成を無意識に求めてしまう文化を持っているのがニッポン。飲み会の席だったらお酒が主で、つまみが従という主従関係が感覚として染み込んでいる。特にヨーロッパでは見られない現象だ。

逆に似ている地域もある。朝鮮半島や中国南部も比較的「ご飯」の主役感が強い文化圏かもね。この類似性に関しては、文化の伝来として近隣国が似ているという側面もあるし、気候環境が似ているということも影響している部分も大きいと言われている。後で、イネ科植物と米という植物的特性について詳しく語るけれど、環境要因もあるみたい。

ご飯文化によってもたらされたのが「おかず」という発想。おかずという言葉自体がご飯の主役感を高めているよね。語源辞典によると「食事の際の副食物。もともとは多数やいろいろという意味の名詞である「かず」におをつけた言葉。副食として数々取り揃えるものが副食自体をさすようになった。」と記載されている。完全に副食って言っちゃってるもんね。だから、日本料理に「メインディッシュ」という概念が存在しないのよ。

実際、会席料理を提供しているとお客様に「メインはどれですか?」と聞かれることがあるんだけど、そんなものは無い。さっきも言ったけれど、会席料理は主食を飲み物に置き換えたものだ。全部がおかずであって、全部がつまみ。最後にご飯物が供されるのは、それだけだと満腹感がなくて、肝臓の働きを助けるためという理由だからなんだよね。

フランス料理などのコースに「メイン」というのがあるのも、パンが絶対的な主役ではないということを示しているかもね。あくまでも、今回の食事の主は、例えば「肉」というのがあって、それを横で支えているのがパン。みたいな感じかな。

いろいろと事例を挙げてみたけれど、どれもこれも日本料理における「ご飯」の位置づけが少々特殊そうだということがわかってもらえただろうか。そして、このご飯を中心に据えたことで、いろんな食文化が生まれていくことになるんだ。

ご飯を中心に据えた結果生まれた文化と言えば、まずは「おかず」の存在だ。そもそも、副菜という発想自体が特徴的と言えるね。

おかずというのは、食文化の特徴的には2つの役割があると考えられる。ひとつは、米だけでは摂取できない栄養素を補完すること。もう一つはご飯を食べやすくすること。この2つを兼ね備えた最強のおかずってなんだと思う?以前にも登場した「味噌汁」だよね。覚えている人もいると思うけれど、とにかく最強。

ご飯といっても、現代人の捉えているご飯とは少々事情が違う。まず、白米じゃない頃から始まったから。基本は玄米。だからパサパサしている。そうすると、口の中の水分が全部持っていかれる感じになって食べにくいでしょ。だから汁物が欲しいわけ。それでいて、味がしっかりしているから淡泊な味のご飯も進む。更に、お米からは摂取できないリジンなどの栄養素も含まれていて、しっかりタンパク質も含まれている。しかも、発酵食品としての効能も期待できる上に、野菜や海藻や貝類などの具材も一緒に摂取できる。それも、水溶性の栄養分だって汁に溶け出しているわけだから、余すことなくね。

味噌汁がご飯のおかずとして最強だという話は、シーズン1の「地味だけどスゴイ味噌汁」をおさらいしてもらうと分かる。栄養素については、後で詳しくやるのでここでは飛ばしますね。

おかずの話を続けよう。味噌汁の他にも魚が食卓に登ることが多かったのも、味がご飯と相性が良くて、タンパク質だからだろうね。他にも、味噌や醤を使った煮物や焼き物が発展していった。これには、ご飯の特性が関係している。

まず、味が淡泊であること。ちゃんと味があるのだけれど、それほど主張しない。主役なのにね。そして、味噌塩醤油といった、塩味との相性が良い。つまり、一緒に食べると美味しいということが生まれるわけだ。これは、ご飯自体が甘味を持っているから。単純に塩おにぎりが美味しいのだから、この相性の良さは疑う余地もないと思うけどさ。

そして、これが日本料理の味付けを特徴づけていくことになる。ここがとても興味深いところでね。まず前提の話から。五味というのがある。味付けの要素を5つの味に分解したもので、甘味、塩味、酸味、苦味、辛味の5つだ。このバランスを取ることで、全体を美味しいと感じられるように調味したものが料理という考え方のことね。この中でも特にメインで用いられる味付けが、甘味と塩味。日本料理のほとんどは、甘いとしょっぱいのバランスを整えるところで決まっていると言っても過言ではない。大体の味は「甘じょっぱい」でしょ。

この甘じょっぱいの基本になっているのが、塩とご飯の関係から来ているんだと思うんだよね。しょっぱい味付けが発生するのがいつ頃かはわからない。海洋国家である日本。周りには塩水がいくらでもあるわけだ。古代だろうとなんだろうと、便利さを考えなければ海水で十分に味付けができるんだから、自然に定番化したんだろうけどさ。これが、ご飯と抜群に相性が良い。

日本料理の味付けの基本は、お米の甘さと海のしょっぱさ。と言われたら、どう?論理的にどうかは横においておいても、直感的に理解しやすいんじゃないかな。ニッポン人なら。

塩が貴重だった大陸内部の地域では、この甘じょっぱいが発生しにくいよね。まず、塩が貴重だし。メソポタミア文明から西側に広がる文化圏では、しょっぱいと組み合わせるのは、スパイスや酸味が中心だし。塩の入手が難しい地域では甘酸っぱいが多い。これは、味の基本が果物にあるからじゃないかな。

こういった、人類の進化のなかで、地域ごとの味付けの特徴は食物によって形成されていくわけだ。日本料理の特徴を端的に示す「あまじょっぱい」は、お米と海水に紀元がありそうだという考察はとても興味深いものがあるよね。ぼくは、個人的に納得しちゃっているよ。

このお米の甘味を他の料理でもどうにか活用できないかなあ。という感覚が調味料の進化にも影響があるといえるよね。みりんは発明されたのが近代以降だけれど、みりんという調味料のおかげで日本料理が飛躍的に幅が広がったのは、お米の甘味を調味料として活用できるようになったことが大きい。

既に砂糖が生産されていた時代だったのに、砂糖よりもみりんが重宝されてきたというのがとても面白い。甘味のなかでも、サトウキビ由来ではなくお米由来のほうが日本人の舌にはマッチしていたんだろうね。味噌は、米麹を用いるものが多い。麦麹や豆麹もあるけれど、米麹で作られるもののほうが多数派。つまり、味噌自体が甘じょっぱいということを求められているってことになるかな。

みりんも、味噌も「米麹」が重要な役割を担っている。米麹がなくなると日本料理は崩壊すると言っても過言ではない。

ところで、麹ってなんだか分かる?すっごく単純化すると、蒸したお米がカビている常態。カビといっても、その辺りでよくみかける青カビじゃなくてコウジカビね。このカビがデンプンとかタンパク質を分解していって、その時に酵素を発生させる。そして、この酵素がデンプンやタンパク質を分解する時に旨味や甘味を発生させるというモノ。

これが、日本固有の味を作る元になっているんだよね。そもそも、麹の技術自体が東アジア地域特有の発酵技術だし、コウジカビだって地域ごとに特性がある。つまり、日本で利用されるコウジカビはニッポン独自のカビ。その床になるのが、米や麦や大豆ね。

米麹が活躍するのは、味噌だけじゃない。みりんだってそうだしね。他にも、日本酒や醤油、酢だってそうだ。米麹がなくっちゃ始まらない。それにね。皆の大好きなお寿司の文化だってお米と米麹がなかったら成立していないんだよ。

お寿司というと、握り寿司を指すことが多いけれど、それは現代の話。もともとお寿司と言えば、押し寿司だし、もっと前はなれずしだ。なれずしというのは、鮒ずしとか鮎ずしとかが代表的。魚や野菜をご飯と塩と一緒に漬け込んで乳酸発酵させたものね。発酵の過程で自然と酸味が出てくる。これを進化させて考案されたのが押し寿司。鯖寿司なんかが有名だよね。乳酸発酵じゃなくて、ご飯を酢飯にして酢じめしたサバを乗せて押し固めたもの。これが原型になって、思いっきり簡素化させたのが握り寿司。

米麹がなかったら酢が無い。だからすし飯を作れないってこともあるけれど、原型をたどると発酵させるためにもご飯を使っていたからね。その進化系である握り寿司だって生まれていないわけだ。まあ、そもそもご飯がなかったら握り寿司にならないのだけど。

ちなみに、お米とは関係ないけれど、初期の握り寿司はかなり大きかったんだよ。それこそ押し寿司くらいのサイズ。なぜかって。そりゃ押し寿司を作るのに時間と手間がかかるからっていう理由で簡素化させたわけだから、当然そのくらいのサイズで握るということを考えたのよ。それだと、食べづらいもんだから「ちょいと半分にしてくんな」ってな具合で切ってもらって食べたのね。だから、握り寿司の数え方は2つで一貫なんだ。最近では一個なのに一貫って数えちゃう人が多くなっちゃったけど。

もう一つおまけ。初期のお寿司は江戸の華屋与兵衛という人が始めたのね。ただ、ここにもう一つの発明があってさ。赤酢というお酢を大々的に生産したお店があるんだよ。それまでは無かったお酢の種類。これは、日本酒が過発酵して出来ちゃうお酢で、いわば日本酒の失敗。こんなものを日本酒の蔵で並べて作っていたら、他のお酒も全部お酢になっちゃう。だから、日本酒を作るときにはお酢なんかの他のコウジカビが絶対に混ざらないように細心の注意を払うべき。なのに、日本酒の生産をやめて一気に赤酢の生産に振り切った蔵があったの。それが今のミツカン。

赤酢は、一般的な米酢に比べて甘味や旨味が強かったから、それが握り寿司ととても相性が良かったんだって。だから、初期のすし飯は赤酢をご飯に混ぜただけのもの。現代では米酢に砂糖と塩を混ぜたものを使うことが一般的ではあるけれど、これは元々赤酢の味に近づけるためだったんだね。もちろん、今でも赤酢を使っているお店もあるよ。

脱線しちゃったけれど、ご飯がなくちゃどうにもならない食文化は、まさしく色んな意味でお米が重要なポイントになっているという話だ。

ご飯のお供として発展した料理もたくさんある。その中でも思いっきり「ご飯をたくさん食べるため」に振り切った料理があるのが面白い。煮物だったり、納豆だったり、漬物だったり、いろんな物があるのだけれど、特に際立ったのが佃煮ときんぴらかなあ。これは、江戸時代に発展した料理だ。
これ以外だって、基本的な味付けはご飯と一緒に食べることを前提にしているものが主流になっているのだけど、この2つが際立っているのは、文字通り「少量のおかずでご飯をたくさん食べる」ことが主眼に置かれているところ。栄養バランスとか健康を考えるのが料理だとすると、なんかもう料理として破綻しているような気もする。ただ、これが江戸の人気のおかずランキングでトップクラスにいるのがスゴイよね。

これには、江戸時代の江戸という町の特殊性が背景にある。この時代は御存知の通り納税はお米だ。そのお米が日本全国から江戸に集まることになるわけだね。そして、それを現金化して幕府で蓄えるというのがざっくりとした流れ。そうなると、江戸の市中にお米がたくさん溢れることになる。これが江戸中期の頃。だいぶ豊かになってきているから、庶民であってもお殿様のような白米を食べることが出来るようになっている頃でもある。

そうすると、とにかく米の流通量が多いから、必然的にご飯を大量に消費することになるんだよ。当時の庶民の一人あたりのお米の消費量がけっこうスゴイ。一日あたり3~5合。メチャクチャでしょ。白米だと玄米に比べて美味しいもんだから、少々の塩気があればどんどん食べられる。嬉しくて食べちゃったのかね。太平の世が続くと、庶民にも手頃な価格でお米が買えるようになってきている。むしろ、魚なんかを買うよりも安かったら米に偏りがちになるんだろうね。あと、玄米よりも白米の方が燃料が少なくて済むんだって。この時代だと薪とか炭だけど。そういうのも理由になる。
農村部では年に数回しか白米を食べられないような状況だったのに対して、江戸では白米より燃料代の方を気にするというのだから、経済格差が大きかったんだろう。

そんなこんなで、「とにかくご飯をたくさん食べる」ことを目的として、おかずが少量でも済ませられるようにきんぴらや佃煮みたいなものが人気になっていく。それでなくとも、おかずは漬物だけということもあった時代だから。ご飯と質素な味噌汁と塩っ辛いおかず、というのが定番だった。

そして、これが思わぬ病気を流行らせてしまう。脚気だ。これはビタミンB1の不足から末梢神経障害を起こす病気だ。足のしびれや、ひどいときは心臓機能が低下して死亡してしまうこともあった。当時は「江戸患い」といわれて、江戸の町特有の病だと言われていた。

それまでは、ご飯ばっかり食べていたとしても、玄米や五分搗きのお米だったらそうそう脚気にはならない。胚芽や糠にビタミンが含まれているからさ。お米が自然に栄養バランスを整えてくれていたから、人間はそんなこと考える必要がなかった。つまり、糠と胚芽を全部取り除くとどんな結果になるのかを知らなかったということだね。これは知らなくても無理はない。初めての経験だからね。当然、脚気の治療法が確立されるのは随分長い時間がかかり、明治時代を待つことになる。

ちなみに、江戸に出稼ぎに来ていた人たちも、里帰りで田舎に帰ると数日で治ったらしいよ。江戸だけで流行した病。と言う意味で「江戸患い」。これだと江戸に行きたくなくなりそうだ。

日本人が、どれだけ「ご飯中心の生活」をしているかということがよく分かるよね。だから、料理も「ご飯が中心」となって発展していくことになったわけだ。

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