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白くて柔らかくて四角いもの。豆腐といえばそれが定番である。プラスチックのパックに入って、スーパーマーケットの一角を占めている。他の加工食品に比べれば、驚くほどに安い。試しに、近所の売り場を覗いてみる。こんにゃく、かまぼこや竹輪、納豆にソーセージ、ハム、ゼリー、いずれも加工食品だ。これらを同列に比較するのはいかにも乱暴な話ではあるかもしれない。にしてもだ。現代では恐ろしいほどに豆腐が安いのはどういうことだろう。あまりにも価格差があるように感じる。
加工食品をいくつか並べたけれど、これらは本質的に2つに分類される。あくまでも個人的な見解でしか無いのだけど。ひとつは「保存を目的として発達したもの」であり、もうひとつは「食べたい形状に加工したもの」だ。この分類からすると、豆腐は確実に後者である。そもそも大豆なのだ。長期保存したいのなら、そのまま加工しない方がいい。豆腐なんかにしてしまうから消費期限が劇的に短くなるのだ。ハムやソーセージのように、肉を長期保存するために登場したものではない。
豆腐という加工食品について、もう少し他の角度からも眺めてみよう。海外に存在するか。ということであれば、ある。そもそも、日本で誕生したものではないのだから当然だ。豆類は世界中の各地で生産可能だし、豆類の中でも最も生産量が多い大豆は中国の東北地方が原産だと言われている。
そういえば、豆腐を語るには必ず触れられる話がある。豆腐百珍だ。豆腐料理を100種類も掲載したレシピ集である。発行は1782年。庶民文化が隆盛を迎え、自由経済が発達した頃である。天明の大飢饉があったけれど、それでも逞しく生きていた江戸の庶民。そしてすでに食の都であった大阪で大人気となったのが、この豆腐百珍というレシピ本なのだ。
よくよく考えてみて欲しい。現代のように誰でも本を書けるような時代ではない。紙だって高いのだ。本を出版するというのは、ビジネスとしても大きなリスクを伴うのだ。出版する意味と需要が噛み合わなければ、書籍市場に投入することは出来ない。これは、現代においても同じことが言えるけれど、もっともっとずーっとシビアな世界。そんな中で「豆腐」だけの本を出版する。これはどういうことだろうか。しかも、このあと続編が2冊も刊行されている。
実は、17世紀から18世紀の日本は料理本ブームなのだ。17世紀にも日本最古の料理本である「料理物語(1643)」に始まり、「料理塩梅集(1668)」は出版されていないが「古今料理集(1669-1674)」「合類日用料理抄(1689)」が出版されている。これらは、料理本が変化した頃のものだ。主に日用料理をまとめている。実はこれ以前の料理本は口伝などをまとめた専門書だった。料理人やそれに準ずる人たちのために書かれていた。料理物語以降は、儀式や形式よりも日用生活に即した料理をまとめたレシピ集なのである。その意味でとても画期的だ。
さらに18世紀中頃には「料理山海郷(1749)」が発行され、その性質が変化を始める。料理本を購入する人たちが変わっていったのだ。料理山海郷は諸国の名物や珍味を書き並べたものなのだ。特徴的なのは「料理を遊びとして楽しむ」ことを中心においている。名前の付け方も今までにないスタイル。「龍田川」という料理が掲載されている。大和芋を紅葉のカタチに切り、それを梅酢で着色しただけのものだ。大したことはない。ただ、龍田川という和歌にも詠まれた紅葉の名所を料理名にするという、見立てという遊びになっている。「料理珍味集(1764)」も同様である。どちらも徹底的に料理を風雅な遊びとして位置づけている。
こんなものがあるのか。食べてみたい。そんな欲求に火をつける。現代でもグルメ番組が人気であることと同じである。どちらも5巻で230種。合わせて10巻460種が掲載されている。
こうして日本で始めて庶民を巻き込んだグルメブームが始まるのだ。このグルメブームを背景に出版された書籍がある。世にいう「秘密箱シリーズ」と「百珍シリーズ」である。
まずは、1782年に「豆腐百珍」が出版されると、一躍大人気となる。翌年の1783年には「豆腐百珍続編」も登場する。どちらも大阪の春星堂藤屋から出版されていたのだけれど、翌年の1784年には江戸で類似本として「豆腐集」が登場する。すぐに、春星堂藤屋が版権を買収して「豆腐百珍余録」として発売。いずれも大ヒットとなり、掲載された豆腐のレシピは合わせて278種である。どれだけ人気だったのであろうか。
この後、これを見てブームに乗ろうと別の書店から「鯛百珍料理秘密箱」「大根料理秘密箱」「万宝料理秘密箱」の3冊が出版される。1785年のことだ。万法料理は鳥料理、卵料理、川魚料理が網羅されている。大阪を発信源として広まったグルメブームは、当然江戸へも拡散していく。1787年に「江戸町中喰物重宝記」が刊行される。1789年の「甘藷(イモ)百珍」、1795年の「海鰻(ハモ)百珍」へとつながっていくのだ。
さて、このグルメブーム。現代人の感覚で捉えると、鯛やハモが人気なのはわからなくもない。卵料理もそうだ。豆腐も美味しいことには違いないが、なぜ豆腐が一番最初なのだろう。しかも、3冊も出版されている。他の料理本はないのに、だ。
そもそも、世界中の料理本を見渡してみても「豆腐百珍」は2つの点で世界初の料理本なのだ。ひとつには、食材を一つに絞ってそのバリエーションを楽しむという趣向。もう一つには料理だけでなく、食材に関する知識や詩文が掲載されていて、料理を観念的に楽しむというスタイルを提唱したこと。料理本のスタイル変革にとどまらず、料理の楽しみ方に大きなインパクトを与えたことは間違いないのだ。これに選ばれた食材が「豆腐」であることに、何か必然性があるのだろうか。
それだけ、豆腐の人気が高かった。また、一般庶民でも食べられる食材として広く普及していたから、マーケットが育っていた。という見方もできる。だが、その後に鯛やハモ、大根料理や卵料理が続くわけだ。仮に鯛やハモが高級食材で料理本マーケットが小さかったとしよう。だとしたら、大根が最初でも良いし、現代人の感覚からしたら卵料理の方が適しているようにも思える。結果論だが、鯛百珍もハモ百珍もヒットしているのだから、そちらが先でも良さそうにも思える。鯛は日本料理を代表する食材なのだから。
そうやって考えると、江戸中期の日本人にとって豆腐とはどのような存在だったのだろうか。グルメ本のあとには、化政文化(1804-1830)の時代がやってくる。現代人が創造する最も華やかな江戸文化の時代である。時代劇や落語などに描かれるのは、ほとんどがこの化政文化の前後である。北斎、広重、十返舎一九といった有名人が続々と登場する。
町には行商人が溢れかえり、みちみちに売り声が響く。「あーイワシっ!イワシっ!」「とんげー、とんがらっし!」「なっとなっと~ぉ」などと言う声の中に、もちろん豆腐を売り歩く者もいた。「と~ふ~♪」。めったに聞くことが出来なくなったが、昭和の終わりごろには真鍮のラッパを吹きながら豆腐屋さんが住宅街へと売りに来たものである。その音階が、売り声の「と~ふ~♪」である。落語の中で「最近では横着してトーフと言わなくなっちゃって、ラッパでごまかしてたりなんかして」と言われているのが興味深い。それが、テープレコーダーになり、自転車やリヤカーだったものが軽自動車になった。そのうち、売り歩くこともなくなって、消費者のほうが買い物に出かけるようになったのだ。今はスーパーマーケットでパック入りの豆腐を買う。
豆腐は決して目立つ存在ではない。脇役になってしまうことも多い。鍋物や煮物では、主役は他のものであることも多いのである。一方で、湯豆腐、奴豆腐、田楽など、しっかり主役である料理もちゃんとある。油揚げになったり、白和えになったりと変形して利用されることもある。精進料理では欠かせない食材でもある。
近年では、日本でも再び豆腐が健康食として見直され、その味にも注目が集まっている。日本だけでなく、世界中でTOFUが広がっているのだ。これにともなって豆腐レシピを扱った書籍は無数にあり、いろんな言語で出版されている。東アジアはもちろんだが、様々な国の食文化に融合して、新たな料理として定着してきているのだ。まるで、豆腐百珍が大ヒットしたかのようだ。
なぜ、豆腐がこんなにも人気を持つのか。現代日本人にとっては少々不思議かもしれない。身近すぎてピンとこないというのが正確なところかもしれない。
そこで、歴史的文脈や地域の民族性、栄養などの見地から豆腐というものを見てみることにしたい。「いったい豆腐とは何者なのだ」