今日のエッセイ-たろう

わかった気がしたのに、語れない。—理解を自分の言葉にするために

2026/5/6

「なんだか、すごく良いことに気がついたと思ったんだけど、なんだっけ。」なんて経験はないだろうか。とくに、飲み会の記憶はとても曖昧。喋った内容もぼんやりしているし、思い出したところで大した内容じゃなかったりする。会話なんてそんなものだ。 これまでに、仕事やポッドキャストでいろんな人と対話をしてきた。とても良いことを教えてもらったこともあるし、会話の中から生まれてきた良いこともある。もちろん、飲み会に比べればずっと記憶ははっきりしている。「じゃあ、どんな話だったの?まとめてみて。」と言われると、けっこう困る。 ...

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今日のエッセイ-たろう

なぜブリ大根はうまいのか — 日本式「脂との付き合い方」

2026/4/30

鰤と言えば脂の乗った寒ブリが有名だけど、冬だけが食べ頃というわけじゃない。春の鰤だっておいしいのだ。産卵に備えてしっかり栄養を蓄えた春の鰤は、卵を抱えていることもある。東南海エリアでは、春も鰤の旬なのだ。いろんな料理で楽しめるのだが、今日は定番のブリ大根も作ってみた。 鰤と大根の相性は抜群である。理屈抜きでおいしい。だけど、どうしてこの組み合わせがおいしいのだろう。 鰤と大根の相性 大根といえば、ジアスターゼという消化酵素がよく知られている。胃もたれや胸焼けを防いでくれることから、昔から「毒消し」と言われ ...

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今日のエッセイ-たろう

リズムは大切だが、それだけでは足りない「間」の正体 —俳句と料理に宿る余白

2026/4/22

日本で一番有名な俳句と言えば、松尾芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」だろうか。まるで興味のない人でも口ずさめるかもしれない。松尾芭蕉の時代には俳句が存在しないので、正確には「俳諧の連歌の発句」なのだけれど、今回はわかりやすいので俳句としておこう。 「古池や蛙飛び込む水の音」の凄いところ 俳句や和歌というのは、「声に出して耳で聞く」ことが前提となっている。文字を見ると、文字数が少ないからか、ほとんど同時に全体の情報が飛び込んでくる。耳で聞くときには、次の声が聞こえてくるまで情報がない。つまり、時間の流れが大切 ...

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今日のエッセイ-たろう

なぜ私たちは、イチゴを「狩る」のか。 —レジャーを作った「狩り」という言葉

2026/4/14

ふと、新聞の折込チラシが目に入った。そこには、鮮やかな色で「イチゴ摘み」と書かれている。 鮮やかな色、としか表現していないのだけれど、多くの人は赤やピンクを想像しただろう。不思議なものだ。無意識にイチゴの色に寄せてしまうのか。それとも、これまでに見た似たようなチラシで使われていた色の傾向が影響したのか。はたまた、鮮やかな色という表現が特定の色を思い起こさせるのか。 イチゴ摘みとイチゴ狩り イチゴ摘みという表現は、比較的めずらしい。どちらかと言えば「イチゴ狩り」のほうが一般的だと思う。友人がイチゴ農園をやっ ...

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今日のエッセイ-たろう

私たちは同じ世界を見ているか。

2026/4/10

家のすぐ外で、娘がグズりだした。一度へそを曲げて、動かないと決め込んだらちょっとやそっとでは動こうとしなくなる。妻が近くにいれば対応は違ったのだろうけど、あいにくそばにいるのは私だけ。下手に近づけば「父ちゃんはあっちに行って」と、さらに機嫌が悪くなる。「頑固なところは誰に似たんだろうな」と思ってもみたけれど、その考えもすぐに空に溶けていった。 仕方がないので、ただじっと側にいることにした。急ぎの仕事があるわけではなく、幸いなことに天気も良い。こうなれば持久戦だ。私もだんまりを決め込んだ。近くの林で木々が揺 ...

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今日のエッセイ-たろう

和食はなぜ「水の料理」なのか。

2026/4/1

「和食は水の料理」だと聞いたことがある人も多いだろう。「中華料理は火の料理」と比べれば、なんとなくそんな気もしてくる。だけど、具体的にはどういうことだろうか。 直接的な水の影響 水の料理と言われて、一番最初に思い浮かべるのは「ダシ」。昆布と鰹節の合わせだしが有名だけど、他にもいろんなダシがあって、和食では欠かせない存在だ。ダシの味は水の良し悪しに大きく左右される。 まず第一に、ダシは水を飲むことと直結している。一般的なダシの場合、ダシ成分は全体の数パーセント程度しかない。例えば、味噌汁を飲んでいる時、その ...

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今日のエッセイ-たろう

芸術と工芸は、どこで分かれるのか。

2026/3/26

芸術、美術、工芸、民芸。言葉そのものは耳にしたことがある。だけど、ちゃんと違いを説明しようとすると、これがなかなか難しいのだ。ふと思い立って調べてみることにした。 「芸術」と「美術」という言葉について 実は、どの言葉も日本語としては新参者らしい。芸術と美術は、それぞれアート、ファインアートの訳語として作られたのだ。アートと芸術が対応しているというのはわかる。だけど、漢字をよく見るとアートに対する向き合い方が現れているようで面白い。芸の旧字体である藝は「人が両手に持った植物を土に植える様子」を表している。そ ...

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今日のエッセイ-たろう

世界は「だいたい同じ」で回っている—「見なす」から「見分ける」へ

2026/3/17

わかっていても、つい二度見してしまった。ガソリン価格が30円も上がれば、それはびっくりする。はっとするというより、実生活と直結することで危機感が”体験”になった感覚。 戦争の影響で、原油の供給量が減少。ただでさえ、OPECによる供給調整や油田開発への投資減少、産出コスト増で価格を押し上げられ。この状況で、これは痛い。中東情勢は原油価格の「急騰」を引き起こした。しかも、原油はドル建てで買うことになるから、円安であるということはかなり不利に働く。さらに、価格上昇を見越した先物投資が価格を引き上げる。 現代社会 ...

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今日のエッセイ-たろう

なぜ私達は、無駄を愛してしまうのか。

2026/3/6

「料理は遊びだ」という考え方を前提に日々料理を作っている。だからこそ、そこに文化が生まれるのだと。そんなふうに考えているのだ。これは時々書いていることだから、読者の中には覚えている人もいるかも知れない。今回は、日本の食文化に埋め込まれた遊びについて、その思想のルーツを考えてみたいと思っている。 合理性の高い食 ホモ・サピエンスにとって、最も合理的な食ってどんなものだろう。シンプルに考えれば、「健康的に生きるために必要な栄養素を摂取する」ことが、最適解。それと同時に、余計なものを摂取しないことも大切だ。体に ...

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今日のエッセイ-たろう

飽きる味、飽きない味—おいしさは揺れている。

2026/3/4

「ブッダの耳錯覚」という言葉を聞いたことがあるだろうか。自分の耳が、まるで仏像の耳みたいに伸びたと感じるという錯覚である。やり方は簡単。二人一組になって、相手の耳たぶをつまんで軽く下に引っ張る。それと同時に反対の手で、耳が伸びたらこんな感じだろうという動きをする。右手で耳をつまんだら、左手を耳から胸元にかけてスライドするだけ。端から見れば、一体何をやっているのだろうと思うのだけれど、不思議なことに耳を引っ張られた本人は「見えない耳が伸びている感覚」になるのだという。 感覚も、けっこうあてにならない ロジッ ...

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