どんなものにも「基礎」「基本」というものが存在している。存在しているのだけれど、それはもしかしたら現代だからかもしれない。元々、基礎などという概念なんかはなかったはずだ。それが、いつの時代のことだったかは、それぞれのカテゴリによって違う。コンピューター技術の基礎というものが中世...
知識というのは、読解力を助けるためのツールだと思う。誰かにひけらかしてマウントを取るのも良いけれど、それで尊敬を集めるのもいいけれど、それだけじゃもったいないんだろうな。...
昨日からの続きです。...
お茶の話をしたのは、もうずいぶん前になる。たべものラジオの第3シリーズ。あの頃は、色々と試行錯誤の中だったなあ。今思うと、調査の課題もあって物足りない部分もあるし、逆に功を奏していい感じに情報が削ぎ落とされているようにも聞こえる。どちらにしても、力量不足。まぁ、だからといって今...
子供の頃から「歴史物語」は好きだった。というほどのことはない。そもそも、小中高と通じて歴史科目は苦手だった。オモシロイと思ったことがない。きっと、日本史も世界史も、ちゃんと先生の話を聞いたら面白いのかもしれない。そういえば、高校時代の世界史の先生は、楽しそうに古代ローマを語って...
「このあたりは何もない」という一言に、違和感を覚える。「何もない場所なんて無いよ」というと、なんだか口先だけの良いことを聞いたような感覚になるらしいのだけど、大真面目にそう感じているんだよね。...
日本料理の変遷について勉強していたら、思わぬところにたどり着いてしまった。もう少し「フォーマット」の部分にフォーカスするのかと思ったら、思想とか精神性とか美意識といったものがその軸にあることがわかったんだ。どうやら、日本料理の世界観においては、そちらのほうが重要らしい。...
昨日の続きです。 芸術という言葉は、明治時代になってアートの和訳として作られた言葉だという話をした。そして、芸術は目的を持たない美の表現という定義があったということだった。さて、同時期に登場した「工芸」ってのは一体何だというのが今日の話。...
もうずいぶんと前のことになるけれど、少しばかりアメリカに留学していたことがある。それなりに学校に通って、友達と遊んで、日常生活を送って、外国人として生活していた。その頃、アメリカという国に対して感じたのは「ここは自由の国ではなくて、自由と自分勝手を勘違いしている国だ」ってことな...
発言を切り取られる。有名人の発言の一部が失言として報道される。というのは、今に始まったことではないけれどね。なんだか世知辛いよなあ。確かに、それを言っちゃあ駄目だろうということもある。けれども、しっかりと発言の全体を聞いてみると、そんなにひどくない。細かな表現については、ところ...