掛川三城物語② 2024年6月14日

明治時代、剣豪中條景明の陣頭指揮によって牧ノ原台地は大茶園への道のりを歩み始めた。現在でも一面に広がる茶園を眺めることが出来るし、眼下には雄大に流れる大井川と島田の町並みが広がっている。ふじのくに茶の都ミュージアムがこの地にあるのは、そういった歴史があるからなのだが、ミュージアムから少し西へ行ったところに諏訪原城址がある。

家康が掛川城と高天神城を手に入れたとき、武田信玄が築かせていたのが諏訪原城である。東からやってきて、大井川を渡ってすぐのところ。これによって大井川は、武田の支配下に置かれた。しかも、諏訪原城に武田の軍勢が常駐することで、掛川城の兵士たちは身動きが取れないのである。もし、武田が高天神城を攻めたとしても、掛川城から援軍に向かうことが出来ない。そんなことをすれば、諏訪原城の軍勢がたちまち掛川へと押し寄せるからだ。そのために作られたのが諏訪原城である。

そして、ついに武田信玄が動き出す。京を目指して進む間に、多くの城や砦が武田方に落ちていった。掛川城はその様子をなすすべなく見守るしか無い。周辺の城が武田方に落ちてしまえば、難しい掛川攻城戦など必要がない。無視して進むだけのことだ。

天竜川の上流で、流れが2つに分岐するところがある。ここには二俣城があった。小さな城だが、浜松城にとっては重要である。浜松は天竜川の支流が流れていて、水はもちろん山から切り出した木材も水運で支えられていた。もし、天竜川の上流域を抑えられると、川を伝って攻め込まれてしまう。二俣城が武田方の手に落ちたら、浜松城などは簡単に落とされてしまうのである。武田信玄の嫡子勝頼が二俣城を攻めこみ、抵抗むなしく落城する。

武田信玄は、上洛の際家康のいる浜松城を無視した。これに立腹した家康が城を出て武田信玄に戦いを挑んだのが三方ヶ原の戦いと教科書にある。ボロ負けした家康が逃げる馬上で脱糞したことは有名な話である。信玄が家康を無視したのは、浜松以前の段階ですでに「詰んで」いたからだ。天才武将と呼ばれる信玄にとって、家康は子どものように見えたのかもれない。

武田軍による高天神城攻略の戦いは何度も繰り返されていた。信玄が病死したあとも、それは続き、ついに高天神城が落ちた。たった一箇所だけ、斜面が緩やかになっているところ。その一点を見つけ出したのだ。城主の小笠原氏は武田の軍門に降った。

これによって、小笠原氏のもうひとつの居城であった馬伏塚城(マムシヅカジョウ)は、無人となる。家康はここを接収。大須賀氏を配置して高天神城攻略の拠点とすべく準備を進めていった。現在の馬伏塚城跡は海岸から5kmは内陸にあるのだが、実はここも海に面していたのだ。湿地のような潟が内陸に食い込んでいて、その一番奥まったところに建てられている。湿地の痕跡をわずかに残しているのは、南東に向かって流れる川の存在である。そして、興味深いことにこの川に沿うようにして、馬伏塚城、岡崎城、横須賀城が並んでいる。

どうやら、家康は武田との攻防ラインをこの潟に設定したようだ。潟の一番奥にあった馬伏塚城が拠点となったのだが、困ったことに、少しずつ少しずつ潟の水が干上がっていく。水位が下がってしまえば舟が使えない。で、少し南東に岡崎城を築城するのだが、そこもまた舟が入れなくなってしまい、とうとう海岸沿いに横須賀城を築くこととなったのである。

海運を駆使して物資と人員を投入した家康軍は、高天神城の周囲に付城を築いて包囲する。わざわざ高天神城よりも低い丘に人を配置したのは、食事している様子をよく見せるためである。包囲された武田軍は飢えに耐えているのに、あっちの丘では宴が行われている。難攻不落の城は、人の心の内側から落とされていった。

家康が高天神城を攻略することが出来たのは、ひとつには先に諏訪原城を落としていたことであり、もうひとつには長篠の戦いで勝利したことだった。織田徳川連合軍との戦いで壊滅的な打撃を受けた武田軍は、もはや諏訪原城を取り返すどころか高天神城へ援軍を送ることが出来なかった。浜松城を抑えていたはずの二俣城は孤立し、安全な退去を条件に開城されることになった。こうして、遠江は家康の手によって統一されたのである。

今日も読んでいただきありがとうございます。それぞれの城は盤上の碁石のように機能していたんだ。戦国時代の戦いって戦闘ばっかりが注目されるところがあるけれど、それは一部に過ぎなくて、じっくり情勢を動かしていたんだね。

記事をシェア
ご感想お待ちしております!

ほかの記事

コミュニティとかコミュニケーションとか。 2024年7月15日

お気に入り登録 どうやらぼくは、コミュニティとかコミュニケーションというものに強く興味を惹かれるらしい。自覚はなかったのだけれど、これまでの仕事を振り返ってみると、ひとつの共通項のように浮かび上がるキーワードのようだ。まるで他人事のような表現になってしまった。...

「何を考えるべきか」を考える。 2024年7月10日

お気に入り登録 しばらく前に「イシューからはじめよ」という本が流行したのだけれど、このタイトルは「先ず隗より始めよ」をもじったものだろうか。解ではなく、何を問題として考えるべきか、つまり課題設定から始めよう。隗を解に置き換えているのだとしたら、気の利いたタイトルだと思った。...