仕事帰りに居酒屋で一杯。差し出されたおしぼりで顔を拭いたら気持ちいいだろうな。ということは、たぶんみんな知っている。けれども、そんなことは出来ない。マナー違反だと知られているからなのか、それとも周囲の女性に冷ややかな視線を送られるのに耐えられないからなのか。とある女性の友人に言われたことが有る。「私だってホントはおしぼりで顔を拭きたい。絶対気持ちいいもん、ホットタオル。女性はね。化粧をしているから出来ないの。」
日本では、マナー違反とされている行為だけれど、海外ではどうなのだろう。
実は、海外のレストランに「おしぼり」は無い。そう、無いのだ。無いから、おしぼりの扱いに関してのマナーも存在しない。おしぼりが提供されるのは、せいぜい飛行機に乗ったときくらいだ。それもビジネスクラスかファーストクラス。
日本の飲食店が提供する「おしぼり」は、ビジネスクラスに匹敵するサービスなのだ。
日本でおしぼりが提供されるようになった歴史はとてお古い。一説には、少なくとも平安時代には存在していたという。外食産業が生まれるよりも前のことだから、貴族社会でのおもてなしであったり、宿で提供されていたのだろう。
日本における飲食店の始まりは、門前茶屋、煮売屋、一膳飯屋などである。それは事実だけれど、自炊の対義語としての外食という意味では、その対象は飲食店に限らない。つまり、知人友人宅でのお呼ばれも外食のうちだし、宿屋で供される食事も外食である。金銭などの対価が発生するという意味では、その元祖は宿屋になるのかもしれない。
国風文化が広まってからの日本の建物は、寝殿造りになった。というのは貴族社会の話だけれど、けっこう広く「床下の有る家」が浸透した。それまでは土間に直接家具を置いていたのだ。というと、ちょっとびっくりするかもしれないが、現代でも西欧建築はこの延長上にあることを思えば不思議はない。これに比べて、地面と床の距離がずっと離れたのが日本建築を特徴づけている。
これがどの程度影響しているのかはわからない。わからないけれど、屋外の汚れを持ち込まないような生活習慣につながったのじゃないかと思う。旅人の足元と言えば、足袋と草鞋。足の甲が木綿で出来たスニーカーに近いが、ソール部分はわらを束ねたものだ。こんなもので土の上を長時間歩けば、足は泥まみれになるのは当たり前のこと。そうでなくても、半日も歩いていたら顔も手も足も、土や砂などのホコリが付着するのだ。現代人でも、これは同じ。都会などであれば、排気ガスなどの汚れも付着するからもっと大変かもしれない。
とにかくそんな状況だし、水道施設がどこにでも有る時代じゃない。だから、宿屋について最初のおもてなしが「手ぬぐいと洗い桶」なのだ。ぜったい気持ち良いでしょう。これが、日本の「おしぼり」のルーツ。どんな使い方をしていたのだろう。詳しく調べないと正確なところはわからないのだけれど、きっと顔も吹いたんじゃないかなあ。女中さんにおしぼりを渡されたら、まず顔を拭く。首周りも拭っただろう。だって、ホコリまみれだもん。で、足袋を脱いだら洗い桶で足を洗う。そこんとはちゃんとしないと室内がジャリジャリになっちゃうからね。
あれ?おしぼりで顔を拭くのって、ホントにダメなのかな。という気になってきた。どうなのだろう。まぁ、今と昔を一緒にするのは無茶なんだけど。どこから変わってきたのかな。最初からなんだろうか。
それはさておき。日本のおしぼりは「食事の前に身を清める。」という感覚だったのかもしれない。神社へいくと、門前に手水場があるが、それと似ている。そう言えば、日本という国家の成り立ちは「食べる」から興ったという話がある。コメを作る。食べ物を用意する。行動するのはみんなだけれど、みんながちゃんと食べていけるように集団をまとめたのが大王だという。古事記の日本神話でも、食事はとても大切だし、神様との共食はとても重要なことだったな。
などと、妄想がどんどん広がっていく。現代でも、ぼくら日本の民は食を神聖なものとしていて、どこかで自然や神との共生を感じているのかもしれないよ。おしぼりって、その精神性の一部が顕在化したものかもね。
今日も読んでくれてありがとうございます。うちの店でも意見が割れるんだけど、ぼくは「何よりも先におしぼりを持っていく」ってことにしたいんだ。それは、上記の流れで考えているからかもしれない。反対意見だと、そう何度も部屋に来られると鬱陶しいのでは?というもので、まぁそれもわかるんだよね。あなたはどっち?