キホンのキ 2024年6月25日

ずいぶんと前のことだ。まだ若かった頃、音楽にのめり込んでいたことがある。毎日何かしらの音楽を聞いていたし、時々レコード店に足を運んでいた。新しいものを追い求めるというわけじゃなかったけれど、何度も聞きたくなるような音楽に出会いたくて通っていた。聞くだけじゃなくて、自分でも演奏を楽しんでいた。

ドラムを演奏するようになったのは、中学生の頃。好きだったからというよりも、面白そうだったから。仲の良い友達と面白そうなことをやりたかっただけ。そんなきっかけだったから、上達するスピードも遅く、プロのカッコいい演奏を真似しようとばかりしていた。それでも何年か続けていると、それなりに形になってくるものだ。

メンバーを募集していたあるバンドに加入したのは、19歳のときだった。自分で言うのも何だが、そこそこ器用なのでそれなりの演奏ができてしまった。で、ちょっと調子に乗っていた。ある時、たまたま知り合った方が同じ楽器をプレイしているのを間近で見たとき、妙な違和感を覚えたのだ。もちろん、それまでにもコンサートに行ったことはあるし、ぼくよりもずっと上手なひとの演奏を間近で見たこともある。その方も、ぼくよりずっと上手なのは間違いないのだけれど、よくわからないままに目が離せなくなってしまったのだ。

何度かお互いの演奏を見る機会があって、同じ楽器だということもあって自然と会話するようになった。たぶん、ぼくの方から声をかけたんじゃなかったかな。そのうちに、その方に演奏を教えてもらえることになった。

二人きりでスタジオに入る。好きなCDを持っておいでと言われていたので、持参した曲に合わせて演奏する。それを聞いて「うん。わかった。次はこれ」。言われたとおりに演奏する。「なるほどね。じゃあ次。」といった具合に、その方の前で演奏をする。そして、最終的に指示されたのは「そこのスネアドラムと椅子を持ってこっちにおいで」である。カッコいい演奏を教えてもらうつもりでいったのに、ドラムセットから引き離されてしまった。

ただひたすら叩く。連続して叩くのではなく、一発叩いては、スティックの軌道や叩いた後の構えがどうなっているかを確認し、思い通りの音を鳴らせたかどうかを確認する。数十分のあいだこれを繰り返すだけの練習だったのだけれど、どんな激しい演奏よりも疲れたのを覚えている。次のレッスンでは、メトロノームを鳴らしながらメトロノームの音が聞こえなくなるという練習。太鼓の音がピッタリと重なると、メトロノームのカチッと言う音は聞こえなくなるのだ。1秒に1打。けっこう遅い。ある程度出来るようになったら、次のレッスンが待っているわけだけれど、これまた死ぬほど地味なことばかり。

ある時、こんなことを聞いてみた。「どうやったら早く叩くことが出来るんですか?」「そんなの決まっている。手足を早く動かすんだよ。」なにかコツのようなものが聞けると思っていたぼくは拍子抜けしてしまったのだけれど、それからしばらくしてその意味の本質を理解することになる。

練習のためにバンドメンバーとスタジオに入ったときのことだ。練習の合間に、ギターと即興演奏をして遊んでいたのだけれど、ふいにメンバーが一斉にこっちを見たのである。何事かと思ってポカンとしていると、「今のなに?」と声をかけられる。「いや、今のプレイどうやったの?」。自分では気が付かなかったけれど、なにかスゴイことをやったらしい。偶然だから二度と再現など出来ないのだけれど、メンバーが言うには「偶然だとしても、そんな動きは出来ない」そうだ。

地味な基礎練習を、気が遠くなるほど繰り返す。そのうちに、集中しなくても集中した状態をキープできるようになるし、楽器を見なくても手足が勝手に動くようになる。その先に、華やかな世界が待っているんだっていうことを、その方に教えてもらったのだ。

基本が大事。ってよく言うよね。大切っていうか大事。もう繰り返し体を動かすしか無いんだよね。一瞬のブレすら気になっちゃうくらいに敏感になるから。頭でわかったつもりになっていて、そうだよねって相槌を打ったりロジックを重ねても意味がないのよ。だって、身体知なんだから。

今日も読んでいただきありがとうございます。アタリマエのことなんだけどね。すぐサボっちゃうんだよ。だから、時々こうして意識しないとやらなくなっちゃう。古い記憶を呼び出しては、「そうそう、これだよ」ってね。今日はそういうはなし。

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