今日のエッセイ-たろう

「動き」「動詞」が楽しみを作っている。 2024年3月26日

世間は春休み。あちこちで子供連れの家族を見かける季節だ。ショッピングモールも、近所のスーパーマーケットも、アミューズメント施設も、いたるところで子供の声がする。長期休みでなくても土日ならば代わり映えのない光景なのかもしれないけれど、平日休みのぼくらにとっては年に数回やってくる体験である。

長期休みでもなければ、日中から子どもと一緒に出かけられるのはほとんどない。というのが、平日休みの人たちの日常なのだ。世の中の大半は、土日休みに合わせてシステム化されているから仕方がないのだけれどね。それに、土日に一斉に人々が仕事以外の活動をするからこそ、ぼくらのようなサービス業は売上が集中することになるし、土日に働くようになるわけだ。

その結果というか、反動というか、サービス業に従事している人は、仕事以外で人混みに遭遇することがあまりない傾向があるように思う。そりゃあ、田舎と比べれば、都会の平日はお祭り騒ぎのような人混みだけれどね。なんだか相対的に、平日休みの人のほうが人混みに苦手意識を持っているような気がする。慣れていないのだろう。

春休みなどの長期休みは、少しばかり人混みを体験する季節になる。それはそれで楽しい雰囲気が拡散されているようで、悪い気はしない。

人がたくさんいると、行列に並ばなくちゃいけなかったり、思うように歩けなかったり、いろいろと面倒なことはある。けれども、それも悪くはない。むしろ楽しみさえ感じるかもしれないのは、そこに「動き」があるからだ。

まったくお客さんのいないディズニーランドを想像してみると、楽しくなさそうだ。なんなら、若干の恐怖を伴った寂しさを感じてしまいそうである。無人のアトラクションが動いているのも寂しさを助長するけれど、それすらも動いていない光景はもはやディズニーランドと呼ぶことが憚られるくらいに思える。

ぼくらは基本的に「動き」を感じながら生きていて、楽しみや情緒なども動きの中にあるのだろうと思う。だから、なにかしらの事業を行うときには「動詞」を意識するし、動きをイメージするようにしている。観察するにしても動きを見るし、アイデアを考えるときも動詞を意識する。あくまで経験則でしかないのだけれど、これは結構重要なポイントのはずだと思っているんだ。

まちづくりで見られるのは、ブランドや店をただただ並べてしまうことによる失敗。ビルを建てて、テナントを募集して・・・。それって名詞を並べている感覚なんだよね。そこに集う人が「作り出す動き」が欠けている。動きがあるから、そこに楽しさを感じて人が集う。言い換えれば、動詞こそが人を引き寄せる。

心の動きももちろん対象なんだけど、物理的な体の動きとしての行動がメインかな。体を動かすようなことがあるから、心も動くようなことってあるから。相互に関係し合っているのだろうけれど、事業などのデザインとしては物理的な行動を軸に考えるのが良い気がしている。

今日も読んでくれてありがとうございます。一人でカフェに行ってボーっとする。スマホもPCも本も置いて、壁に向かってボーっとしているのは難しい。端から見てもちょっと不気味。街の風景や風に揺れる草木は、どういうわけだかずっと見ていられるんだよね。ぼくらは動詞の中で生きているんだ。

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武藤 太郎

1988年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ、カルフォルニア州の大学留学。帰国後東京に移動し新宿でビックカメラや携帯販売のセールスを務める。お立ち台のトーク技術や接客技術の高さを認められ、秋葉原のヨドバシカメラのチーフにヘッドハンティングされる。結婚後、宮城県に移住し訪問販売業に従事したあと東京へ戻り、旧e-mobile(イーモバイル)(現在のソフトバンク Yモバイル)に移動。コールセンターの立ち上げの任を受け1年半足らずで5人の部署から200人を抱える部署まで成長。2014年、自分のやりたいことを実現させるため、実家、掛茶料理むとうへUターン。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務める。2021年、代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなどで活動している。

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