今度一緒にご飯でも行きましょう。というのは、よく聞く社交辞令のひとつだろう。付き合いの中で、物事を円滑にするために言うこともあれば、本音で言うこともある。また会いたい。その時は本当にそう思っていても、なかなか良いタイミングが見当たらずに実現しないままにときだけが過ぎていくということもある。
良いタイミングって、なんだろうな。書いていて、ちょっと不思議な気分になった。日常のルーティーンから外れるのが億劫なだけかもしれないな。本当に会いたいと思ったら、会いたいから食事にいきましょうと言えば良いのに。それが出来ないのだから、自分自身がおかしな生き物に思えてきた。
知人の僧侶が、研修かなにか出会った老僧から「また、遊びにいらっしゃい」と言われて、ホントに押しかけて行ったそうだ。そしたら、いつの間にか親しい友人関係になって、長い付き合いになったんだって。よく店に来られていた二人は、いつも楽しそうに法論に花を咲かせていた。
「食事」というのは、口実なんだよね。ホントは会いたい。会って、話をしたい。もっと言えば、同じ空間で一緒に時を過ごしたい。会ってどうするの?じゃなくて、会うことそのものが目的なんだよね。ちょっと照れくさい言い回しになりそうだ。
食事以外だと、花見の桜だとか、映画館で映画を見るだとか、美術館に行くといった「口実」がある。みんな似たようなもんだよね。デートに誘うにしてもさ。「前に◯◯が好きだって言ってたよね。いい店見つけたんだ。」とか言って、いい感じに口実に使うのと一緒かも。
口実と言えば、たしかに口実なんだけど。それが、お互いにとって興味のあるものとか、好きなものだったら楽しいよね。お互いのことをあまり良く知らない時は、ニッチなものは共有しにくい。昆虫が好きな人同士だったら、虫の博物館に行くとめちゃくちゃ盛り上がるかも知れないけれど、一方が苦手だったら成立しないもんね。なるべく大勢の人が「良いな」と感じることを「口実」にするのが無難。と思うと、食事というのは、最善の選択のように思えてくる。
ちょっと前に、3番組合同オフ会を開催した。よく聞いている番組のポッドキャスターに会う、というのがあるかもしれない。気持ちはわかる。ぼくも、リスナーの一人としてそういう気分になるからね。一方で、ぼくらは「口実」なんだろうなとも思う。
コミュニティのオフ会。まぁたべものラジオでは、ぼくらが演者なので、ぼくらが看板になるわけだ。それはそういう役回り。花見の花みたいなもんで、最初のうちは花を愛でるかも知れないけれど、「花のある風景」の中で、「好き」を共有できる人と「一緒に過ごす」という状態になる。大抵の花見って、ただの飲み会みたいになっちゃうよね。じゃあ、花がなくても良いのかというと、そうじゃない気もする。その風景は大切な要素なんだろうな。
僕らの存在なんか忘れたようにコミュニティの中で交流が加速していく。めちゃくちゃ素敵なことだよね。って、この話は前にも書いたな。番組の中でも言ったかも知れない。ま、良いか。こういうコミュニティのスタイルがぼくは好きなんだ。だから、違う話を書いていたつもりなのに、同じところにたどり着いてしまうのだろう。
今日も読んでくれてありがとうございます。コミュニティ運営とか、ちょっとよくわからない。どんなことをしたら良いのかな。もう少し、リスナーさんのお便りを紹介したり、直接会えるきっかけを作ったりしたら良いのかな。