「茶色ってどんな色?土の色なのに、なんで色の前はお茶なんだろうね。」
「お寿司ってもっと大きかったんだよ。もっと前はドロドロしてたの。」
「むかし魔女狩りで火あぶりの刑ってあったんだけど、ジャガイモも火あぶりの刑になったんだ」
なんでも良いけど、面白そうなフックってあるよね。いつも収録前に考えるんだけど、これがなかなか浮かんでこない。上手な人の話を見聞きするたびに、すごいなあと感心してばかりだ。興味が湧くと、その話を聞いてみたくなるし、調べてみたくもなる。ぼくらはポッドキャストとして、演出のためにという意識があるけれど、勉強も良いフックがあると入りやすいんじゃないかと思う。
時々、リスナーさんから「歴史は苦手だったけど、食の視点から入ったらわかりやすい」というコメントをいただくことがある。それ、すごくよく分かる。ぼくがそうだから。元々歴史はストーリーとして好きなんだけど、食を通してみたらもっと身近になる感じがするんだ。ジャガイモを手にとってまじまじと見てしまう。蕎麦屋に入れば、頭の片隅に二八そばの屋台が浮かんでくる。つまり、「眼の前の実物と歴史が繋がっている」という感覚。「そうなんだ。だからこうなっているのねぇ」という納得感もある。学びって、そういうつながりが見えることが大切なのかもしれないねぇ。
先日、掛川三城物語っていうのを書いてみたんだけど、あれもそうだよね。散歩したことがあるとか、知り合いが住んでいるとか、なにげなく日常で触れている場所が、直接歴史と繋がっている。「えー、そうだったのー」という感情が好奇心を呼び起こすことになる。
妹が地元の子供達の学びを支援するチームにいるんだけどね。中学校で講演したらいいのにって言うんです。食のことも知ってほしいし、教育も総合学習になってきたことだから確かに役に立つかもねって思う。「それもそうだけど、何より学習の入口になる」というのが彼女のはなし。歴史もそうだし、社会がどうなっているのかってことも、もしかしたら植物に興味を持ったり農業に興味を持つかもしれない。そうなったら、もっと学ぶことそのものが面白くなるはずだし、日常生活でも気づきが増えるかもしれない。絶対じゃないけれど、可能性は上がるよね。
そう言われてみれば親和性は高いかも。学校で歴史の話をしますって言うと、いやいや学校の授業でやるんでいいですってことになるかもしれない。だけど、お茶の話をしますってなれば、じゃあお願いしますと言ってくれそうだ。君の住んでいるところで、日本初の機会式製茶工場が誕生したんだよ。なんてことになれば、面白い。
たべものラジオの知名度はあまりないし、地元では料理屋さんとして知られるのみ。むろん、書籍を出版したこともないので、学校側としては呼びにくいところがある。そう言われてみれば、過去の講演はすべてまちづくりや観光のことで、行政と協業した実績があるから招聘されていたんだろうね。いま、妹が一生懸命にポッドキャストを勧めてくれていて、聞いてくれたら意味がわかるっていうプレゼンしてるらしい。大丈夫かな。彼女、たべものラジオ聞いてないんだけど。
今日も読んでいただきありがとうございます。ぼくが講演したら中学生や高校生にとって有益なのかな。どうなんだろう。社会貢献という意味で、一度やってみたい。ダメだったらダメで、それは本当に申し訳ないことになるんだけど。なにかしらの意味があるのなら、フックのためのコンテンツ作りもしたら良いってことよね。関係者で呼びたいっていう方がいたら、連絡ください。これはホントに真面目な話。