厨房の中は、いつもギラギラしていて熱気が有る。といっても、活気があるとか雰囲気の話ではない。冷蔵庫も作業台も換気扇のフードも調理器具も、ほとんどのものはステンレスで出来ているので、物理的にギラギラしているのだ。調理中はもちろん加熱をするので厨房の気温は熱くなるのだが、そうでなくても冷蔵庫の排熱で気温が上がりやすい。現実的な意味で、いつもギラギラしていて熱気が有るのだ。
現代の一般家庭なら、あまりギラギラしていないかもしれない。冷蔵庫は何色が多いのだろう。白や茶、黒が多いのだろうか。作業台もコンロ周りもステンレスではない家庭も多くなった。家電はみんなオシャレで、美しい家具のようだ。
料理をするとき、全く調理家電を使用していない人はほとんどいない。炊飯器、冷蔵庫、電子レンジ、IHヒーター、フードプロセッサー。いろんな家電があって、多くの人はその恩恵を受けているはずだ。まことに便利で、ありがたい。
江戸時代と同じ調理器具で料理をするのは重労働だ。例えば、ご飯を炊くのだって日が昇る前から始まるのが一般的。まず、薪割り。それから、共同井戸から水を汲んできて、米を研ぐ。その米も搗いて糠を落とすところから始める家庭もあった。火打ち石で木くずに火をつけたら、薪をくべて火を起こす。米と水を入れた釜を竈にセットしたら、ご飯が炊きあがるまで竈の前から離れることはできないのは、けっこう火加減が難しいからだ。
多くの江戸の長屋では、竈はふたつ。ご飯を炊くのと、おかずを作るためのもの。だから、家庭にある鍋はひとつというのが一般的。たくさんあっても使いようがないのだ。自然と調理方法が限られることになって、汁物か煮物か茹で物ということになる。まだ、庶民のあいだでは出汁という概念が広まっていないから、適当に切った野菜を鍋に入れて火にかけたら味噌で味をつけるのが普段の味噌汁。納豆汁という、刻んだ納豆を具にした味噌汁が人気が高かったのは、出汁がないなかで手っ取り早く旨味を得られたからなのかもしれない。
これでやっと朝食。ご飯を炊くのは朝の一回だけ。大変だし、燃料コストも馬鹿にならないのである。だから、昼も夜も冷や飯があたりまえ。湯漬けなんかは、温かいご飯を食べる工夫だったとか。もうこれだけで、炊飯器やコンロ、それから電子レンジに感謝である。
冬場は火鉢が使われていたのは、主に暖房としてではなかったという話もある。狭い長屋とは言え、小さな火鉢では部屋が温まるほどの熱量はない。火鉢で鍋を煮たり、酒を温めたりして、それを口にすることで暖を取ったというのだ。空気を暖めるのではなく、体を温めることで寒さをしのぐという発想なのだろう。江戸期は小氷期にあたるから、現代に比べるとずっと冷え込んだはずだ。火鉢を見かけることなどめっきりなくなってしまったが、それは暖を取る方法が全く変わったということもあるだろうか。
冷蔵庫がないということは、食材はあっという間に劣化し腐敗する。一つの鍋で作ることが出来る品数など限界があるから、常備できる野菜なども多くないだろう。まして、半分に切った大根などは無いから、なるべく早く使い切る必要がある。夏場などは特に注意しなくちゃいけない。当時の医療環境などでは、食中毒は命に関わることもあったのだ。干物や漬物が中心になるのは当然といえば当然の流れ。本当に冷蔵庫が存在してくれてありがたい。
こうしてわずか200年程前のことを妄想するだけで、現代の調理家電がどれほどありがたい存在かを感じられる。調理そのものが簡単になったからこそ、多くの手のかかる料理を作ることが出来るようになったのだ。こんなに手のかかる作業をやりながら、例えば肉団子みたいなものを毎食作るのは相当に骨が折れる。やってられない。その日手に入らなかったものはどうにもならないので、食べたいものを食べるのではなく、あるものを食べられるように工夫するしかないというのが調理の本質。どうにかして美味しく食べたいが、手間と時間がかかりすぎる。こうした背景が、和食文化を押し進めてきたのだというのは、なかなか興味深い視点だ。
今日も読んでいただきありがとうございます。無いなら無いなりに工夫する。ということなんだろうな。新しい何かを発想したいときには、もしかしたら「無い」という状態を作ってみると何かしら思いつくのかしら。と妄想しながら、調理家電に感謝するのである。