今日のエッセイ-たろう

語り部の威力④ 2023年1月22日

昨日の続きです。長いな。もうそろそろ終わりにしなくちゃ。

という感覚、どこかで知っている。そうだ、たべものラジオ本編だ。物語を語っているうちに話数が伸びていくっていうアレだ。

販売のためのトークというか、実演販売のようなことを思いついてからしばらくというもの、身の回りのすべての「しゃべり」は教材になっていた。とにかくあらゆるパターンを機械学習的に取り込んでいく。取り込んだものを反芻して検証する。こんな異常事態の生活をしていると、時々心がパンパンに腫れ上がってしまうのだ。

ある日曜日の昼下がりもそうだった。もう何度見返したかわからないジャパネットたかたの特番を見ていた。さすがに、疲れてきて動画の停止ボタンを押したところだ。さて、コーヒーでも飲んでのんびりしよう。そうだ、漫画でも読もうか。と、ソファから立ち上がりかけたところで体が硬直した。ぎっくり腰などではない。録画された映像を停止したテレビは、地上波の番組を映していた。その内容に目が釘付けになったのである。

あまりに不意打ちだったために、どのチャンネルで、なんという番組名だったのかわからない。雰囲気ではNHKだったのじゃないかと思うのだけれど、メモすら取っていなかったので今となってはわからない。ただただ、その衝撃の内容に気を取られるばかりであった。そして、その内容は今でも心に残っている。

またもや、落語の話である。画面に映し出されたその姿は桂歌丸という稀代の落語家の姿であった。一般的な評価としては人情噺が素晴らしいと言われる。ほろりとくるようないい話。芝浜みたいなやつだ。このときは、人情噺ではなく滑稽噺と怪談話をやっていた。今でも覚えている「質屋蔵」と「皿屋敷」だ。これだけ鮮明に思い出せることも少ない。

なにがスゴイって、この噺の実演はもちろんだが、解説まで桂歌丸本人が行っていたのだ。こんなことは滅多にお目にかかれない。いくつかのパターンを演じ分けながら、実際の効果を説明していた。

皿屋敷というのは、「番町皿屋敷」とか「お菊の皿」とも言われるはなし。タイトルは知らなくても「いちまい、にまい・・・」と数えるお菊さんの幽霊が「やっぱり一枚たりない」といったところで怖い話になるという大雑把なストーリーは聞いたことがあるかもしれない。

さて、このときの解説は主に「擬音語」についてだ。日本語というのは、実に擬音語に満ち満ちている。大阪のどこかでおっちゃんに道を尋ねると「ヴゥワア~」とか「ドカン」とか「シュッ」とか言って、なんだか細かいことが全然わからないっていう笑い話を聞いたことがあるが、こうした「擬態語」もまた実に多い。この擬音語や擬態語が、落語を演じるにあたってどれだけ効果が大きいかを語っていたのである。なんという贅沢、名人が自らの技術を全開で解説するのだ。極めつけは、擬音語と擬態語を全く使わなかったらどうなるかということを、その場で演じてみせたのである。

扉が閉まる音であれば「ばたーん!」、どこからともなく聞こえる怪音は「ドシン」、刀で斬りつける場面では「ズバッ」。これがなくなるだけで、怖さというか臨場感がどこかへ行ってしまう。そんなことはわかっているというかも知れない。ただ、どちらのパターンも桂歌丸という落語の名人が演じ分けてみせるのである。これほど説得力のあるものはない。あっという間に虜になった。

実際、販売店で説明するときにはこれがとても役に立った。例えば、インターネットの接続の早さだったり、マシン性能を訴求する時だ。動画サイトに接続して実際に表示されるまで、今までであれば何秒だけれども、こちらの商品であれば何秒になります。と言うのと「クリックします、1、2の3・・・といったくらい。それがこれからは、クリックします、うんパッってな具合でパッパッと進んで行くんです。グーンと快適」というのとではずいぶんと印象が違う。それに、擬音語や擬態語は感情が乗せやすいのだ。話し手も乗ってくるというおまけまでついてくる。

まぁ、そうは言っても一朝一夕で使いこなせるようになるわけじゃない。擬音語や擬態語だけじゃなくて、間も大切になってくる。ところどころに、会話文を入れたりもする。「持ち歩くには軽いほうが良いですよね」「もうちょっと軽いといいなあ、なんて思うでしょ」という軽いものから、もう少し落語っぽくセリフを回すというのもある。状況に応じて使い分けが出来ればより良いのだろう。とか、落語を研究しているうちに、そんなことまで気がつくようになった。

そこで、だ。しょうがないから、ひとつの噺を練習してみることにした。だいぶ忘れてしまったのだけれど、あのときは「時そば・時うどん」を練習した。オリジナリティとか考えない。とにかく、コピー。高校生バンドがコピーをするように、ひたすらタイミングや音の高さや口調も真似する。素人に出来ることと言ったら、限られている。自分の耳を頼りにひたすらまねる。どうせ完璧に出来やしないのだ。そもそも、完璧にこなせたとしても、落語を公演するわけでもない。せいぜい、子供に「まんじゅうこわい」の絵本を面白おかしく読み聞かせるくらいのものだ。実際は、いつもどおりのセールストークを繰り広げるだけである。あとは、染み付いたリズムが自然に染み出してくるのを待つばかり。素人がテクニックを埋め込んだところで使いこなせることなんて少ないだろうからね。

あるとき、とんでもないことが起こった。接客するスタッフが、誰もお客様のところに行かないのだ。あとから聞いたことだけれど、近くにいた同僚の営業マンが制止したそうだ。というのも、集まった20人くらいのお客様が聞き入っている様子だったので、あえて邪魔しないようにしたのだとか。そんなことは露ほども知らず、呑気に喋り倒したのだが、その10分そこそこの時間で同時に半数弱のお客様が購入を決断されたのである。「まさか、そんなことになるとは?!」というのが本音だ。

もちろん、全てがすべてうまくいくわけでもない。状況に応じて、周囲のスタッフがフォローしたり、逆に即決されたお客様に再検討を促したりといったこともあった。なにしろ、怖いのだ。集団心理で買ってしまって後悔するようなことにはなって欲しくない。長期視点にたてば、お店の信用にかかわる。そこは誠実が一番だ。

今日も読んでくれてありがとうございます。この話を書いたほうが良い、と言われた。こんなふうに独自の視点で研究した人なんて聞いたことがないというのだ。そうかもしれない。ビジネス書を読めば載っているのだろうけれど、自分で見つけたものは忘れないし、感動が深いという気持ちもある。それに、もうこのノウハウは使わない。正直なところ、使い道がないんだよね。もう営業マンじゃないしさ。

それに、ね。今は意識することが面倒になってしまって、やめちゃったんだ。今は自然体にちかい。軽く意識することがあるかなあ、ってくらい。だから、ときには早口になってしまって反省することもあるし、逆に冗長になりすぎるときもある。テンポコントロールも曖昧だ。でも、それでも良いやっていうくらいの軽さで話をしているのがたべものラジオかなあ。だって、ぼく自身がしんどくなったらしょうがないじゃん。楽しみでやっていることだから。そのうち気が向いたら、話し方の練習をし始めるかもしれないけどね。その時は、またその時かな。

  • この記事を書いた人
  • 最新記事

武藤 太郎

1988年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ、カルフォルニア州の大学留学。帰国後東京に移動し新宿でビックカメラや携帯販売のセールスを務める。お立ち台のトーク技術や接客技術の高さを認められ、秋葉原のヨドバシカメラのチーフにヘッドハンティングされる。結婚後、宮城県に移住し訪問販売業に従事したあと東京へ戻り、旧e-mobile(イーモバイル)(現在のソフトバンク Yモバイル)に移動。コールセンターの立ち上げの任を受け1年半足らずで5人の部署から200人を抱える部署まで成長。2014年、自分のやりたいことを実現させるため、実家、掛茶料理むとうへUターン。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務める。2021年、代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなどで活動している。

-今日のエッセイ-たろう
-, , , , ,