毎日ではないけれど、それなりの頻度で文章を書いている。それは、このエッセイだったりたべものラジオの原稿。よくもまぁそんなに書くことがあるもんだと、自分でも思うのだが、不思議と継続することが出来ている。
なんでも良いから何か書いてください。と言われたらどうだろう。けっこう困る気がする。日記みたいなものは何を書いて良いのやら見当もつかない。もしかしたら、その日に起こったことを箇条書きで書き出す程度になるかもしれない。
そういえば、平安時代の多くの日記は箇条書きだったらしい。江戸時代の生活の記録として貴重な資料となっている日記も、やはり同様だ。朝廷に出仕して誰と会ったとか、歌会に参加したとか。江戸期の日記でも、どこで何を食べたなどというものが目につくようになる。
934年頃、紀貫之が土佐日記を書いた。これが、とても興味深い。日記と言いながら、日記じゃない。誰かに読まれることを前提にして書いているのだから、純粋な日記ではなく文学作品と言って良い。日記の体で書かれた文学作品を日記文学というのだが、土佐日記はその最初だと言われている。
そもそも、土佐日記の主人公は女性。男性である紀貫之が、「男性の間で流行している日記というものを女性であるわたしが書いてみる」と書き出している。当時、男性が書く日記は漢文であったのだが、漢文の場合だと日本人らしい細やかな気持ちや心のひだをうまく表現できない。だから、仮名で書くことを思いついたのだという。なぜ、女性になりすまして書いたのかはよくわからない。
さて、日記文学のように「誰かに読まれること」を前提にした文章は、比較的書きやすくなるような気がする。それは、「伝える」という行為に「コミュニケーション」が加わるからなのかも知れないと思う。
誰かが読む。ということを意識すると書くことができる。というのは、どうも料理にも通じるところがありそうだ。よく聞く話だけれど、自分ひとりだけのために作る料理は簡単に済ませてしまう、ということがある。どうせ、受け取るのは自分。だから、何でも良いという感覚だろうか。
誰かが食べてくれるとなると、それなりにちゃんと料理しようという気になるし、それなりに手をかけて料理をすることになる。その理由は見栄かもしれないし、おもてなしの気持ちがあるのかもしれない。
料理というのは、食べてくれる人がいるから成立していると思う。絵画だって、誰も見ることが無いのであれば、それは虚しい行為かもしれない。リアルタイムではないけれど、発信者と受信者がいることが大切なのだろう。時間差コミュニケーションである。
原稿ではなく、エッセイを書き始めた頃はいささか苦労した。何を書いたら良いか、と悩んだ。「良いか」と考えているのだから、やはり誰かに読まれることを前提にしていたのだろう。そして、せっかく書くのだから読む人にとっても良いものにしたいし、褒めてもらいたいという気持ちもあった。そんなこんなで、なかなか書き出せないでいた。いわゆる、気張りすぎである。
読み手の設定を変える。これが、ぼくにとっては重要だった。どうせ誰も読まないだろうけれど、少なくともぼくだけは読む。つまり、読者はぼく自身だ。自分が読みたいことを書こう。考え方も、使う言葉も、取り上げる題材も、なにもかも「未来の自分が読むため」と思うことにした。
その結果、飾り立てた言葉も不要になったし、素直に感情を書き出すようになった。間違いがあったとしても、それはその時代のぼくがそう思っていたというだけのことだ。それもまた、自分史の一コマだと思える。
最近は、自分自身とそれ以外の人たちを意識して書くようになっている。読者を自分だけにしてしまうと、言葉足らずで伝わらないことが多くなってしまうからね。それに、もう2年も書き続けているのだ。多少なりともこなれてくる。
今日も読んでくれてありがとうございます。料理も文章も作品も、それからたべものラジオも、どれもこれも「受け手がいる」ことが前提になっているんだよね。食べる人、読む人、見る人、聞く人がいてくれるからこそ創作ができる。そういう意味でコミュニケーションだと思うし、創作行為もまた共同作業なのだろうな。