昨日に引き続いて「濃縮タンパク質」の話だ。この単語は、ブログを書いているときに自然発生したと感じている造語。一般用語ではない。簡単に言うと、タンパク質はいろんな植物にも少量ずつ存在していて、食物連鎖の中で動物などの特定の生物に濃縮されている。人間にとって、微量タンパク質をかき集...
最近、「このゴミはどこへいくのだろう」と気になっている。いや、わかっていると言えばわかっている。ゴミ焼却場へ運ばれるのだ。めんどくさい話だけれど、ゴミが燃焼されて、その後のことが気になるのだ。多くは焼却された後の燃えかすや空気中に放出されたものは、その後どうなるのだろう。...
美味しいものを食べると、ほんのひととき幸せな気分になる。不思議なものだ。直前までお腹が減っていることを理由に少しばかりイライラしていたとしても、あっという間に幸せな気持ちになることが出来る。人間というのは、なんとも単純な生き物なのだろうと感じることがある。...
このところ、たべものラジオとは何なのかについて考えている。いや、番組のことだけじゃなくて、もっと大きな範囲のこと。たべものラジオ的な食文化の捉え方と言うと、なんだか不遜な感じがする。食文化人類学というのが正確なのだろうか。アカデミアの人間ではないので、よくわからない。...
もしかしたら以前どこかで話したかもしれないのだけれど、現代の食産業は、産業革命期のアーツアンドクラフツ運動の時期に似ているののじゃないかと思っている。簡単に言うと、産業が近代化した時にあらゆる物が工場で機械的に生産されるようになった。安価でデザインを置いてきぼりにした家具などが...
時々目にすることがあるのだけれど、飲食店によって独自のルールを決めているという記事や書き込みがある。同じく飲食店を経営している身であるから、気持ちは分からなくもない。けれども、独自ルールが特徴的であるということが記事になるような場合、少々やり過ぎではないかと思うケースが多いよう...
最初に「ふぐ」を食べた人ってスゴイよね。という話を聞くことがある。ふぐに限らず、毒のあるものやグロテスクなものは、その対象となることがある。なのだけれど、よくよく考えたら、そんなにスゴイことなのだろうかという気がしてきた。まぁ、ひねくれ者の発想かもしれない。...
昨日の続きの話になるのだけれど、つくづく日本のなかの日本らしさっていうのは、レイヤードなんだろうなと思う。歌枕を巡る旅というのもそうだし、芭蕉に始まる俳諧もそうだ。どこかに起点はあるのだろうけれど、大抵のモノゴトは、その前に何かが存在している。それらを踏まえて、なぞるのだ。なぞ...
「顔合わせ」「結納」は、結婚に関連する儀式である。昨今は、その存在意義が伝承されていないのか、様々な問い合わせが増えている。それとともに、個々の自由な言葉の解釈に変化してしまっていて、会話の齟齬すらも起きているらしい。...
砂糖の歴史を終えて、現代人の糖質摂取について思うところがある。科学的アプローチではなくて、人文学的に考察してみてのことだ。...