カテゴリー今日のエッセイ-たろう

不要不急のモノゴトこそが、ボクらの本質なのかもしれない。 2023年6月10日

やっと長い長いトンネルを抜けようとしているはずだ。もちろん、パンデミックのことを言っているのだ。抜けられるはずなのに、いまだに自粛警察的なものがゼロにならないのは、どういうこsとだろうか。休日にショッピングモールなどに出かけると、多くの人がマスクをしている。そういうぼくたちも、接客をするときだけは...

まつろわぬ民が幸せに生きていく社会とはどんなものなのだろうか。 2023年6月8日

まつろわぬ民という言葉がある。帰順しない民族とか、隷属を拒む民族とかいった意味で使われる。日本でも中世くらいまでは当たり前だった。有名なところでは京都や堺の人たちは、権力に対してまつろうことを拒んでいたから、自治領として独立的だった。何かに所属していなければ生活の不安があるというのは、江戸時代に入...

生ゴミのたどり着く先。現代式循環の仕組みづくりは可能なのか。 2023年6月7日

最近、「このゴミはどこへいくのだろう」と気になっている。いや、わかっていると言えばわかっている。ゴミ焼却場へ運ばれるのだ。めんどくさい話だけれど、ゴミが燃焼されて、その後のことが気になるのだ。多くは焼却された後の燃えかすや空気中に放出されたものは、その後どうなるのだろう。...

歴史学習で「年」を暗記するこ理由。 2023年6月6日

中学高校時代、いわゆる社会科目が苦手だった。特に歴史。もっと言えば世界史。さらに細かく言うと、個人名や年を覚えさせられるのがなんとも苦手だった。カタカナの名前なんかは、もうちっとも頭に入ってこなかったたし、中国史だと読み方は一緒なのに違う漢字表記だとか、全く同じ名前なのに別人とかがあって、三国志を...

江戸の歴史260年をヒントに現代を考えてみる(前編)。 2023年6月4日

最近、改めて江戸時代についていろいろと勉強をしている。気候変動と飢饉、それに対応する幕府や諸藩、経済の変動など。思いつくままに調べていくというのは、気ままで楽しいものだ。多くは書籍からの情報を追いかけていくわけだけれど、様々に枝分かれしていく思考を追いかけていく様子は、まるでネットサーフィンをして...

「幸福感は快楽の増加量に比例する」を実装した生活と食文化。 2023年6月2日

美味しいものを食べると、ほんのひととき幸せな気分になる。不思議なものだ。直前までお腹が減っていることを理由に少しばかりイライラしていたとしても、あっという間に幸せな気持ちになることが出来る。人間というのは、なんとも単純な生き物なのだろうと感じることがある。...

たべものラジオにどんな価値があるのだろうか。という大仰なことを大真面目に考えてみる。

このところ、たべものラジオとは何なのかについて考えている。いや、番組のことだけじゃなくて、もっと大きな範囲のこと。たべものラジオ的な食文化の捉え方と言うと、なんだか不遜な感じがする。食文化人類学というのが正確なのだろうか。アカデミアの人間ではないので、よくわからない。...