今日のエッセイ-たろう

レシピに書かれていない味を読む。—江戸時代の「ふくと汁」再現考

「あらなんともなきや きのふは過ぎて ふくと汁」
松尾芭蕉がふぐを食べたことを詠んだ句である。
「昨日フグを食べたけれど、何事もなくてよかったな」と安堵の気持ちを表したものだ。

ふぐを食べた感想が、「おいしかった」でもなければ「噂ほどでもなかったな」でもないところが、芭蕉らしい。毒のことばかり気にしているのだ。およそ百年後、小林一茶は「ふぐ食わぬ 奴にはみせな 富士の山」と詠んでいる。「ふぐが一番うまい。それが分からない奴は、富士山という日本一の存在を知らないようなものだ。」というような意味だ。芭蕉を皮肉ったアンサーソングにも思える。

「ふくと汁」再現チャレンジ

芭蕉がビビりながらも口にし、一茶が絶賛したふくと汁とは一体どんな料理だろうか。情報は少ないながら、再現してみようと思う。

実は、過去にふくと汁を食べたことがある。ふぐを扱う料理人の勉強会で提供されたのだ。
「まずくはないけれど、さほどおいしいとは言えないな」
「なんだかぼんやりした味」
「クセが強くて万人受けしないかもしれない」
その時の率直な感想である。私の味覚や好みの問題かもしれないと思って、周りを見渡すと、先輩方もなんとも言えない表情をしていた。
そして、再現料理を作ったベテラン料理人の言葉を待っていると
「ん。まぁ、昔の人はこんな感じのものを食べていたそうです。」
とだけ言った。

その日は、いくつかのふぐ料理のプレゼンテーションがあった。ほとんどがアイデア料理だったが、味の評価はさておき、料理人はほんの少しの不安と緊張を抱えながらも熱心に語ったものだ。それに比べれば、なんとも微妙なコメント。後になって本人に尋ねた所、私と同じような感想を持っていたという。

まだ若かった私は、この時食べたそれがふくと汁だと思い込んだ。
けれども、食文化史を研究するようになって、それは違うということに気がついた。江戸時代初期の味に近い料理は現代にも継承されている。そして、それは現代でもおいしいと言われているのだ。それよりもおいしいと当時の人達は言っている。ということは、あの時食べたふくと汁は、当時のものとは別物だった可能性があるということだ。

「昔の人はこの程度味をおいしいと言っていたのか」と言われることがある。現代の味を100点とするなら、昔は80点くらいが最高点だった。という感覚である。
だけど、それは本当にそうだろうか。
確かめるには、なるべく忠実に当時の味を再現するより仕方がない。
ということで、ふくと汁の再現にチャレンジすることにしたのである。

最古のふぐレシピ

ふくと汁は、料理本に記載された最も古いふぐ料理である。1643年に出版された料理本『料理物語』の「汁の部」に、その記述がある。『料理物語』は、出版された料理本としては日本最古のもの。ふぐという食材がこれに取り上げられているのも興味深い。

原文
ふくとう汁は かわをはぎ。わたをすて。かしらにあるかくしぎもをよくとりて。ちけのなきほどよくあらひきりて。まづどぶにつけてをく。すみさけも入候。さて下地は中味噌より少うすくして。にえたち候てうをゝ入。一あわにてどぶをさし。しほかげんすい合せいだし候也。すいくちにんにくなすび。

冒頭は下処理の部分。ちゃんと肝をとってキレイに洗いましょうという内容だ。再現にあたって問題になるのは、その後である。
「どぶ」に「すみさけ」を入れて、ふぐを漬ける。
「中味噌」より少し薄い味噌汁を作って火にかける。
煮え立ったらふぐを入れる。
泡がひとつ出る程度の温度になったら、「どぶ」を入れて塩で味を整える。
具や香り付けに、にんにくと茄子を用いる。

読むだけなら「へぇー、そうなんだ。」で終わるかもしれない。ちょっと料理を知っている人なら「粕汁」をベースに考えるかもしれない。実際、私が食べたものはそうだった。
しかし、忠実に再現しようと思うといくつもの疑問が浮かぶ。
「どぶ」や「すみさけ」とはどんなものなのだろう。「中味噌」というのは、どのくらいの濃さだろうか。そもそも、どんな味噌を使っていたのだろう。味噌汁のダシは?にんにくはスライスなのかすりおろしなのか。茄子の処理はどうするのだ?

一つ一つ、意味を読み解くところから始めることになった。

レシピの読み解き

書かれていることを読み解くには、書かれていないことを想像しなければならない。書かれていないこととは、当時の人達にとって「このくらいのことは書かなくてもわかっているはず」のこと。つまり、その時代の常識を知らなければならない。

誰が料理物語を書いたのかはわかっていない。あとがきには「武蔵狭山に於いて書く」とあるのだけど、上方言葉が使われているのでおそらく関西人が書いたのだろう。もしかしたら、上方出身の料理人か商人が移住したのかもしれないし、旅の途中で書いたのかもしれない。当時の文化の中心は上方だったし、出版されたのも京都のはず。
これらを考えると、「料理物語のベースは上方料理」で、「旅先で触れた食文化が取り入れられている可能性がある」といったところだろう。

では、当時の料理文化はどうだったのか。料理物語以前の記録から、読み解いていくことになる。細かい部分は省くが、ふくとう汁に関係しそうなところだけ整理すると以下のようになる。

ダシ文化はあるが、ダシは調味料の一種という扱い。

料理物語には「出汁のとり方」が記載されている。それも、昆布と鰹節を合わせた「合わせダシ」である。ただ、使い所は限定的のようだ。使う時は「ダシを用いる」と明記されていることから、記載がないときには使われていない可能性が高い。
もしかしたら「ダシを使うのは当然だから書かなかった」という可能性もある。だけど、他の汁物のレシピを読む限りは、それぞれの料理に合わせてダシを使うかどうかを分けているように見えるのだ。たぶん、ダシは味噌などと同列の調味料という扱いだったのではないかと思う。

料理物語の第8部は「なまだれだしの部」である。「なまだれ」は醤油の原型、「だし」はダシのこと。第8部にはこれらの他に、「煎り酒」や「タレ味噌」や「酢味噌」と言った調味料が記載されている。現代風に言えば合わせ調味料だ。
「ダシは和食のベースである」というのは、そのとおり。だけど、現代の感覚とは違う気がする。「和食に醤油や味噌は欠かせない」というのと同じような感覚で捉えるのが良さそうだ。もし公家や武士を想定読者とした料理本ならば、鰹節が絶対的な存在だったとはとは言い難いが、もう少し合わせダシを使った料理が多かったかもしれない。しかし、料理物語は「出版文化」の中で作られた町人や庶民が読者である。素材の味と、素材から出るダシを酒や味噌で調味するほうが日常的だ。

調味料としての酒粕はみりんの源流?

第8部には「どぶ」についても記載がある。「酒粕を絞ったものがよく、にごり酒は良くない」とある。どうも、私が若い頃に食べたふくと汁はここに読み違いがあったのではないかと思う。にごり酒(どぶろく)を使ったか、もしくは酒粕そのものを入れたか。とにかく、粕汁のような味がしたのだ。

酒粕の選び方も考えなくてはならない。現代のように緻密な発酵が出来なかった時代のことだ。酒の酵母は、糖を食べてアルコールに変えるのだが、酵母が食べきれなかった糖が残っていただろう。つまり、比較的甘い。仕込み水も少ないから、現代のものよりもずっと濃厚な味わいである。それに、機械で圧搾するわけではないから、酒の成分がたっぷり残った水分のある状態。かなり贅沢な酒粕だ。
これを湯に溶いて飲んだのが甘酒ということだから、「どぶ」は「甘酒を濾したもの」に近いかもしれない。現代の調味料に置き換えれば、みりんと酒の中間くらいだろうか。

多様な味噌から選ぶ

関西を特徴づける味噌といえば、西京味噌が有名だ。米麹をたっぷり使っていて塩分控えめの甘い白味噌である。西京味噌というのは明治期に入ってからの名称。当時は西京味噌とは呼ばれていなかったが、いずれにしても京都の味噌といえば白味噌である。

同時代の書物にも白味噌仕立ての雑煮の記録が見られる。ただし、それは庶民ではなく朝廷を中心とした公家たちの間でのことで、ハレの場で用いられている。公家と町衆による京都文化が花開いた時代のことだから、庶民も白味噌を味わっただろう。だからといって、ふくと汁に用いられたかと言うと疑問だ。なぜなら、白味噌はハレの食事に使うものであって、ふぐのような上等ではない魚に用いるような存在ではなかったはずなのだ。

庶民が一般的に使っていた味噌は、おそらく白味噌ではないだろう。いくら米の生産量が増えたからと言って、米麹を大量に使う白味噌は贅沢すぎる。それに、塩分濃度が低いので保存性が落ちるのだ。普通に考えれば、一般的に知られる米味噌だっただろう。それも、現代に比べれば熟成期間が長いはずだ。
こうしたものを探す時は、実は現地で探しても見つからないこともある。周圏論的に考えれば、当時の物流の外縁に存在する可能性が高いのだ。本当は、可能性のある味噌を片っ端からあたっていくのが良いのだろうけれど、さすがに骨が折れる。こうした歴史の痕跡を探す時は、中山道が良い。ざっくりと見当をつけて、長野の善光寺味噌を採用することにした。

吸口の茄子とにんにく

吸口とは、香りや彩りを添える薬味のこと。ゆずや木の芽、三つ葉、松茸などが有名だ。これに対して、メインの具材は椀種、主役を引き立てる具材を椀づまという。

にんにくは確かに吸口だろうけど、茄子は椀づまといったほうがしっくりくる。この時代には椀づまという分類がなかったのか?とも思ったけれど、同書の中に「つまは時分のものをつくり」とある。ということは、茄子はやっぱり吸口なのだろう。

茄子を汁物に入れるとしたら、調理方法は大きく分けて「茹でる・焼く・生」の3つ。まず、生は考えにくいと思うが、吸口である以上はなまのまま細かく刻んで添えた可能性もある。たしかに香りは引き立つかもしれない。茹でる場合は、あらかじめ下茹しておいてお椀の中であわせるか、具材として煮込むかである。一緒に煮込むと味が濁るし、下茹でするのも香りが弱い感じがする。
焼けば香りは立つし、汁を吸って美味しそうだ。ということで、今回は焼き茄子にすることにしよう。あとは、皮を剥くかどうかだが、ここが難しい。彩りを考えると、皮があったほうが良いのだけれど、焼き茄子は焦げができるので汁に黒い点々が浮くことになる。焼いて皮を剥く。というのは、現代でも和食では一般的な下処理方法だ。今回は、これにすることにしよう。

茄子の扱いに関しては、何も書かれていない。このあたりは、好みで判断するしか無いだろう。全てのパターンを試してみても面白そうだ。それに、茄子の種類もいろいろある。とりあえず手に入るもので調理したけれど、範囲を広げて見るのも良さそうだ。

にんにくはどうだろう。スライスにしたのか、細かく刻んだのか、それともすりおろしたのか。これまた悩みどころである。とりあえずはっきり想像できるのは、量は少ないだろうということだ。パスタを作る時にオリーブオイルでにんにくを炒めることがあるけれど、あれは和食には香りが強すぎる。ゆずや木の芽といった程度の淡い香りが好まれてきたことを考えると、せいぜい1杯に対してにんにくの量は米粒ひとつ程度。こうした加減を考えて、すりおろしが妥当なところだろうか。

ふくと汁を作って食べてみる

まず、一言で言っておいしい。かつて食べたものとは全く別物だった。ふぐは想像以上にプリプリとした食感で、それはどぶに漬け込んだ効果なのだろうか。茄子は、すっかりと汁の味を吸っていて、焼き目の香ばしさが豊かさを感じさせている。
味噌を湯に溶いた時点でおいしくて、そのうえでふぐのダシがどっしりと味を支えている。どこか蟹鍋のような濃厚な味わいが感じられるが、蟹のそれとは明らかに違う。この濃厚さは鯛では得られない。言われないと気が付かない程度のにんにくの風味が、この濃厚な味に輪郭を与えてくれる。なるほど、これなら昆布を足す必要はない。

汁だけでも何度も飲みたくなる。そういう味は、現代人の感覚ならばラーメンスープに近いかもしれない。ラーメンよりも薄いから何杯も飲める。麺を入れても面白いかもしれない。もちろん、雑炊も美味しそうだ。今回は料理物語の手順に従ったのだけれど、後年の料理本も参照してみたい。というのも、この料理には葱が合いそうだと感じたからだ。江戸中期以降のふくと汁には葱が添えられている。

再現料理の難しさと学び

歴史上の料理を再現したレシピはいくつもある。ただ、その多くは現代の調味料や食材を使ったものだ。当時と全く同じ物が手に入らないのだから、当然である。今回もそうだった。ただ、なるべく近づける手立てはありそうだ。味噌を選んだり、想像して合わせ味噌を作ったりすることもできる。料理本に書かれた通りの手順ではなくなるけれど、味を近づけるならばそうなる。
そういった意味で、食材の入手や時代背景の読み解きに再現料理の難しさがある。これはこれで楽しいのだが。

ただ、当時はさして難しくもなかっただろう。味噌もどぶも、それが普通だったからだ。一般的に流通していて比較的簡単に手に入る。現代は、素材や調味料が大きく変わってしまったから再現が難しいというだけのことなのだ。

環境が変われば、自ずと出来る料理は変わる。江戸時代には江戸時代の環境があって、現代には現代の環境がある。それぞれの環境の中で、やりやすい方法で料理が作られる。私たちは、つい右肩上がりに進歩していくようなイメージを持ってしまうが、そうとばかりは言えないのだろう。実際、食べてみればわかる。現代ではなかなか出会えない、少しばかり野趣味をおびていて、粗くゴツゴツした味は見事においしいと言えるものだった。その後の洗練された綺麗にまとまった料理はもちろん素晴らしいが、これはこれで見事なものだ。

料理だけではなく、ものづくりも社会制度も思想も類似点があるかもしれない。右肩上がりなのではなく、その時々の環境の中で良さそうなものを選んできただけなのだろう。そして、その時代には日の目を見なかったものも、別の環境では輝くこともある。一方で、今輝いているものも、環境が変われば廃れてしまうこともある。

そう考えると、歴史の中に埋もれてしまった技術や考え方は、現代の環境ならば輝くことが出来るかもしれない。その可能性を思うと、過去の手法を掘り起こして並べてみるのもおもちゃ箱をひっくり返しているようで面白いじゃないか。当時は見向きもされなかったおもちゃが、また別の理由で価値を持つことだってある。
歴史飯の再現は、そんな気づきを与えてくれた。

今日も読んでいただきありがとうございます。

古い料理本はレシピが曖昧で良いね。とても面白い。人によっていろんな解釈が出来るから、十人十色の料理に仕上がったと思うんだ。それが、あちこちで広まっていくから郷土料理みたいな特徴的な食文化と紐づいてバリエーションが増えていったんじゃないかな。遊びがあるって面白いじゃない。
今のレシピブックはきっちりしているから、誰が作っても似たような味になるんだよね。それって、チェーン店のマニュアルに近づいていってる気がしててさ。もちろんいい面も多いけど、なんだか寂しい気もするんだよね。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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