日常にある「聞く相手が違う」 2022年9月7日

なんでそれをぼくに聞くんだろう。と、思うことがよくある。それは、主に母の発言が多いのだ。「これは何?」と作りかけの料理をぼくに見せるのだけれど、それは父の持ち場に置かれているものだし、父が作ったものだ。明らかにぼくが関連しているとは思えない状況。だと思う。

かと思えば、今日のお客様の対応どうなっている?と、弟に質問する。いや、そのメモ書きは明らかに妹の字。うちは家族経営なので、書体で十分に筆者が誰なのかは判断できる。それ以前に、メモには名前が書いてある。で、なぜに弟に聞くのだ。

こんなことが毎日のように何度も発生するのだ。不思議なんだよね。だから、それを聞いてみたの。聞く相手がいろいろと違うんじゃないかって。もしかして、何か意図があるのかもしれないからさ。だとしたら、ぼくが気がついていないだけなので聞いてみようと思って。

ここで、母が「なんで私に聞くの?」って言ってくれれば、良いオチになるんだろうけどね。そうはいかない。全く意識していなかったらしいんだ。本人もなんでだろうって考え始めちゃってさ。そんなことってある?といってもあるんだよね。

しばらくして、知人と食事をしている時にこの話をしたんだ。ただの笑い話として、ネタとしてね。そうしたら、出てくる出てくる類似事例。聞く相手が違うんじゃないかって思うようなことが、社会の中にはたくさんあるらしいんだ。そうなの?

あれ?もしかして、ぼくも自覚していないだけでやっているのかな。

一緒に食事している人たち、みんなで振り返ってみた。今までの自分の行動をね。全然思い当たらないんだけど、それは自覚がないからなのかもね。って話になったんだ。こりゃ一大事だぞ。まさに「人の振り見て我が振り直せ」である。だけど、自覚がないのだから困ったもんだ。もしかしたら、ってだけだと修正のしようがないんだから。

そういえば、日常で思い出されるのは「おかーさん、○○見なかった?」である。子供も大人もそうやって聞くことがある。正直言って、そんなものは知らんのだ。知るはずがない。私が使ったわけでもなければ、おもちゃ箱のどこに目当てのおもちゃが入っているかは、入れた本人にしかわからないのだ。行方不明のおもちゃほど見つけにくいものはない。

そんなときでも、世の中のおかーさんは一緒に探してくれる。子供にとっては万能の存在である。

おやまぁ、意外と当たり前にやっているではないか。これが日常なのだから。この日常を仕事の空間に持ち込むことはどうなのだろう。とても効率が悪いように見える。経費計算で疑問があったら経理部に問い合わせるだろう。そんな質問を営業企画部にしたって答えが返ってくるわけもない。と、思うんだ。

思うのだけれども、待てよ、ホントにそれで良いのかという気持ちもある。ちょっと引っかかるのだけれど、その正体がなんだかわからないのが気持ち悪いなあ。効率的なんだけど、ホントにそれで良いのだろうか。見当違いではあるけれど、この見当違いの質問が何かを生み出しているということはないのだろうか。

情報の共有という価値は生まれそうだけどね。それも、あえて聞く相手を間違えて見るようなことではないだろうしなあ。情報の共有だけだったら、なにか他の方法を模索したほうが効率が良さそうだし。いや、待てよ。効率という視点が違うのかな。効率は悪いけれど、一見適切ではないところに質問が届くということそのものに何かしらの価値が生まれるかも知れない。質問がある。聞かなければならない事象が発生している。そして問い合わせ先がわからない。あ、この切り口だと効率化の話になるから駄目か。

とんでもないと思える質問を受け取った人は、どうするんだろう。あっちに聞いてよ。まぁ、回すだろうね。でも、もしかしたら調べて回答してくれるかもしれない。そうそう、うちの家族だとそうなる。全然知らないけれど、回答しようとして頑張って調べてみる。調べた結果、わかることがある。あ、これか。解釈が違うんだ。担当じゃない人に聞くことで、通り一遍ではない別の解釈が生まれる。誤読が発生するってこと?うーむ。

今日も読んでくれてありがとうございます。なにも解決してないな。どっちでもいいか。プラスでもマイナスでも、とにかく「聞く相手が違う」ってことはある。それもその辺にたくさんあるかもしれない。まだ自覚が薄いので、もう少し世間を観察してみることにしよう。

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