「質問する」は情報アクセスってことよね。 2022年7月6日

母はよく聞くべき相手を間違える。本人にその気はないのだろうけれど、一緒に仕事をしていると一日に何度もある。父に聞くべき内容をぼくに聞き、ぼくに聞くべき内容を弟に聞く。弟に聞くべき内容を父に聞く。共有して然るべき内容なら、そりゃ誰に聞いても同じように答えられなければならないのだけどね。ぼくの作っている書類のことを聞かれたって、他の人が答えられるワケがないのよ。想像で答えるしか無い。お客様のことはお客様に聞くのが正しいわけで、接客していない父に聞いたところで答えられるわけもない。言える言葉は「知らん」の一言だ。

まぁ、仕事の愚痴でも笑い話でも、どうでもいいような話なのだけど。

実は、尋ねるべき相手を間違えているという現象は、世の中のあちこちに見られることだとは思うのだ。

例えば、勉強する時。哲学について学ぶのであれば、哲学について書かれた本を読むし、聞くのであればある程度それに精通しているか詳しい人物に聞くのが良い。ぼくに聞かれても困っちゃうんだよ。そりゃ、ある程度は本を読んでいるから、全く知らないというわけじゃない。けれど、そこまで掘り下げて勉強したことがあるわけじゃないからね。浅い知識で会話を繰り広げることにしかならないんだ。

持っている情報の量と質が違いすぎる。考えたり意見を持つことはできるんだ。少しばかりの情報があれば、それに対して好きか嫌いかの意見くらいは言えるだろう。だけど、しっかりと意見を述べられるレベルになるには、それなりの情報が必要だと思うんだよね。歴史だったら、真実かどうかはさておき、事実っぽいとされている事柄はたくさん明示されている。歴史の教科書を精読するだけでもかなりの情報量だ。教科書に載らないような情報は、教科書に掲載されているものよりもずっと多い。

情報を知っていて、それを体系的に把握している。そういう人が持つ意見というのは、情報量の少ない人が持つ意見とは異なることが多いんだ。

情報には、大別して2つある。知識として知っていることと、経験として知っていること。知っているという言葉を使うのは少々気が引けるなあ。いろんな意味でね。とりあえず、ここでは日常生活で使うのと同じくらいの意味での知っているということで話を進めるか。

本を読んだり、人から聞いた情報があるよね。歴史なんて、完全にこれ。生まれる前の時代のことは、知識として知る以外にやりようがないもの。こういう情報は、断片をつなぎ合わせて想像するしか無い。基本的に文字情報だからさ。言語理解から始まって、それを妄想で映像なり感覚なりに落とし込んでいくのだと思う。絵画とか建造物みたいに言語じゃない情報もあるけどね。そういう情報はとても助かるんだ。ぼくは割りと映像で理解するタイプなので、イメージを作り出さないと理解が浅くなるんだよ。

経験で知っていることは、その逆になるよね。言語以外のことがほとんど。だいたい普段の生活って、イチイチ言語化しながら行動してるわけじゃないじゃない。それこそ、ルーティンになっているようなモノゴトは記憶にすら残らないケースも有る。だからこそ、知識として体系化するためには言語化しておくことも必要になってくるんじゃないかと思っているんだ。

音楽に似てるな。楽譜にあたるのが言語による記録で、耳や体へ響く振動が体験に思えてくる。その両方の情報を体内にインストールしておく。その膨大な情報があって、それから思考が組み立てられていくんだよね。音楽を聞くという経験が少ない人と、多い人。音楽の楽譜が読める人とそうでない人。それぞれに持っている情報が異なるでしょう。どちらの情報量も少なくて解像度も低い人が、音楽を語るなんてことは難しい。いやね。できるんだよ。だけど、どうしても好きか嫌いか、直感に頼った思考に帰結しがちなんだよね。

料理屋の知り合いが多いので、どうしたらもっとお客様に喜んでもらえるかということを考える場面に出くわす機会も多くなる。相談を受けるというほどのことではないのだけどね。ああしたらどうか、こうしたらこうか、と喋っているところに同席しているだけ。この場合、ある意味では正しいかもしれない。飲食店経営者だらけなのだから、お互いに必要な情報が似ている。ぼくの知っていることを他の人は知らないかもしれないし、その逆もある。

ただ、ぼくらの持っている情報っていうのは、それぞれの経営者の経験に基づくものであることが多いんだよね。調査している人もいるけれど、殆どの場合は直感なのだ。お客様のことはお客様に聞いたほうが良いのだ。想像だけじゃ限界があるのよね。とは言っても、お客様は基本的にホントのことは半分くらいしか言わないと思っておかなくちゃいけない。それは言語という意味で。前述の通り、人は経験を言語化することをあまりしない。仕事じゃないんだから、イチイチ言語化しながら生活なんてしていないのだ。アンケートを実施しても、基本的にはめんどくさいわけで、楽しい空間に余計な思考を持ち込みたくはない。という人が多いと思っておいた方がいい。だとしたら、どうやってお客様の感じていることを情報として取得するのか。ここだよね。

とにもかくにも観察すること。これに尽きるだろう。というのは個人的な直感だけどね。食べ方や量やスピード、会話、表情、仕草などなどのありとあらゆる情報を観察すること。あんまりジロジロみたら失礼だけどね。食べ残しは情報の塊だ。だから、時々洗い場に行くし、洗い物をしてくれる人には意識して情報を拾ってもらうようにお願いしている。後者はかなり難しいけど。お客様から声で聞く情報は、観察したことをつなぎ合わせるための情報。今日一日どうだったのか。どこから来たのか。とか、いわゆる世間話の中に、観察した情報を解析するためのヒントが隠れていることがあるからね。

こういったことを繰り返しているのが、人。量や解像度の違いこそあれ、基本的に人間というのはややこしいことを繰り返しながら情報を集めているのだろう。言ってみれば、歩くデータベースなんだ。そのデータベースから適切な内容を取り出すのが質問。どのデータベースにアクセスして、どんなキーワードで検索すれば適切な解を得ることができるか。

言い換えると、どの人にどんな質問をするかってことになる。

めんどくさいかな。めんどくさいよね。でもやってるよ。ぼくもやってるけど、たぶんほとんどの人がやってる。意識しているか、そうでないかの違いだけでさ。意識してやったほうが、効率が高いんだと思ってね。そういうスタンスでいるだけ。

今日も読んでくれてありがとうございます。ストレスなく気持ちよく生活したいと思ったら、これを思い出してみて。だいぶ楽になると思うよ。少なくとも知りたいことをすんなり知ることができるというくらいにはね。

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コメント
  • 太郎さんは本をいっぱい読んでいるので、映像で理解するタイプとは思いませんでした。

    太郎さんが「映像で理解するタイプ」だと自覚したときの話も聞いてみたいです。

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