「いつも○○○でお世話になっております。○○○です。オーナー様はいらっしゃいますか?」
そんな電話がかかってくることがある。出だしでおわかりの通り、セールスの電話である。
たいていこうした電話を受けるときには、仕込みをしているときもあれば、こうして文章を書いているときもある。電話が鳴れば強制的に思考が中断されてしまうのだから、迷惑なことこの上ない。とは言っても、ぼく以外に電話に出るひとがいなければ電話に出るんだよね。やっぱりお客様からの問い合わせやご予約の電話であることのほうが多いから、窓口対応も大切なことだ。
そもそも電話というものは、突然鳴るものだ。それに、相手からはぼくが何をしているのかは見えないのだから気をつかうにしても無理がある。
セールスの電話は、なぜ迷惑だと感じるのだろうか。電話対応そのものが迷惑なわけじゃない。面倒だとしても、迷惑だと感じるほどのことはないのである。
ひとつ考えられるのは、まったく求めていない内容だということだろうな。
先程もウォーターサーバーのセールスだった。はっきり言っていらない。
ちょっと考えたらわかるのだろうけれど、そこそこの規模の飲食店では用をなさない。先方が用意している水の容量が足りないのだ。少なくとも、うちでは足りないという量の問題が一つ。あと、質ね。水が良いことは料理の味をよくすることではあるけれど、そもそも提供される水の質が今よりも良くなるのかどうかすらわからないじゃない。掛川の水道水が最高とは思わないし、県内ならば富士山麓系の地域に比べれば劣るんだけど、それでも全国平均に比べれば水はウマイほうなのだ。少なくとも良くならなければ話にならないんだよ。必ずしもウォーターサーバーの水のほうが高品質だとは断定できない。
それから、水を変えると殆どのレシピは修正しなくてはならないんだ。料理っていうのは、様々な食材の組み合わせで出来上がるものだ。野菜の味や、魚の味が変われば、出来上がる料理の味も変わるよね。同じことで、醤油を変えるとみりんや酢や酒とのバランスが今までとは変わるんだ。調味料は食材以上に出番が多い食材だから、けっこうセンシティブなんだよね。同じ意味で、水の影響も大きい。料理本に掲載されているレシピよりも、もっと繊細な部分で影響がある。数値だけの話だったら、一度数値を修正すればある程度は対応が可能だ。けれども、感覚はそうはいかない。
ぼくら料理人は、普段使っている調味料の味を覚えている。今、言語化するまで気がついていなかったけれど、たぶんそういうことなんだろうと思う。例えば、吸い物の味見をするじゃない。で、薄口醤油をもうちょっと入れようとか、みりんを加えようという判断をするわけだ。この時、追加する調味料の量っていうのは、感覚で決めちゃう。メチャクチャ大雑把ではあるけれど、だいたい狙った味に近いところに寄せることが出来る。調味料がどんな味で、どのくらい加えたらどうなるか。ってなことを、経験として学習しちゃっているんだよね。
水みたいに頻繁に使う食材だと、この感覚の再構築をしなくちゃいけない。以前、みりんを変更したときには、結構な労力がかかったんだよね。新しい感覚が習慣として定着するまでには、それなりに時間がかかる。頭でわかっていても、実際の行動に染み込ませるのは結構大変なんだよね。サッカーボールのサイズが変わるような衝撃があるかもなぁ。ちょっと極端か。
とまぁ、ダラダラとウォーターサーバーの営業を断った理由を下記並べた。でも、これは本質的に商品を必要としていないというだけの話だね。それだけだったら、今はいらないよってことだけで済むんだよね。感情を害するのは、電話応対そのものってこともあるんだろうね。
コールセンターの担当者の態度が悪いっていうケースもある。端的に言って不快な言い方ってある。でも、それは少数派かな。どちらかというと、トークスクリプトに問題があると思うんだ。台本のことね。ほとんどのコールセンターでは、台本が用意されている。箇条書きじゃなくて、しっかりとセリフになっているんだ。もうね。ひたすらそれを読むだけで良いというレベルの作り込みをしているところが多いんだよ。
ちょっと、長くなってきちゃったな。続きは明日にしようか。久しぶりに電話営業の話を書き始めたら面白くなってきちゃった。明日は、組織化された電話営業の台本の傾向やテクニックについて書き出してみるか。案外知らない人多いんじゃないかな。
今日も読んでくれてありがとうございます。電話営業のすべてが悪いと言うつもりはない。ただ、現在の業界で横行しているやり方が、誠実じゃないなあって思うんだ。効率を良くしたり、販売実績を伸ばしたりということを目標にするあまり、逆に成果が出ない。工夫の仕方が違うんだと思うよ。