今日のエッセイ-たろう

「特権の民主化」と「食文化の広がり」 2023年12月17日

たべものラジオのシリーズ「スシ」や「日本料理の変遷」「蕎麦」で、こんな事を言った。「だいたい、前の時代のひとつ上の階層の文化を踏まえて変化する」。身分制度があった時代、社会には特権を持つ階層が存在していた。彼らの文化が、段階的に庶民へと伝わっていき、その度に変化を重ねていく。そんな話。

これ、言い換えると「特権の民主化」ということなのかもしれない。それも、食文化に限った話じゃないだろう。

例えばクラシック音楽。あれは、ヨーロッパの貴族の室内音楽だったはず。食事のときのBGMだったりして、会話の様子や宴会の盛り上がりに合わせてボリュームを調整するようなことまでされていたとか。

これが民主化されるとき、庶民に広く聞かれるための工夫が必要になる。まさか、貴族のように自宅に楽団を呼ぶわけにもいかない。だから、広いホールに聴衆を集めて聞かせるというスタイルになる。その結果、音量を大きくしなくちゃならないので、ヴァイオリンだけでもあんなにたくさんの人数が必要になってしまったのだそうだ。音楽をかじったことがある人ならわかると思うけれど、本当は人数が少ないほうが調和しやすいのだ。多ければ多いほど大変になる。大所帯になったのにはワケがあった。

更に民主化が進むと、録音された音楽が家庭で聞かれるようになる。レコードの登場だ。数百年前の貴族のように、食事中に音楽を楽しむ。生演奏ではないし、状況に合わせてコントロールされるわけでもない。けれども、まるで貴族のような食事の空間を演出することが出来るようになったのだ。

似たような現象は、絵画にも戦争にも政治にも起きた。食文化も。

コース料理もそうだけど、いくつものおかずが並ぶ食卓は貴族の食文化だった。日本では本膳料理がそれに該当するだろう。形は少し違ったものになるけれど、明治以降になって徐々に家庭の食卓に複数のおかずが並ぶようになっていった。それに、毎日同じ料理を食べるのではなく、違った料理を楽しむという文化も庶民の中に育っていった。

貴族の次に武士、武士の次に庶民の中の金持ち、そして中流階級となり、一般化する。その度に、受け入れやすい形へと工夫されていく。そういうことだろう。

そう考えると、現在の外食産業のあり方も少し整理できそうだ。自宅で本膳料理や会席料理、フレンチのフルコースなんかを用意できる人は限られている。料理を趣味にしている人は別にして、調理を人に任せるとなれば難易度が高くなる。そもそも、専門職のような技術を習得するのは大変なことだろう。だから、自宅ではなくて外食になる。調理してくれる場所へみんなで出かけていく。まるで、初期のコンサートのようだ。

ヨーロッパ流の高級レストランへ行くと、クラシック音楽が流れていて、場合によっては生演奏を楽しめることもある。貴族の食事スタイルを、沢山の人に提供しようとしたらこの形になった、と言えそうだ。

料亭に行くのは特別な時。そういう意識があると思うのだけれど、それはこの文脈に則るのならば自然なことなのかも知れない。

今日も読んでくれてありがとうございます。パンデミックをきっかけにして、デリバリーとか持ち帰りが増加した。外食ができないから、専門家のクオリティを家で楽しもうということだというんだけどさ。これって、貴族の特権だった食文化の民主化が進んだとも言えるかも知れないよ。

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武藤 太郎

1988年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ、カルフォルニア州の大学留学。帰国後東京に移動し新宿でビックカメラや携帯販売のセールスを務める。お立ち台のトーク技術や接客技術の高さを認められ、秋葉原のヨドバシカメラのチーフにヘッドハンティングされる。結婚後、宮城県に移住し訪問販売業に従事したあと東京へ戻り、旧e-mobile(イーモバイル)(現在のソフトバンク Yモバイル)に移動。コールセンターの立ち上げの任を受け1年半足らずで5人の部署から200人を抱える部署まで成長。2014年、自分のやりたいことを実現させるため、実家、掛茶料理むとうへUターン。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務める。2021年、代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなどで活動している。

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