今日のエッセイ-たろう

アドバイスと言葉の呪縛。2022年9月23日

最近スポーツをしていないな。体がなまってしまってしょうがない。そろそろちゃんと体のメンテナンスをしなければ、仕事のパフォーマンスにも差し支えそうだ。ジムでも何でも良いから、運動をしているときのほうが仕事の持久力や集中力が高い気がするんだよね。

子供の頃から、いろんなスポーツをやってきたなあ。小学生から高校1年生まではサッカー、足を故障してからしばらくは文化部で幽霊部員、で2年生から柔道部。体育祭やマラソン大会では、文化部最強の成績だったのは言うまでもない。その後は、柔道部にしてはサッカーがうまいやつになった。

フィールドが変わると、そのジャンルの中で最強の称号をもらうことが出来るのだ。全く無意味だけど。

サッカーは好きだから、朝も昼休みもずっとやってた。だけど、あんまり上手くなる気配もなくてね。体力だけはあったから、試合にも出てはいたんだけど、テクニックはひどいもんだったよ。特にロングキックとか、力強いシュートとか、そういうキックがダメ。小学生の頃からコーチや先輩のアドバイスをもらって、そのとおりに体を動かしているつもりなんだけど、ボールは思い描いた通りの軌道を描くことがない。色々と考えているうちに、インステップキックというのが最も苦手になってしまった。

柔道部に移って、部活動でサッカーをすることはなくなったわけだけれど、それでも高校時代にはサッカーをやる機会はある。体育の授業もあるし、放課後にはサッカーで遊ぶこともあるし、体育大会や球技大会ではサッカーにエントリーした。

驚いたことに、柔道部に移ってからインステップキックが自然とできるようになっていったんだよね。これがとても不思議なんだよ。もうサッカー部じゃないのだから、今更インステップキックが上手になってもしょうがないのだけれど、でもそうなっちゃった。

インステップキックというのは、例えばゴールキックで遠くにボールを蹴るとか、まっすぐの強烈なシュートを蹴る時に用いられる蹴り方のこと。右利きだったら、軸足となる左足をボールの横に置いて、右足の甲で蹴る。この時、体を真っ直ぐにしてブレないように固定し、左足もしっかりと踏ん張る。とまあ、こんな事を教わったわけだね。

シンプルなんだけど、これがどうにもうまく出来なかった。

だってさ。左足を踏ん張っていると、膝が軽く曲がっているか真っ直ぐな状態なわけでしょ?対して右足は足の甲が前を向くわけだから、足首を伸ばしているわけだ。どう考えても右足のほうが長くなるのだから、地面を蹴ることになるよね。体が垂直ならばそうなるはずだ。ならないとしたら、右足がボールに当たる瞬間は、右膝が曲がっていなくちゃいけない。だけど、インパクトが最も強いのは伸び切った瞬間だ。これはゴルフでも野球でもバレーボールでも同じこと。もし、体をまっすぐにしたままだったら、他にできることは軸足で背伸びすることくらいだよ。だけど、それは最初の指導で封じられている。

頭で理解しようとすてわからなくなっちゃったんだろうね。「体をまっすぐに立てる」とか「左足は踏ん張る」という言葉に囚われて、自分の体をうまく動かせなくなっていたんだと思う。もっと、自分の体と対話しながら工夫していたら違っただろう。実際、サッカー部を辞めた後は、インステップキックの時は少し体を左に傾けるようになったし、場合によっては軸足である左足を伸ばして飛び上がるようにして蹴っていた。そのほうが自然にボールを蹴り出すことが出来たし、コントロールも出来たから。

そういえば、柔道部の顧問の先生はあまり細かな指導をする人じゃなかった。練習方法の指導はあったけれど、しばらくは放ったらかし。柔道には掛かり稽古というのがあってね。一人が受け役になって、もう一人が投げる途中までの動作を行う。投げ技って、投げる直前の瞬間までの動作が最も大切。ちゃんと技を発動できるかどうかはその瞬間にかかっている。どこへ力をかけて、自分の体重を移して、相手の重心をどうずらすか。なんだ。だから、その部分だけを繰り返し体に染み込ませるのが、掛かり稽古ってわけ。

でね。ある時、顧問が声をかけてきたんだ。よし、武藤の相手は俺がしよう。入部してから数ヶ月の間にほとんどなかったことだ。掛り稽古を始めてすぐ「うむ。だいぶ技が効くようになってきたな」「え?」「だけど足元が留守だ」。そう言われた次の瞬間に、ぼくの体はまっすぐに真横になって宙に浮いていた。

細かい指導がなかったのは、言葉にとらわれないようにするためだった。まずは、自分の体の使い方を自分自身でつかむこと。そのためには、自分の体と対話するしか無いのだ。そして、体との対話は無意識のレベルで行われるのだから、下手な思考は邪魔をする。体の動かし方の感覚なんてものは、ひとりひとり違うのだから、下手な言葉は下手な思考を助長する。結果として、呪いのようになって体の動かし方がわからなくなってしまう。

あとになって、先生からそんなことを言われたのを覚えている。言葉が、行動や思考の妨げになることがある。アドバイスには適切な言葉も必要だけれど、適切なタイミングがもっと大切だってことなんだろうね。

そうなんだよ。この指導方法のお陰で、まったく練習をしていなかったインステップキックを蹴ることが出来るようになってしまったのだ。一度言葉の呪縛から逃れて、体と対話する。たったこれだけのことだったんだよね。

大人になってから、先生の事を思い出すことがある。それは主に部下や後輩の指導をするときだ。ぼくの言葉が彼らの呪縛になってはいけない。と思っているんだけど、案外難しいんだよなあ。何も言わないのでは始まらないし、言いすぎてもいけない。見守る時も、タイミングがやってくるまでじっと待つ。待ってられないんだよ。言いたくなっちゃう。で、タイミングを掴むのも難しい。ちゃんと普段から見守っていないと、わからないんだから。すっげーな、先生。

今日も読んでくれてありがとうございます。ぼくの包丁技術は、一流の人達の足元にも及ばない。板前として当たり前とされていることはやるが、それすら基本と違う動きもある。桂剥きも、飾り剥きもフグの薄造りも、体と対話しながら身につけたものだからだ。対話ができるようになって初めて響く言葉がある。それが、先人のアドバイスというものなのだ。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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