今日のエッセイ-たろう

記録に残らない部分がほとんど。 2023年2月24日

昨日のお昼ごはんに何を食べたか。もう既に覚えていないかもしれない。そうでなくても、少し考えてしまうかもしれない。ましてや、数日前の食事などは忘却の彼方だろう。今年に入ってから今日までの間に食べたものの中で、「これは今年の一番になるかもしれない」と感じる食べ物に、実は既に出会っているかもしれない。ただ、そこに記憶の栞でも挟んでいない限り、思い出せないまま過ぎ去っていく。年末になって、その年を振り返ったときに思い出されることが下半期に集中するのは、時間的に近いもののほうが記憶に強く残っているからだろうか。

記録に残らないものが、歴史にはたくさんある。日常の食事などは、記録されないことが多い。村の名主の娘が祝言を挙げたときに出された料理。これは、誰かが日記や日誌の形で残していることもある。だけど、村の嘉兵衛さんのある日の夕食の内容はどこにも残されていない。

歴史っていうのは、そんなものなのだろう。大きな出来事があったとして、それを歴史的に大きな出来事だと認知することが出来るのは、多くの場合は後の時代の人である。当事者が認知できている場合は、よほどの大事件なのだろう。

出来事の大きさによって、記録されるまでのタイムラグが異なるのかもしれない。大きければ大きいほどすぐさま認知されるし記録される。小さくなるとそれが大切なことであっても、時間がずいぶん経ってから記録される。近代以降になって、江戸時代の庶民の食文化を研究して記録している人がいる。もちろん、現代も江戸料理研究家という人もいる。それは、当時の感覚ではあまりにも些末に感じられる出来事だから、100年以上の時が経ってから記録されていく。

こうして考えていくと、実は歴史の大半は「わからない」に埋もれているのだと感じる。江戸時代260年ほどの間に生きた日本人の数はいかほどだろう。それぞれの人にそれぞれの物語がある。もしかしたら、後の時代に影響を与えた人が埋もれているかもしれない。一体誰が会席料理のフォーマットを最初に考え出したのか。コケラずしを作り出したのか。今となってはわからない。歴史として記録に残されているのは、そのほとんどが社会の上流に位置づけられた人たちのものだ。

残っていない部分は、もう想像するしか無い。もちろん、勝手気ままに妄想するわけじゃなくて、傍証をかき集めて想像するわけだ。そうしてでも、分からない部分は妄想して楽しむより仕方がないのだ。

実は、そこが一番大切なことなのだろうと思う。史実を忠実にかき集めることが一番大事だとは思わない、という話である。少ない資料の中から情報をかき集めて、それらを複雑に絡み合った物語に組み上げなおす。そうすると、何かしら現代や未来に繋がる文脈が見えてくる。それは、ほんのちょっとした視点の切り替えをするだけでも、違った物語に変容してしまうかもしれない。解釈する人によって、違ったものに見えるかもしれない。そうした誤読を肯定しつつ、これからの生活に活かしていくことで、その人なりの歴史物語が浮かび上がってくる。

たべものラジオで伝えている解釈は、そのほとんどが当事者のものではない。歴史的事象を研究している専門家の見解を紹介することが多いけれど、それも一通りではない。主に書籍から情報を得ているのだけれど、著者の数だけ解釈があるのだ。さらに、僕なりの解釈もお話している。似ているようで、少しずつ違う解釈を並べて俯瞰すること。それを受け取った人が、自分なりの解釈や想像を広げていくことにこそ価値があるのではないだろうか。

現代社会の情報は、ありとあらゆるところに記録されているようにみえる。テレビや新聞などの各種メディア、ブログ、SNS、動画に音声。歴史的に重大事件と思しきものから、他愛もない日常の食事風景。これだけたくさんの情報が記録されていたら、後の時代の人もさぞかし研究しやすいだろう。と思いきや、それもまた難しいはずだ。他愛もない日常の風景に見える事柄も、実はその個人にとっては日常の中の特異点であることも多い。毎朝のルーティーンをSNSにアップすることは殆ど無いだろう。あったとしても、毎日アップされていなければルーティーンだと判別することが出来ない。

それに、だ。ユーチューブなどを見れば、おもしろ動画がたくさんあるし、アニメなども無数にある。後の時代ではこれをどのように解釈するのだろうか。もし、どこかで歴史の文脈が途切れることがあったとしたら、そして残された情報がアニメに偏っていたとしたら。1000年後の人類は、平成時代の人のことをドラゴンボールの登場人物と同一視してしまうかもしれない。

今日も読んでくれてありがとうございます。歴史の何が面白いって、そういう誤読のようなものが存在していることなんだよね。で、嘘か真かを論じながらも、それぞれに何かしらのメッセージを受け取る。何も発信していないのに、勝手に受け取るんだ。そういうのが「歴史」なのかもなあ。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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