今日のエッセイ-たろう

「おいしさ」を感じること。人の好み。 2024年10月15日

「おいしい」と感じる感性はどうなっているのだろう。五味を感じて脳がそれを判断するとか、舌で感じる味だけではなくて匂いや見た目も影響するとか、それはそうなのだ。ただ、同じものを同じ様に察知したとて、それを同じ様に「旨い!」と思うとは限らない。

味を知覚するためのセンサーと、センサーで受け取った情報を認識、の二段階があったとして、それぞれのポイントで個人差があるような気がしているのだ。

子供の頃、誰に質問しても答えてくれなかった疑問がある。

「赤」という色を見て、ぼくは「赤い」と言うし、あなたも「赤い」という。けれども、ぼくが見ている「赤」はあなたにとっての「赤」ではないかもしれない。あなたにとっての「オレンジ」のことを「赤」だと思っていて、でも生まれたときからその様に見えているから言語としては「赤」と判断しているし、「赤」だと答えている。だとしたら、認識している色が違っていても一生誰にもわからないのではないか。

「何が疑問なの?質問の意味がわからない。」「そんなことがあるわけない。」「その質問には意味がない。」

今までに出会った反応を大別するとこんな感じ。そんなこんなで、次第に言葉にすることはなくなった。けれども、冒頭のように「おいしい」とは何かを考え始めた時、再び蘇ってきたのだ。

色に関しては、ポッドキャスト「そんない理科の時間B」であっさりと答えを聞くことが出来た。「お互いに全く同じ色を同じ色として認識しているかどうかはわかりません。」予想通りの答えといえば予想通りだ。が、一番知りたかったのは「知るすべはない」という部分。わからないということは、実験のやりようがなくて証明できないってことなのだろう。

「おいしさ」の話にもどそう。

ぼくが「苦い」と思っているものを、あなたは「甘い」と感じていて、みんなが「甘い」と表現しているからぼくも「甘い」と言っている。

ということは無さそうだ。栄養成分があまりにも違うので、あるていどマテリアルの段階で甘いかどうかは固定される。という気がする。もしかしたら光も同じことが言えるのかもしれない、と思ったけれど、知見のないぼくは何も先へ進めないので、触れないでおこう。

同じように甘いものを食べても、人によっては「おいしい」と言うし「おいしくない」と言う。匂いや食感、旨味や酸味などの情報を全て取り除いて純粋に甘さだけに焦点を当てれば、甘さの濃度だけが判断基準になるのか。厳密には、糖の種類も影響するんだろうけど、そこまで感知できるのだろうかもしれないけれど、それも一旦要素からは除外して考えるか。

濃度だけで「おいしいかどうか」を判断するなら、好みってことになるのか。だけど、その好みは何によって規定されているのだろう。家族兄弟は比較的似ていると思うけれど、それでも好みは分かれる。

ぼくにとっては「甘すぎる」だけれど、他の人にとっては「おいしい」だし、さらに別の人にとっては「甘さが足りない」などということは、よくあることだ。これはどういうことなのだろう。しかも困ったことに、同じものを再び食べた時、ぼくはそれを「ちょうどいい甘さで美味しい」と感じた経験もある。

疲れたとき、スポーツ直後などに甘いものを美味しいと感じるのはセンサーの部分の変化だろうか。リミッターが変更されたイメージ。比較対象となる人たちの体調も体格も違うわけだから、設定されているリミッターが違う。そう考えることも出来るけれど、それだけが原因なのだろうか。

味蕾感覚の閾値や、嗅覚の欠損、などのセンサー部分の差異を減らしていった時、それでもぼくらは、「おいしい」の感じ方は違うのだろうか。たぶん、違うのだろうな。と漠然と思っているのだけれど。

今日も読んでいただきありがとうございます。いつもなら、このあとモヤモヤしながら考えたりもするのだけれど、この先へ進める気がしない。ちょっと疲れているし、寝不足も原因かもしれない。こういうときは、ちょっと甘いものを食べて、それからゆっくり寝るのが良いんだよね。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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