今日のエッセイ-たろう

お互い様。それは、信頼も迷惑も分かち合う優しさ。 2025年7月23日

地元に、子育て支援やまちづくりといった活動に熱心な先輩がいる。もう何年も、地道にそういうことを続けている。

それをやったからって儲かるわけでもないし、得することもたぶんない。知名度が上がったところで、むしろ面倒が増えるくらい。それでもやってしまうのは、きっと性分なんだろうな。

頭も切れるし行動力もある。いっつもにこやかで、なにか提案すると「それ面白いですね。やりましょう」と即答。提案したこっちが置いていかれるくらいのスピードで物事が進んでいく。こんな調子で、自分で出来ることも多いから、気がつけば手一杯になっている。仕事量が多くなってくると、いろいろと細かいところでミスもあるし抜けることもあるのは誰でも同じだ。

そんなとき、不満の声が上がることもあるけれど、「しょーがねーなぁ」と手を貸す人がいる。一般的な出来るリーダーのイメージは、本人の業務スキルも高くて仕事の分配が上手い人だろう。そういう意味では、先輩は仕事の分配がうまいとは言い難い。けれども、いつの間にか周りの人たちが手を出して、それぞれにコミュニケーションを取りながら勝手に進んでいく。完璧とは言えないけれど、なぜかちゃんと動き出して事業が成り立っている。

ホントに不思議。

「こんなことやるんだけど、一緒にやってくれない?」

と言われれば、正直なところ面倒くさいなと思うこともある。だけど、「良いですよ」「うん、わかった」と人が集まってくる。ぼくも何度か一緒に活動しているのだけれど、中には事業内容もわからないままに参加してしまったこともある。

行動力があるものだから、周囲の人へ依頼する量も増える。みんなにも生活や仕事があるから、そうやすやすと引き受けてもいられない。中には、本当に迷惑だと感じている人もいるかも知れないけど、迷惑だったとしても「ま、いっか」と思えてくる。そんな空気を、先輩はまとっている気がする。

周囲に迷惑をかけないようにしましょう。

人間というのは、集団で生活をする存在なのだから、おそらくは世界中のどこに行っても共通の感覚なのじゃないかと思う。文化差による濃淡はあったとしても、それはきっと世界共通の感覚で、とても大切なことだと思う。まぁ、日本人の場合は、世界基準からするとちょっとやりすぎなのかもしれないが。

一方で、この人になら迷惑をかけられても良いという相手がいる。例えば親子。子どもは「親は迷惑をかけても良い存在だ」と信じて育つ。親は親で「子どもってそういうものだ」と、思っていて、それは愛情とちょっとした降参が入り混じった感情。まるで決まりごとのようなもので、見返りがあるかなどと考えもしない。

先輩は、ちょっと子供っぽいところがあって、無邪気なんだ。一緒にお酒を飲んでいても、どこか天真爛漫な明るさがあって、ケラケラと笑っている。あまり愚痴というものを聞いたことがない。細かい所作や特徴をすべてあげるのは難しい。やっぱり、子供っぽい純真さという表現に落ち着く。

「この人なら迷惑をかけられても良いや」って思われる人は、子供っぽいけれど、子供っぽさと同じくらいに素直で明るい。我が子にも、そんなふうに育ってもらいたいものだと思う。きっとそれは、変化の激しいこの時代に「仲間」と手を取り合う力になっていくはずだから。

今日も読んでいただきありがとうございます。迷惑をかけないことも大事。それと同じくらいに「お互いに迷惑を掛け合って生きていく」っていう覚悟も大事。ばあちゃんが言ってた「お互い様」って、そういうことなんだろうな。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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