今日のエッセイ-たろう

とりあえずデジタル化の意味。2022年11月16日

最近になって、やっと市役所の会議にもズームで参加できるようになってきた。これだけリモートだったり、IT活用だったりを言われていたらそうなるか。良いことだ。

そうそう。市内の小中学校なんかは、2年くらい前からiPadが配備されたよね。一人一台。リモートで授業を行うのに必要だってことで始まったんだけど、最近では少しずつiPadを活用した授業になりつつあるらしい。

IT化やDXってちょっと言葉だけが先行していて、困った部分もあるよね。スローガンとしてはわかりやすくて、浸透するのも早い。意識も上がる。だけど、その次のステップが追いついていない。こういった論調はネットやニュースのあちこちで聞かれる。確かにその通り。ぼくもそう思う。

せっかくiPadを配ったのなら、それでしか出来ないことに挑戦したら良いと思う。

例えば、宿題。公立小学校では、クラスの中で学習の進捗にバラツキが発生する。今までは、だいたい平均に合わせて授業を進めることにしていたわけだ。しょうがないよね。ただ、遅い子はしんどい思いをするし、早い子にとっては退屈で苦しい授業になる。ぼくは、後者だったのだけれど、宿題なんてやる気がしなかった。もうね。機械的に作業するだけ。普段から使っている漢字を、ただただ繰り返し書くだけの宿題なんて、もう何のためにやっているのかわからない。書道のように美しい字を目指すのならやりがいもあるかもしれないけれど、すでに覚えていて使いこなしている漢字を「覚えなさい」と言われる宿題は無意味だと思っていたんだよね。

こういうとき、個人レベルに合わせた課題を出せると良いよね。プリントだと難しいのだろうけれど、iPadならば個別化もある程度進められそうだ。先生の負担を考えると、出題も答え合わせもAIでやったら良いよね。

もっと話を進めれば、勉強だけ飛び級が出来るかもしれないじゃない。日本は飛び級がないから、勉強のできる子の成長を止めやすくなっている。苦手な子は、無理せず見合ったペース進めたほうが、後々の理解のためには良い。だって、小学校の勉強っていうのは、階段式だから。手前の勉強で躓くと、次のステップが理解できないってことになる。

一方で、同じ年齢が集うというのも貴重な空間でもあると思うんだ。日本文化の中では、今のところ飛び級も落第も異質の目で見られがち。クラスの中で一致団結するという意味では、たしかに同じ年齢で集団を形成して刺激し合うのもひとつの手段だと思うんだよね。

つまり、集団生活としては今までの方式を継承しつつ、勉強などは個別対応で個性を伸ばしていく。そんなことも、もしかしたら可能かもしれない。金銭的な投資や仕組みづくりが必要なのだろうし、課題もたくさんあるのだろうけれど、こんな方法があっても良いとは思うんだ。

現時点では、DXやIT化に関しては「とりあえずデジタル化」が多く見られる。そんなだから、少し詳しい人から見たら「意味ない」し「活用していない」と判断される。その通りだ。

ただね。もしかしたら、このステップも必要なのかもしれないと思うようになったんだ。そもそも、テクノロジーというのはある課題を解決する目的で開発されたもので、活用は別ジャンルで発生しがちなのだ。軍事目的で始まったインターネットが、ワールド・ワイド・ウェブの思想で民間の情報共有へと変化した、とかね。

で、別ジャンルだけど革新的なテクノロジーが存在している、という事実が無いと先に進まないような気もするのよ。そのテクノロジーを応用したらこっちでも使えるかも?という発想。で、やってみる。やってみたら不都合を発見して、改めて開発が始まる。

目的のために開発があるのだけれど、道具があるから活用方法が生み出される。活用方法が確定した状態で開発されることばかりでもないのだ。

となると、道具の活用には中間の状態があるように思える。それが、「とりあえずやってみた」の状態だ。なんだかわからないけれど、とりあえず実装した雰囲気になってみる。そしたら、絶対にバグが出る。バグじゃなくても、そんなの無意味だという人が登場する。これって、トライ・アンド・エラーのエラーが発生している状態よね。エラーはトライしなくちゃ起こらない。

トライ・アンド・エラーやPDCAと呼ばれるものは、実行して修正することに本質がある。だいたい、個人かチームで行うのだけど、社会実装の場合は社会全体でこのサイクルを行っている感覚があるんだよね。ちょっとスケールがでかい。その分、時間間隔が長くなる。と考えると、何も考えずに意味なく「とりあえずデジタル化してみました」という人も必要なのだ。その減少があるから、だったらこっちが良いというアイデアにたどり着ける。

プレイヤーが異なるから、その間違いを指摘しがち。なのだけれど、そもそも、社会全体で捉えたらプレイヤーが複数にまたがるものじゃない。そうならば、とりあえずやってみたという人が居なければ、むしろ批判的な立場からの改善も存在しないということになってしまう。

危険なのは、次の工夫や改善が生まれないこと。工夫をしようという気持ちが起きないこと。もうデジタル化したからいいじゃん。そうやってとどまってしまうと、中途半端な状態に定着しちゃうからね。PDCAが語られる中で、一番停滞しやすいのはPでもDでもなく、CとAなのだ。次のサイクルへ進まないこと。そこを踏まえて、「とりあえずやってみた」の価値を決めるのは、次の役割を受け取った人たちなのかもしれない。批判はチェックなのだ。チェックとリプランニングからアクション。そこが動ける環境であることがたいせつなんだろうな。

今日も読んでくれてありがとうございます。結果が定ると、原因が定まる。という概念があるよね。それに似ている気がするんだよね。バトンを受け取った人がどう行動するかによって、先人の評価が定まるってね。ぼくが成果を出せば先代社長の評価が上がるし、何もしなければ先代の評価も下がる。そんな感じかな。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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