今日のエッセイ-たろう

コストの掛かる生き物。 2023年9月25日

牛って基本的に牧草を食べているんだよね。豚は、なんだろう雑食だからなあ。とうもろこしとか麦とか、大豆の搾り滓とか、そんなのが主食なんだろうな。リスなんかは種とか木の実を食べていれば幸せだろうし、犬も猫も現代ではペットフードで満足。

それにひきかえ、人間というのは実にコストの掛かる生き物だ。米、麦、とうもろこし、豆、芋、というのが主食になっている。これには地域性があるけれど、概ねこんなものだろう。だけど、主食やそれに準じるものだけで暮らしている地域というのは、あまりないのじゃないだろうか。

スーパーマーケットに行くと、主食よりももっと広い売り場に多種多様の食品が並んでいる。人参、タマネギ、キャベツ、白菜、大根、イモ類、きのこ類。それから肉に魚や貝、海藻などなど。それから、クリ、メロン、スイカ、ナシ、ブドウ、りんご、とまぁ書ききれない。

極端なことを言うと、それを食べなくても大丈夫なんじゃないのかと思うこともある。こんなことを書くと怒られちゃうかも知れないけれど、ブドウやスイカを食べなくても生きていけるじゃない。食文化を探求するたべものラジオとしては、こんな感覚はないのだけれどね。ただ、人間以外の動物と比べると、とんでもなく多様な食品を摂取しているということがわかる。

栄養のことを考えると、いろんなものをバランスよく食べるのが良い。ということになるのだけれど、それを差し引いても、生きるために必要だと言い切れないものもたくさんあるよね。お菓子が世の中から消えてしまっても、生きるだけなら困らない。いわゆる「楽しみ」としての存在がそれだ。そういう意味では、ぼくらのような会席料理なんてものも無くたって困らないわけだ。

一見して、効率が悪いようにも見える。けれども、実はこうした食品群はとても大切なんだとも思うんだ。非効率なものほど実は有用だというのはよくある話。

いつだったか、完全栄養食のようなものが社会に登場したときのことだ。人によっては、これで人類は食の手間から開放されるというようなことを書いていたと記憶している。けれども、そんなことには全くならなかったよね。そして、これからもならないと思う。食の「楽しみ」は消えないんだ。だからこそ、わざわざ「代替肉」で「肉っぽさ」を追い求めているわけでしょう。シンプルにタンパク質を摂取するだけならば、わざわざ「肉っぽさ」を演出する必要などないのだから。

「人間のための食」は、とんでもなくコストが掛かっている。労働力も土も水も必要だし、肥料やそれらを運ぶための運搬にもコストがかかる。新たな技術が開発されて、ビジネスになって売り出されていく。ありとあらゆるところにコストが掛かっている。調理の現場でもかなりコストが掛かっているというのは、調理という行為をほとんどしない動物に比べれば圧倒的。

コストをかけてでも手に入れたい「楽しみ」。それが料理なのかもしれない。人類だけがたどり着いた娯楽と言えるだろうか。もっと進めれば、料理を楽しむことこそが人を人たらしめている要素のひとつと言えなくもない。

他の動物に比べて人類が多くのコストを食に費やしている。だとするならば、食を扱う上では他の生き物との共存することを考えるのは、当然のことということになる。なにしろ、不必要っぽいものを作り出して楽しんでいるのは、人類のワガママだから。遊びと言い換えてもいい。遊ぶのならば、他者を脅かしてはならないというのは基本だろうしね。

そういう意味では有機農業みたいなアプローチはありかも知れないな。健康のためとか、美味しさのためみたいな文脈で有機栽培を推奨するのはイマイチしっくりこないんだけどね。周囲の環境負担を減らそうという文脈であれば、たしかにそうだなとは思うんだ。

今日も読んでくれてありがとうございます。人間は雑食だとは言っても、こんなにいろんなものを日常的に食べている生き物って他にいるのかな。そう考えると、なんだかスゴイことをしているんだなって気になってきたんだよね。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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