今日のエッセイ-たろう

一見無駄に思える時間をかけたところに生まれる情緒的価値。 2024年1月24日

時間をかけて作られたもののほうが素晴らしい、という評価基準のようなものがある。5分でぱぱっと作られた料理よりも、数時間かけて作ったもののほうが良さそうに感じる。たしかにそういうケースも多いけれど、わずか15分ほどで作られる「キンメダイの煮付け」は、10時間煮込んだスープに見劣りするものではない。3分ほどでパパッと魚をおろすほうが、1時間かけて行うよりもずっと良い。

早く仕上げられるのは、もちろんそれを実行できるほどの技術や知見を会得しているからだ。それも、それなりに長い時間をかけて。

ここまでの話は、先日も似たようなことを書いた。ここを土台にして、別の事象を考えてみたくなったのだ。

ある時、妹家族が雪山へ出かけた。スノーボードを楽しむためだ。このときは、家族だけでなく長女の同級生も一緒に行ったのだそうだ。長女の友達は、全くの初心者ウェアもボードも持っていないので、宿でレンタルすることになった。

宿のお兄さんは、事情を聞き、彼女を観察するとウェアとボードを提案してくれた。ボードは身長や、筋肉の付き方や歩き方を参考に。ウェアは、その日の洋服や靴やカバンから好みを推測。これが見事に彼女にぴったりで、すぐに気に入ったそうだ。初心者ながら、雪とスノーボードを存分に楽しんだという。

このお兄さんの観察眼と推察は、経験に裏打ちされたものだろう。素人からみれば、そんなことが可能なのだろうかと驚くしか無い。本人もスノーボードの経験があり、それも地方の大会で優勝するほどの腕前。これまでにも数千人のお客様と対話をして積み上げてきた経験も大きい。

このお兄さんの知見は、実はAIで代替可能である。と、この一文を書いた途端に、とても寂しい気持ちになった。どこかで反発したくなるような、怒りにも似たような感情すらもある。これは一体なんだろう。

冒頭で、時間とクオリティは必ずしも一致しないと書いた。言い換えれば、効率化された高いクオリティは、再現性が高く属人性を消失させる。結果だけを見れば、良い事だらけのように思える。にも関わらず、どこかで警鐘が聞こえる。これは一体なんだろう。

さりげなさ、自然さ、といったものが良いのだろうか。そんなところに気がついてくれたんだ、という喜び。とでも言えばよいのだろうか。さあ、いろいろ測定しますよ。といった具合に構えられたらどうだろうか。相手が人間であっても、喜びは減るのかもしれない。プロフェッショナルだなぁと感心するだろうけれど、感動には至らない。

もし、そうだとしたならば、消費者側も察する力が求められる。そんなところにまで気がついてくれたんだ。と気が付かなければ、お兄さんの心遣いはあまり認識されないだろう。例えば、他に安いサービスを提供しているところがあって、そちらを利用したときに気がつくことがあるかもしれない。比較することで初めて気がつく。そんなことは日常茶飯事だ。

クオリティだけのことを考えれば、AIに任せたほうが効率的という可能性は高い。アルバイトスタッフしかいない店でも、そのシステムさえ導入すれば「最適な道具提案サービス」は成立する。

あとは、個性だろうか。先述のサービスでは、少なからずお兄さんの主観が入っている。おそらく好みなども知らずのうちに影響するだろう。対応する態度や話し方、見た目なども消費者の判断に影響しているはずだ。もしかしたら、精度だけを考えればAIのほうが良いのかもしれない。けれども、人間臭さのようなものが喜びには必要なのだろうか。

今日も読んでくれてありがとうございます。ともすれば、時間をかけて習得したスキルはシステム化される。クオリティも高くなる。ただ、ぼくらはクオリティ以外のものに価値を見出しているのかもしれない。失敗も含めた人間臭さのようなもの。それを、ぼくらは温かみと詠んでいるのかもしれない。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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