本当に地元の酒には地元の食事が一番合うのか?とまぁ、そんな話題が目に入った。面白い問いだ。ちょっと考えてみよう。
そもそも、酒というのは「酔っ払うための道具」という側面がある。ずーっと時代を遡れば、神様や人間同士が酔っ払って互いの境界線を曖昧にする直会にたどり着く。平たく言えば、酔えればなんでも良いのである。
そういえば、父が若い頃は、安く酔っ払うための工夫をしたと聞いた。おでん屋台でお酒を飲んだら、公園を一周走る。危ないったらないのだけれど、コスパ抜群の酔い方かもしれない。ぼくからしたら謎の飲み物ビー酎なるカクテルも一部で流行っていたらしい。焼酎とビールの組み合わせ。ビールを飲みたいのだけれど、ビールは高かった。そこで、ビールに焼酎を入れてアルコール度数を上げて酔っ払う。あまり酔っ払うのがよろしくないという風潮のある現代の感覚ではよくわからない現象だ。
そんな酒を楽しむために発達したのが酒肴。だから、古い時代の宴会料理を見ると、だいたい塩っ辛いものが多い。のどが渇けば酒が進むというものだ。そのうちに、社会の上流ではペアリングのような感覚が育っていく。魚の煮付けだとか、汁物だとか、そういった「料理」が酒を飲むときに相性がいいぞ、と。酒との相性を考えて意図的に料理を作っていたかどうかは定かではない。けれど、料理に砂糖などの甘味料が使われだして、それ以前より料理が甘くなる頃に酒の人気が辛口へと移行しているという現象を見ると、酒と食べ物の相性を感じていたことは感じていだろう。
この話は、日本というまことにおおざっぱな捉え方。地域ごとに考えていくと、また違って見える。冒頭にあるように、地域ごとのペアリングという観念。
これは、近現代の現象だろうと解釈している。正確に言えば、地元の料理や食文化を意識して酒を作るといった意識的な取り組み。たぶん、戦前まではそんな感覚は無かったんじゃないかと思う。ただ、地域によっては偶発的にペアリングが起きていたとは考えられる。
日本酒の造り酒屋は日本中に数多存在している。大きな会社もあれば、石高の少ない蔵もある。小さな蔵の酒は、流通の都合で遠方まで届けられない。流通網が発達したとしても、出荷数が少ないのだから遠方に届ける前に近郊で消費されることになる。そのほうが輸送コストが低いから。で、結果として、近場の人たちが欲しがる味に収斂されていく。ということは起こり得るはなし。偶然、山間部では山の幸との相性が高まるし、港町では魚介との相性が高まる。
ただ、昔から流通の便が良かった地域では、そんな偶然が起きにくかったと想像する。江戸なんかは、江戸前のうなぎや、濃口醤油のそば、握り寿司という文化が発達したわけで、これらは江戸の郷土料理だ。だけど、江戸時代に江戸で最も消費されていた酒は流入品。東海道の道筋も似たようなもので、そこかしこから酒が出入りしていた。近代に入ればそれは加速していって、酒の味は均一化されていく。消費者の好むもの、つまり売れるものに収斂していく。そうした地域で、地元の酒には地元の食事が一番合う、ということは構造的に起きにくいだろうと思う。
そもそも、日本酒にはペアリングという感覚が薄い。日本酒が好きな人からはお叱りを受けるかもしれないけれど、実はペアリングしようと思っていなかった。だって、日本酒と和食で相性の悪い組み合わせなんてほとんどないから。ある外国人がこんな事を言っていた。「牡蠣にはシャブリ」と言われるけれど、あれはワインの中では比較的合うというはなし。牡蠣に合わない日本酒を探すほうが難しい。
日本酒というのは、元来食事との相性が良いのだ。それは、どの地域のどの酒であっても大抵の料理とマッチングできてしまう。マッチングレベル80ポイントをクリアしたうえで、あっちの酒よりもこっちの酒のほうが「より」合うと言っているに過ぎない。
地元の酒と地元の料理の相性がいい。という現象は、ある。ぼくの舌を信じるならば、それはあると思っている。一方で、すべての地域で同じことがあるとは思わないし、すべての料理や酒で言えることでもないと思う。そもそも、一番とか二番という話じゃなくてさ。牡蠣にこの酒を合わせると、こんな感じになるのか。こっちの酒を合わせたらどうだろう。ほうほう、これはこれで良い。最初のほうが好みだけど、どっちも楽しい。そんなところなのじゃないだろうか。
今日も読んでいただきありがとうございます。旅先で飲む地酒はうまい。その地域の雰囲気だったり、食べ物だったり、水だったり、色んな物語を全部ひっくるめて旨いと思っている。バブル時代に、大量の人々が団体旅行をするようになって、地域色を打ち出すプロモーションが行われた結果生まれた酒文化だけど、それもまた良いじゃないか。作り手の維持と心意気が詰まった酒を一献楽しもう。