今日のエッセイ-たろう

実は、日本人は「遊びの達人」の系譜なのかもしれない。 2023年5月2日

日本人は遊ぶのが下手だと言われる。だけど、それって本当だろうか。

確かに、「休みの日に家族と遊ぶ」となると、何をしてよいのかわからないという人も多いらしい。だから、テーマパークや水族館や動物園を選択することになる。みんなが楽しいと言っているのだから、きっと楽しいはず。だから、自分もそこにゆけば楽しいはずで、楽しくならなければならない。むしろ、そんな強迫観念すらあるかもしれない。

フィールドワークをしたわけでもなければ、きちんとしたデータを取って観察したわけでもない。だから、勝手なことは言えないのだけれど、巷に出回っている記事や考察ではそういうことになっているらしい。直感的には、概ね正しいと言えそうな気がしている。

アトラクションのような、アクティブな遊び方は、もしかしたら本当に下手な人が多いのかもしれない。ただ、それは自分に似合う遊び方ではないだけだという可能性は無いだろうか。「遊ぶ」と一口に言っても、色々ありそうな気がしている。そもそも、遊びとは一体何なのだろうか。

日本語においての「遊び」は、「PLAY GAME」を指すこともあるけれど、それだけの意味ではなさそうだ。作品の何処かに遊び心を潜ませる。動きに遊びがある。これらの表現は、それが慣用的用法であっても、PLAYGAMEとは異なるだろう。「余白」とか「余裕」とか「隙間」のような、そんな感覚があるような気がするのだ。

遊びを「余白」や「隙間」といった意味で解釈するのであれば、日常の中に織り込まれた「ゆとり」のような時間や所作を遊びと言っても良い。毎日、一生懸命働いているからこそ生まれる遊びの時間。心が遊んでいれば、それだけで十分に楽しい遊びなのかもしれない。

だとするならば、読書に没頭するのも、テレビを見ながら談笑するのも、公園を散歩するのも、お酒を飲みながら語り合うのも、みんな遊びだ。何か気になったことを、色々と調べてみるのも遊びと言えなくもないかもしれない。そう言ってしまうと、たべものラジオは、ぼくの遊びの延長線上にあるということになるのか。

何かに没頭するのが遊びならば、むしろ日本人は大得意な民族だ。世界のどこに、鮎を釣るためだけの毛鉤を数百種類も生み出す文化が存在するだろうか。絵筆だってとんでもない種類のものがあるし、和包丁の種類は世界で最も多い。道具である以上は、使うことが目的のはずだ。実際、使い道があるから用途に分けている。けれども、少々やりすぎなのだ。鱧の骨切りには専用の包丁のほうが使いやすいが、別の包丁でも十分に代用可能だ。うなぎをおろす包丁と、穴子をおろす包丁とが専門化しているけれど、共有可能でもある。ところどころに、手段が目的を通り越えているような気がするのだ。もはや、それを作ることそのものに快楽を得てしまっているのじゃないだろうか。

手段の目的化。ビジネスの文脈では、一般的に悪い意味で用いられる言葉だ。設定されたKPIを達成することだけに集中しすぎて、本来の目的が何だったのかを見失っている。だから、ちょっとしたイレギュラーでも対応することをためらってしまう。

しかし、こと「遊び」に関しては、手段の目的化そのものが「楽しい」ということなのかもしれない。

ボールを上手に蹴って、パスを繋いで、状況を読んで、走る。目的はサッカーであり、サッカーを上手にプレイ出来ることであり、サッカーというゲームで勝つことである。それはそれで、ゲームとしてとても楽しいのだけれど、目的を取っ払った瞬間にも「遊び」は別の形で現れる。ボールを蹴るという行為そのものが楽しい。子どもたちが楽しんでいるのはそういうことかもしれない。

ゴルフ練習場へ行くと、ゴルフ場には行ったことがないという人に出会うことがある。ただただ、ゴルフボールをクラブで打つことが楽しい。それだけである。そういうのもまた遊びのひとつの有り様かもしれない。

ともすると、一人遊びのようにも感じられてしまうけれど、コミュニケーションは十分に成り立つ。ただ、世界観を共有するだけのことだ。同じ世界に浸っているだけで、とても穏やかな幸福感に包まれる。ドーパミンによる快楽ではなく、オキシトシンによる幸福感とでも言えばよいのだろうか。もっと上手な表現が出来ればよいのだけれど、不意に浮かんできたのがこんな表現であることに寂しさを覚えてしまう。

今日も読んでくれてありがとうございます。日本に根付いてるクセで、なんでも「道」にしちゃうってことがあるよね。お茶も華も、みんな道にしちゃったし。料理もいつのまにか道になっちゃった。近年ではラーメン道なんて言葉もあるよね。徹底的にこだわり抜いた結果、美学になっちゃうんだ。そこまでいくと、みんな「遊び」なんだと思うよ。そういう意味では、日本人ってのは「遊びの達人」が多い民族なんじゃないかと思うんだ。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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