今日のエッセイ-たろう

幸福感を生み出す味噌汁論。 2023年7月3日

幸せな気分というのは、幸せな状態がずっと続いていると分からない。むしろ、増加した時に最も感じやすい。不幸な時間を作れとは言わないけれど、可もなく不可もなしという状態を用意しておいた方が良いのかもしれない。そこを基準点として、一時的に幸福度が増加するときを楽しむ。そんな生き方があっても良いのかもしれない。

このことについては1ヶ月前のエッセイでも書いている。(「幸福感は快楽の増加量に比例する」を実装した生活と食文化。)相反過程理論をヒントに、思いついた仮説である。ぼくの主張はこうだ。伝統的な日本人の生活は「ハレとケ」の組み合わせである。これは、平常時を安定させることによって幸福度を持続させるための仕組みだと言えるのはないだろうか。つまり、幸福度のSDGsだ。

近代以降の日本は、家庭料理を充実させようとしてきた。戦前の婦人画報などにも、「家庭料理を充実させれば家族が帰りたくなって家庭円満、明日への活力になる」という主旨のメッセージを掲載している。家庭の日常料理が本格的にハレ化したのは戦後を脱した高度性経済成長期の頃である。それまでの日本では珍しかったはずの「専業主婦」という概念が民主化されたのは、ハレ化した生活を支えるためだったのかもしれない。

時は流れて現代である。私達の生活は忙しくなり、ハレ化した生活を支える家庭内労働は実質破綻したと言える。その結果、ハレ化した食事を作ることが重荷になった。従前のケの暮らしに戻るには時が経ちすぎたのか、現代人はハレ化した食事をやめられない。

「昼はパスタだったから、夕食は洋食じゃない方がいい。出来れば麺類も避けたい。」口には出さなくても、このような考え方をする人は珍しくもない。むしろ、普通の感覚だと思っている。しかし、歴史上このような感覚を持ち得ているのは私達しかいないのだ。

そこで、ハレ化した生活を購入することになった。海外から訪れた人たちが驚いた惣菜の文化である。江戸時代、棒手振りが届けた惣菜とは明らかに異なっている。ケの料理を提供するのか、それともハレの料理を提供するのか。同じ「惣菜」というカテゴリでも、その内容は大きく異なっている。

これによって、ハレの食事を入れ替えることで「飽きない食事」を支え続けているのである。もしかしたら、幸福度を引き換えにして、なのかもしれない。

ハレの食事は飽きやすいのだろうか。かつてはハレの食だった餅や豆腐、うどんや蕎麦はどうだろうか。昭和であれば、肉じゃがも天ぷらも寿司もすき焼きもハレだった。いずれも手軽に買えるようになった今、ぼくたちはどの様に感じているのだろうか。

毎食続けるのは飽きてしまう。そう感じることがないのが主食である。世界中のどの文化でも主食だけは毎食たべ続けても平気なのだ。そうすることが人類にとって都合が良かったのだろう。逆に、副食で毎食たべ続けられる料理は案外少ないように思える。

日本の伝統では味噌汁がこれに当たる。他の文化については調査しなければ分からないが、きっと定番の組み合わせがあるだろうと思う。味噌汁の凄いところは、米との相性の良さはもちろんのことだが、飽きないことである。飽きないうえに、具や味噌や出汁を変えることで無限とも思えるほどのバリエーションが生み出すことができる。他の副菜などなくても、具沢山の味噌汁は十分におかずとしても楽しむことも出来る。

味噌汁は定番中の定番。それなのに、少しの変化をつけることで楽しみを増やすことが出来る。ケの食事の王様だ。

今日も読んでくれてありがとうございます。もっとケの食事を充実させたら良いかもね。その分、ハレを幸福に感じるから。そういう意味でも味噌汁というのは、実に興味深い。そんな思いがあったんだよ。だから、たべものラジオのファーストシーズンは味噌汁なんだ。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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