食文化史を学んでいると、時々登場するのがお雇い外国人。幕末から明治にかけて、各藩や明治政府が高額の給料を払って雇った欧米の識者たち。エルヴィン・フォン・ベルツは、そのひとり。あまり聞くことのない名前かもしれないけれど、ドイツ帝国の医師で、当時皇太子だった大正天皇の侍従もつとめた人物である。
食に関する彼のエピソードで最も有名なのは、車夫の話だ。
東京から日光へ人力車で移動したのだが、なんと車夫は誰とも交代することなく14時間で走破した。なんという体力だと驚き、ベルツは彼の食事に注目すると、車夫の食事は、玄米のおにぎり、梅干し、味噌大根の千切り、たくあん。たったこれだけ。普段は何を食べているのかと尋ねると、やはり玄米や大麦、栗、じゃがいもなどであったそうだ。そこで、ベルツは肉を食べればもっとパワーが出るのではないかと考え、車夫の食事を西洋栄養学に則った肉を中心とした食事に切り替えさせた。ところが、車夫はパワーが出るどころか疲弊してしまい、しまいには元の食事に戻してほしいと懇願したそうだ。
この話を聞くと、多くの人は和食にアイデンティティを感じるし、日本人には日本人に合った食事があると考える。もちろん、それも事実だろう。人間の食生活と体の関係は、先祖代々引き継がれた遺伝子や腸内細菌叢とつながるという。すっかり変容するには、おおよそ7世代ほどかかるというから、西欧的な食文化に適応するのは、孫の孫の孫の代ということになる。
一方で、日本人の中にも少数派だけれど肉食を継続してきた人達がいる。猟師はずっと肉食をしてきたし、もっと古い時代なら戦国時代の武士も肉を食べていた。
基本的にタンパク質は、体を作る素材となることが多い。もちろんエネルギーに変換されることもあるのだけれど、その場合は糖質はもちろん脂質にもその消化効率において及ばない。エネルギー源としては効率が悪いのだ。だから、タンパク質は基本的に体を作るものと考えて良い。江戸幕府歴代将軍のなかで最も体格が良かったのは初代家康である。という事実が、それを物語っているだろう。
では、なぜベルツは「肉=パワー」と考えたのだろう。それは、パワーとエネルギーを分別していなかったからではないか。また、瞬発力と持久力についても、切り分けて考えていなかったのではないか。そんな想像をしている。
どれほど力強いエンジンを積んだ車でも、ガソリンや電気などのエネルギー源が必要だ。素晴らしく力強いエンジンでも、そのおかげで燃費が悪く遠くまで行くことはできない。細かなことを言うと、色々と語弊があるだろうが、ざっくりメタファーとして捉えればこんなところだろう。
車に例えて言うならば、強大なトルクを発揮する速い車と、燃費が良く軽快に力強く一定の力を発揮する車の違い。トレーラーの牽引車と軽トラックに例えるのは少々乱暴かもしれないけれど、とりあえずそのくらいの違いだとして考えてみるとして、だ。純粋にどちらが優れているかなど判別しようがないということがよく分かる。
こうして眺めてみると、江戸期から明治期の人々の生活環境が透けて見えるようだ。一定期間だけバリバリ働いて、あとは休日というのではない。言葉は悪いが、長くダラダラと働いていたかもしれない。土日休みなどというものは当然なく、毎日働く。その代わり、一日の労働時間も少ないし臨機応変に対応してきた。つまり、長距離走だ。短距離走を何度も繰り返すような暮らしではない。と、そんな想像が働く。
今、世界は経済的にも文化的にも強く繋がるようになった。その結果、互いに様々な影響を与え合っている。が、それでも人々の生活習慣が大きく変わることはない、というのが一般的。その地域の自然や文化的背景に支えられたものだから、おいそれとは変わらないのだ。日本は、例外的な地域だろう。だからこそ、互いの文化をちゃんと理解する必要がある、ということだ。
今日も読んでいただきありがとうございます。そうは言っても、肉って美味しいんだよね。美味しいって感じるのは、現代社会の仕組みが欧米かしたからなんだろうか。それとも、ホモ・サピエンスの認知のバグなんだろうか。そういえば、パワー重視のアメリカでも砂糖というエネルギー源に魅了されているしなぁ。もしかしたら、必要な栄養の少し外側にあるものに魅力を感じてしまう生き物なのかもしれないよね。