料理本を見ながら献立を考える。といっても、大抵の場合は色合いだとか、食材の使い方だとか、そういった「他の料理人の思考」を感じてインスピレーションを受けるのが料理本の主な使い方。レシピ通りに作った料理も多いけれど、そうではないケースのほうが多い。
料理人と話をしていると、料理本の使い方はたいてい上記のパターンが多いようだと感じる。一般的な使い方とは随分違う。
色のバランスを見て、食材を他のものに置き換えるなんてことはよくある話。色しか見ていない場合があるというのも面白い。
海外に拠点を移した人が、日本料理を再現しようとしたけれど食材が手に入らなくて類似食材を使うというのと少し似ている。似ているのだけれど、ぜんぜん違う料理になる。色しか見ていないとなると、味が似ていないからもっと違いが大きくなる。もう、まったく違う料理だと言っても差し支えないレベルだ。
もしかしたら、郷土料理というのはこんな感じで出来上がったのかもしれない。
京ではこうするんだけど、同じものは使えない。気候や土壌の違いもあるし、資金力の違いもある。置き換えをしたら、それが伝統的に継承されていく。それはそれで旨いというわけだ。
置き換えの面白いのは、時として全く違う食材を持ち込むことだ。肉の代わりにチーズや豆腐、蒟蒻を使う。というのは序の口である。極端な場合、全く違う食材に置き換えられてしまうことすらある。
みかんといちじくは全く違う味。にも関わらず、ただ果実だと言うだけで置き換えられてしまうこともある。どう考えても全く違う。みかんはイチジクにはなれないし、逆も然り。そういう極端な違いがあると、違いの異なる料理が生まれるチャンスだ。
人間関係も似ていて、チームメンバーをちょっと変えると、それだけでガラッと違うチームになってしまう。料理名が変わるほどの変革だ。それがまた面白いと思っている。ミカンとイチジクで、どちらが優れているという話はできない。料理によっては向き不向きがあるだろうけれど、だからといってどちらかが上位だという話にはならないわけだ。
SNSを見ていると、二項対立で捉えようとする投稿を見ることがある。男女、世代、貧富など、様々なパターンがある。だけど、それって本当に比較が可能なものなんだろうか。ミカンとイチジクのように、比較することに意味がないということはないだろうか。
トンカチとノコギリの口論という小話がある。トンカチはいつもノコギリに不満を持っていて、ちょっとくらいは釘を打ってほしいと思う。ノコギリは、私ばっかりが木を切っていてトンカチも気を切るべきだと思っている。自分ばかりが頑張っていると思うと、相手の特性を無視して不満が出る。自分が払うコストを相手も払うべきだ、という理論に似ている。
役割分担といえばそうなのだけれど、感覚的にはちょっとニュアンスが異なる感じがある。適材適所のほうが近いか。お互いに、それぞれの特徴にリスペクを払って、お互いを活かし合う。江戸時代には、お金持ちが資本を投下して、庶民は労働力を投下する。そうやって、地域の治水工事などを成立させていたという。協力共同体っていうのは、そうして出来るものなのかもしれない。
どちらが活躍しているか、ではなくひとつの目標に向かって横並びで協力し合う。直面する課題にて対して、ぼくらがとるべき姿勢はこういうことなのだろう。大企業もベンチャーも資本家も金融機関も研究者も、それぞれの得意を持ち寄って課題に向き合う。そういう横並びの関係が、本来あるべき共同体の姿なのかもしれない。
今日も読んでいただきありがとうございます。SKSJapanというのは、国内最大のフードテックのカンファレンス。ここで体現されているのは、横並びの関係の構築なんじゃないかと思うんだ。ぼくらみたいな存在もいれば、食産業の大手もいれば、ベンチャーも、金融機関もいる。で、みんなで一緒に知恵を絞って食の未来を考えようっていうんだ。なんだか、とっても明るいじゃないか。