今日のエッセイ-たろう

歴史的な変化が起きたその日、それは音もなく過ぎ去っていく。 2024年12月30日

食文化の変遷を数多く観察していく。というのは、たべものラジオの番組としての特徴のひとつ。食材も変わったし、食材がどのように調理されていくかも変わったし、食材に対して人間がどのように相対してきたかも変わってきた。その変化は、歴史観察、つまり過去を振り返ることで理解することが出来るのだ。今、この瞬間の変化を感じられるのは、ごく一部の人たちだけだと思っている。

歴史は音がしない。

と、誰かが言っていた。

例えば、大政奉還が行われた日。それは、ぼくらが学ぶ歴史の中ではとても大きな変換点だったわけだ。けれども、日本という場所に住まうほとんどの人は、いつもと同じ日常を過ごしていたはずなんだ。現代のようにテレビもインターネットも、新聞さえも未発達な時代。当事者であるはずの多くの人たちは、当事者としての自覚がなかっただろう。

もし、テレビで中継されていたとしても、画面の中の景色としか感じなかいかもしれない。水平線の彼方に見える景色には、音や息吹を感じられないのだ。

歴史の変化を感じるには、ふたつポイントが有る。

ひとつは、変化する対象そのものに注意を払っていて、知見を持っていること。もうひとつは、音が聞こえる場所にいること。だろうと思っている。

国家が大きく変わるほどの出来事ですら、ほとんど感じられないのだ。インターネット社会が到来して、気がつけばAIが社会を変革させている。実は、後に歴史の教科書で語られるほどの大きな変化のはずなんだけど、ぼくらは昨日の延長線上にある今日を生きている。まして、文化の変化など、よほど注視していなければ気が付かないだろう。

いつも通り料理屋の仕事をしていても、手に入る食材の変化を感じられる。食材が変われば料理も変わるし、アプローチも変わる。かつては安価な食材だったものが高級化していったり、それに対する人々の向き合い方も変わる。そういう場所に身をおいているのだ。つまり、食文化の変化を直接感じられる場所にいることはいるということ。あとは、その認識を持つかどうか、だ。

3年前からSKS Japanに呼んでいただくようになり、食分野の変化を肌で感じられる距離に身を置くことが出来た。おかげで、より鮮明に音が聞こえるようになった。

ただ、気をつけなくちゃいけないのはその世界にどっぷりと浸ってしまうと、今度は俯瞰できなくなってしまうような気もしている。日々の料理にだけ集中しているとか、スタートアップの怒涛のような流れの中でビジネスに集中しているとか。そういうときは、大きな流れが見えなくなりそうだと思うんだ。

変化の中に身を置きながら、その音を肌で感じながら、それでいて歴史の流れを感じられる。なんてことは、そう簡単なことじゃないんだろう。だから、ぼくらが番組を作っている価値があるのかもしれない。

変化の中心近くにいて音を聞きながら、それでいてどこか他人事のように自分を歴史のプレイヤーとして観察出来るような視点をもつ。そのヒントとしての情報を置いておく。

海の上に浮かんでいると、体が右に左に動かされる。個としてのぼくが感じられるのは、そういう変化。で、ちょっと上空から眺めると、大きなうねりが見える。更に俯瞰すれば、大きな潮流が見えてくる。水の跳ねる音も聞こえるし、体が揺れ動くのも感じられる。同時に、大きな流れを想像することも出来る。そういう感覚かな。

今日も読んでいただきありがとうございます。テレビやインターネットを通じてやってくる情報は、たぶん変化の一部なんだよね。それに気がついて音を想像できる人が増えたら良いと思うんだ。なんか、せっかくその時代に生きているのにもったいないじゃない。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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