今日のエッセイ-たろう

湯水のごとく。贅沢なエコ・ネットワーク。 2024年6月29日

湯水のごとくって言うけれど、こんな表現があるのは日本だから。そのまま飲めるくらいの水がこんなにも豊富に、しかも簡単に手に入れられる地域っていうのは、そうそう無い。そういう場所に住んでいるんだ。

日本においては、湯水のごとくと言えば、次から次へと無尽蔵に溢れ出るもの。いくらジャバジャバと使ってこぼしても、まだまだ溢れ出てくるイメージ。溢れ出てくるから、こぼしても気にしない。先進国と呼ばれている社会は、食料をそういうふうに扱っている。

そんなことない。というかもしれないけれど、エコ・ネットワークはそうなっているように見える。

ぼくらは、マーケットに行けば大抵のものは手に入る。季節によっては手に入らないものがあったり、高額になったりするけれど、大概のものは「有る」のだ。売り切れることはあっても、それなりにストックされていて、お金さえ払えばなんとかなりそうな環境にいる。

「有る」ということは、それだけストックに余裕があるということ。つまり、いつでも有るということは、余ることを前提に成り立っていると言える。フードロスが叫ばれるようになって久しいけれど、流通の問題についてはあまり語られない。家庭や飲食店などで、食べ残しは問題にされるけれど、流通上ロスはかなり大きいだろう。冒頭で「湯水のごとく」という言葉を使ったのは、まさにこれだ。ぼくらは、いつでも食材を手に入れられる豊かさを「湯水のごとく」で享受しているわけだ。

じゃあ、フードロスが発生しないエコ・ネットワークを作ったとしたらどうなるだろう。完成した暁には、マーケットを訪れるタイミングによっては売り場の在庫はほとんど空っぽということになる。どこにいってもそういう状態になると、今までの生活が成り立たない。夜遅くまで仕事をしていたら、食材を買いそこねる。惣菜を買うにしても、外食するにしても、行ってみたら売り切れだってことも十分にある。そういうことも覚悟しなくちゃならない。

水は、そのままこぼれていってもほとんどロスがない。それは、循環するからだ。水道から排水管に直接流れ落ちた水は、いつかまた返ってくる。じゃあ、食料の場合はどうなのだろう。どういう循環になるのか。

生ゴミの多くは、燃やされる。燃やされてかさを減らして埋められる。で、再び土になる。それはそうだが、場所が問題になりそうだ。埋立地は、その上に公園やまちが作られるかもしれない。この土になったのは、元々食料で、その食料は土の栄養を吸って出来ている。どこの土かと言えば、日本のものもあれば外国のものも有る。多くの肥料が外国産ということを考えれば、どこか遠くの地の栄養を日本に運んできて、何割かは食べるが残りは国土になる。

つまり、どこかの農地の栄養を都会のコンクリートの下に埋めている、ということもあるわけだ。そんなことをしていれば、農地の栄養はどんどん少なくなっていくし、栄養のもとになるはずの土は利用されないままに地下に埋もれていく。

水に置き換えると、利用した後の水が再利用できないままに封印されていくようなものってことにならないだろうか。

もちろん、すべてがそうだとは言わないけれど、土の栄養の一部は循環せずに行き止まりになっているのじゃないだろうか。このあたりのことは、専門家の意見を聞いてみたいところだけれど、いまぼくに見えているものをつなぎ合わせるとこんなふうに見えるんだ。生ゴミを集めて、発酵して土に変えた後、再び農地に戻すことは出来ないもんだろうか。もしかしたら、日本から農業国へと土を運ぶなんてことが循環を生み出すかもしれない、なんて妄想もしている。

今日も読んでいただきありがとうございます。燃えるゴミと燃えないゴミって分別するじゃない。他にも缶とか再生可能なものとか。この分類のネーミングをちょっとだけ変えて、発酵して土に変えられるというカテゴリがあっても良さそう。微生物が食べやすいゴミ、とかね。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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