今日のエッセイ-たろう

言葉で表現する面白さと、難しさ。2022年11月7日

言葉ってほんとに面白い。ぼくらの思考は言葉でできているし、コミュニケーションも言葉でできている。そんな風に思っている。なんだけど、それって誤解なんだよね。言葉で表現しようとして、ちゃんと伝えたいと思っているのに、どうにも伝わらない。そういうもどかしさがあるのが言葉で、そのもどかしさが楽しくて面白いんだと思うんだ。

もう、ずいぶん前のことだけどね。詩を書いていたことがあるんだ。中学生、高校生、大学生のころ。なんとなく流行りで、バンドを始めたのよ。楽器なんか一つもできないのに、たまたまラジオで素人バンドの話をしていたか何かで、それを聞いたら「かっこいいな」と思っちゃって。で、同級生に声をかけてバンドを組んだ。だから、誰かの楽曲に憧れたとか、そういうのもない。そもそも、初めて自分のお金で購入したCDだって、ちゃんと自分感性で選んだものじゃなかったもんな。アーティストの名前なんか、ほとんど知らなくて。CDがズラッと並んだ棚を目の前にして途方に暮れていたら、聞いたことのある名前が見えたんだ。そのアーティストがどんな曲を歌っているのかも知らなかった。ただ、クラスの誰かが口にした人物名を覚えていただけのことなんだ。そうして、手にしたシングルCDが德永英明。

物事の始まりなんて、どんなところにあるかわからない。バンドを始めてからは、メンバーやクラスメイトに教えてもらった音楽を片っ端から聞いた。とにかく中学生のやることだから、有名な人や流行りの曲を購入しては毎日繰り返し聞いていたっけ。だったら、好きな曲を演奏するようになれば良いんだけど、そうじゃなかったんだよね。いきなりオリジナル曲をやろうとしたの。アホだよね。

なにせ、「バンドやってる人かっこいいな」と思って始めたもんだからね。「作詞作曲ってかっこいいな」っていう、実力とか技術とか全く無視の思考をしたわけだ。だからといって、ぼくに演奏できる楽器なんてひとつもない。当時練習していたのはドラム。だから、コードもキーもなにも知らない。そもそも素養がないんだ。曲なんて書けるわけがないじゃない。

で、思いついたのは当時ボーカルをやっていた友人が曲を作って、ぼくはひたすら詩を書くというスタイル。文字なら操れそうだなと思ってね。

いくつの詩を書いただろうな。ホントに短いものから、詩人が書くような長さのものから、ポップスやロックにありがちなパターンまで。とにかく、音を乗せる前に詩を書きまくったんだよね。もう、どこにいっちゃったかわからないけれど、きっと家の何処かにノートが残っていると思うんだけど。

素人なりにも、物量をこなしていくとね。それなりに様になってくるんだよ。不思議だよね。ぼくの書く詩はイメージが先行する事が多かったかな。言いたいこととか、描きたい世界観が先に湧いてきて、それを言葉で表現しようとするんだ。モヤモヤしたものを、限られた文字数だったり、リズムのある言葉だったりにまとめていく。

で、なにが起きるかというとね。書けなくなるんだ。いや、文字は並んでいるのよ。なのだけれど、何度読み直しても書き直しても、イメージしている世界がそこにないということに愕然とするんだ。スパッと言い切れると美しいのだろうけれど、それが出来ない。で、結局ダラダラと文字を書き連ねることになる。長文っていうのはそうやって出来てしまうものなんだ。

ところが、ぼくが詩を書く目的は楽曲にして演奏することなのだ。楽曲にするからには、自然と使える文字数に制限がかかる。文字数というとちょっと違うかな。音の数といった方が正確かもしれない。

ホントにため息が出るんだよね。同じテーマで何度も詩を書いたのは、納得がいかないから。何度もやり直したんだろうな。ぼくにもっと語彙力があればよかった。知っている単語の数に限りがあるのだ。単語数が少ないということは、絵で言えば使える色の数が少ないということだ。絵の具よりも、色鉛筆のイメージかな。12色の色鉛筆よりも、36色の色鉛筆のほうが表現の幅は広いよね。ちゃんと扱えればの話だけど。

そう思って、いろんな言葉を覚えようとして辞書を片手に詩を書いてみたことがある。普段使わない言葉だから、もう忘れてしまったのだけれど。意味もなく辞書を開いてみて、適当に読んでみて、面白そうな言葉や使えそうな言葉を拾い出していく作業。ところが、今度は全く伝わらないという事がわかってくる。当然だけど、言葉というのは発信者と受信者の両方で共通の理解がなければ伝わらない。すなわち、コミュニケーションの不成立だ。

よく、現代音楽の中では聞いたことのない英単語が散りばめられていることがある。知らない単語は全く意味が伝わらないのだ。単語の解釈を歌詞全体で表現して、英単語はその象徴として用いる。そんな感じで使用しているから、なんとなく伝わる。それに、自ら作曲しているのであれば、音でそのイメージを補強することも出来る。

で、比喩表現に凝りだすわけだ。でも、そこにばかりこだわっているのもね。なんとなくクドい。伝わるような伝わらないようなフワフワしたイメージになる。そういうのも好きなんだけどね。

あと、どこにでも登場できるような汎用性の高い言葉もあるんだよね。なんだろうな。ぱっと思いつかないけれど「とても」「すごく」「みたい」に色んな場面でいろんな意味に使えるもの。「やばい」とか「ちょっと」もそうだよね。ある意味オールマイティ。なんだけど、同時にイメージを構築するのには役に立たない。多用すると世界観を薄める効果すらあるくらいだ。

ね。言葉って面白いよね。表現できているようで、全然表現しきれていない。なのに、この不自由なコミュニケーションツールが最も万能に近くて、誰でも使いやすい。だから、これを使って思考するわけだ。そうすると、言葉で規定できない物事の解釈に悩むことになる。あーちゃんと表現したい、言語化したい。そういうジレンマがまた、たまらないんだ。

今日も読んでくれてありがとうございます。ぼくはずっとロジカルシンキングしがちな人間だとばっかり思っていたんだよ。幼い頃から理屈っぽいと言われていたし。おかげで可愛くない子供だったんだけどさ。でも、よくよく思い出してみると、論理よりも先にイメージなんだろうね。感覚で捉えてから、それを言語化するという順番かも知れない。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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