今日のエッセイ-たろう

30年前の伝票を見て、その単価に驚いた。 2023年4月3日

店の座敷の畳をひっくり返したら、いくつかの衣装ケースが出てきた。中身を確認するまでもない。いずれは処分しなければならないとはわかっていたが、ついつい面倒になって放置していた書類の山である。悪いものを隠していたわけではなくて、企業は一定の期間は取引伝票などを保存して置かなければいけないのだ。どうにも場所をとるものだから床下にしまっておいたのだが、今度は床下から取り出すのが億劫になって放置されたという始末。

ちょうど30年前の領収書の控えなどが大量にあった。処分する前に、なんとなくパラパラと眺めていると、あることに気がつく。それは、料理の単価が現在とさほど大きな差がないということである。手書きの領収書なので、比較的価格が高いのだろうけれど、ざっと平均してみても1000円ちょっと安いくらいのものである。飲食店の売価がずいぶんと長いこと据え置きになっていたことがわかる。

30年前といえば、少年誌がやっと200円くらい。トヨタクラウンの上級モデルでも400万円に届くかどうか。ラーメンは500円弱。記憶の中の数字だから誤差はあるだろうけれど、とにかく全体の物価が安かったのである。

その時代の料亭がやたらと高価格だったかというとそうでもない。他の店とあまり変わらないし、都会はおろか県庁所在地の料亭と比べたらかなり安かった。だから、東京に本社を置く企業からは接待の注文が多くあったのだ。それよりも、価格が上昇していなかったと捉えるほうが正確なのだろう。実際、他国の物価と比べると、当時と比べて現在のほうが乖離がある。もちろん、日本が横ばいに近くて、各国が上昇しているのだ。シンプルに置いていかれている感じがする。

ここ近年になって、やっとラーメンなどの価格は上昇し始めたし、パンデミックや戦争の影響で全体の価格は上昇した。けれども、それは諸外国のそれには追いつかないし、仕方なく上昇させているというネガティブな理由からである。

原因を探れば、様々な理由が考えられるだろう。その辺りのことは、専門家や未来の人に任せるとして、現在と未来のことを感がてみることにしよう。価格上昇させなかったことが引き起こした現象を、である。

飲食店の価格が横ばいから微増だったことは、消費者の購買意欲を高めたかもしれない。低価格高品質。いわゆるコスパが高いというものである。そういう意味では、当店の料理はコスパが高い。30年間で130~140%程度の価格上昇率でしかない。世界商品が200%以上の価格で販売されている現代においては格安のはずだ。外国人観光客は他のどのサービスや商品と比べても、食事が安いと感じているらしい。

購買意欲が高くて市場が拡大したからなのか、それとも単純に外食ニーズが高いだけなのかはわからないけれど、飲食店は増加したらしい。そうなれば、一定の価格競争が発生する。特にファミリーレストランやファストフードなどの外食チェーンでは、それが発生する。本来であれば、サービスも料理品質も違うはずなのだが、同じ外食産業というだけで、他の飲食店たちは下げ止まった価格に引っ張られることになったのだろう。

他にも理由があったかもしれないけれど、とにかく外食産業全体が薄利多売の世界に近づいたように見える。もちろん例外はいくつもあるだろうけど。高品質な料理を提供し続けるためには、それなりに良い食材とつくり手が必要だ。なにしろ、工業製品と違ってその場で作ることを求められる。ライブしか行わないミュージシャンのようなものだ。そのライブ感が良いと感じているから、飲食店へと足を運ぶということもある。

料理にしても、接客にしても「人が行うことを楽しむ」という消費者心理がある。となると、スケールすることには様々な課題がつきまとうため、スモールサイズで経営することを選択する店も多くなる。そんな中で売価を上げずにいれば、固定費や変動費が上昇する中で人件費は上昇しないままになる。

ファクトを確認せずに、なんとなく推測を積み重ねているに過ぎない。ただ、実際の飲食店経営者としての感覚や、親しい同業者などの話を組み合わせると、どうもそのように見える。

かつての日本の基幹産業は工業製品だった。それに続くのがITやテックのはずだったが、それもいまや近隣諸国に後塵を拝している状況だ。そこで、今注目を集めているのは観光業なのだ。日本の保有する豊かな自然と、歴史と食事が他国から注目されている。そして、それをもっと加速させていきたいと政府も考えている。つまり、自然と歴史と食が強力なコンテンツになりうると考えているということだ。

自然はすでにあるのだから、壊さずにデザインを考える。歴史についても、既存のものを継承しつつ見せ方を工夫するところにポイントが有る。さて、食はどうか。たしかに文化や飲食店は存在しているが、作り手がいなくては消失するのである。比較的認知度が高くて、キャッチーな料理は継承されやすいかもしれない。けれども、優秀で強力なコンテンツとなるはずだけれど、このままだと消失するか作り手が減少するかもしれないという分野もあるのだ。会席料理はまだいい。茶懐石や精進料理は、その文脈を正しく受け継ぐ人は年々減少しているという。

これから先、世界に誇るべき美しいコンテンツを生み出し続ける仕組みを考える必要があるだろう。そのためには、提供者のボリュームも大切になる。一定のマーケットを整備して置かなければ、そこから飛び抜けた人材も生まれないし、消費者も回遊出来なくなるのだ。消費者から忘れられたニッチなマーケットは、自然消滅のリスクをはらんでいることは歴史が証明してきた通りである。

さて、ここからがひと勝負の時代だろう。独自の思想を紡ぎ出して、世界観や物語を編む。そんな料理が求められる。そして、その物語を世界に向けて発信し、日本の食文化がコンテンツとして語られることを目指したい。世界中に日本食が広まれば、本場の味を楽しみたいと考える人も増えるだろう。日本料理を学びたい人ももっと増えるだろう。そのときには、コンテンツの担い手としての料理人の存在意義も高まっていることだろう。

妄想の未来でしか無いけれど、一歩ずつ進むより仕方あるまい。

今日も読んでくれてありがとうございます。料理の仕事につく前からずっと気になっていたんだよね。世界基準で見たら、日本の食事は安すぎるって。テレビなんかだとアメリカと比較されていることが多くて、それは経済が違いすぎるからだって批判があるんだよね。あのね。バンコクのラーメン屋さんって、日本円で2500円くらいするんだよ。で、満席なの。日本がどういう状況なのか、ホントに考えなくちゃだよね。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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