今日のエッセイ-たろう

季節感が変わったというより、気候帯が変わりつつある? 2024年9月11日

重陽の節句も終わって、もうすぐ中秋の名月。暦の上ではすっかり秋なのだけれど、日中はまだまだ暑い。秋という季節は、その始まりと終わりでは全然違う季節みたいに感じられるくらいに違うから、今も昔も暦と体感はずれていたのかもね。と、無為な想像をしている。

それはともかく、ずいぶんと気候が変わったような気がしているよね。気象庁などの気候データを見れば「気がしている」ではなく、確実に変わっていることが数字でわかる。夏の最高気温は高くなったし、集中豪雨が増えている。

興味深いのは、年間降雨量自体はあまり変化がないらしいということだ。うまく体感できていないのは、人間の感覚の限界なのか、それともぼくが鈍いのか。

降雨量は変わらないけれど、「日照りが続いてドバッと豪雨」というパターンになっている。というのだけど、確かにそんな感覚がある。今年の夏もずっとそうだったな。この極端な気候って、ちょっと熱帯性気候に似ている気がする。よく冗談めかして「もうゲリラ豪雨じゃなくてスコールで良いんじゃない?」って言ってるんだけど、もしかしてホントにそうなりつつある?なんて思ったりもしている。門外漢の言うことなのでなんの信憑性もないのだけど。

雨季と乾季がはっきりしている気候では、二酸化炭素の排出量が増えるリスクが有る。これは、土が乾燥することで土壌中の有機物が分解して、二酸化炭素になって放出されていくからだという。簡略化してしまえば「乾くと痩せる」ってことかな。

じゃあ、熱帯性気候の地域は二酸化炭素の排出量が多いのか、と思うかもしれないけれど、これがまた上手く出来ているんだ。乾季になっても土が乾かないという環境があるのだ。学生の頃に「針葉樹林」とか「落葉広葉樹林」とか「照葉樹林」とか、森のタイプを勉強したのだけど覚えているかな。大雑把に2つに分けると、「冬に枯れる」のと「ずっと緑」。

熱帯地域も落葉樹と常緑樹の、両方のパターンが有るのだけれど、常緑樹の森が多いらしい。

日本国内の常緑樹の森といえば、照葉樹林。夏でも冬でも鬱蒼としていて、足を踏み入れようとしても下草がや灌木や蔦などが生い茂っていて、まるで人間の侵入を拒んでいるかのような状態。様々な虫がいて、暖かい季節ならあっという間に蚊の餌食となってしまう。足元の草をかき分けて踏みしめる大地には、腐葉土となりつつある葉が敷き詰められていて、ほんのり湿っている。そういうのが照葉樹林かな。熱帯雨林は、もっと強烈なんだろうか。行ったことはないので想像するしか無いんだけど。

乾季のある熱帯でも、一年中ジメジメしている場所があるっていうこと。だから、有機物は空気中に放出されることはないし、放っておけばどんどん土壌は豊かになっていくのだ。

森が減ると空気中の二酸化炭素が増える。というのは、結構前から言われているのだけれど、草木だけが炭素を蓄えているんじゃなくて、吸収した炭素が地中に固定されているというのも多いのだろうな。土の保湿っていう意味で、常緑樹が機能している。

そうなると、町や畑ばっかりだと厳しい。日本列島が徐々に亜熱帯になっていくとしたらという話だけどね。土壌がどんどん乾いて、二酸化炭素も窒素も固着できないから、土が痩せ続けて農作物は育ちにくくなる。しょうがないから肥料を輸入し続ける。みたいなサイクルがより激しくなるかもしれない。

これ、何か聞いたことのある話だなと思ったら、メソポタミア文明の没落に似ているかもね。

文明発達→人口増加→木材資源消費。という時代に、なぜか地球温暖化。ちょうどサハラが砂漠になった頃のことだ。すると、土が乾く→灌漑工事頑張る→灌漑が無駄と思えるほど塩害発生→人口減少。結果的に、湾岸を中心とした文明国家は崩壊して、北部の国家が台頭した。

今日も読んでいただきありがとうございます。こんなの再現してくれなくて良いんだけど、似たような事例っていくつもあるんだよね。で、回避できていないというか、文明自体が移動してたりするんだよね。だけど、現代だと移動できないもんなあ。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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