今日のエッセイ-たろう

花と料理。場を見て整えるという思想。 2025年3月14日

とある記事で生け花について読んだ。門外漢であるから、身体性を持って何かを感じ取るということは出来ないのだけれど、実に日本らしいと感じたし、日本料理とも共通するポイントがありそうだと感じた。

まず最初に場を見る。花を飾る場所はどんな形をしていて、どんな人がどの角度から眺めるのか。どんなふうに光が差し込むのか。そんなふうにして、空間、自然、人、調度品などとの関係性を見定めることから始めるのだそうだ。

そして、野山に出てどんな草木があるかを見る。見合う花器を決めて、それから最後に、どのように花を立てるかを考えるのだという。

考え方の順序に興味を惹かれた。本丸であるはずの生け花が最後。これは、周囲との関係性を重んじるという考え方、相対的に見るという視点である。そのものが単品で成立するものではなく、あくまでも鑑賞者がいることで成立する美。というのが、ぼくには実に日本的に思える。

月は人間がいてもいなくても、ずっとそこにある。けれども、美しい月は人間という鑑賞者がいなければ成立しない。ある人にとっては、ただ美しく心が安らぐ景色かもしれないし、また別のある人にとっては物悲しく見えるかもしれない。

誰が、どのような心情で鑑賞するのか。それによって、真実は移ろうもの。事実はたったひとつでも真実は様々。

一人の鑑賞者として、記憶の中で呼び起こされる花のある風景がある。ある寺を訪れたとき、玄関の正面に飾られたスッキリとした立花。別の料亭に設えられた茶の湯のための水場の角にあった挿花。どちらも、その空間にスッポリと自然に、凛とした佇まいで収まっていた。一方で、大きなホテルの廊下に飾られた荘厳な自由花は、どこか居心地が悪そうに、それでも自らの華美を誇っているように見えた。

あくまでも個人の好みだけれど、ぼくにとっての美は前者である。場と花の関係性が、見事に収まっているかどうか。あたかもそこにあるのが自然なことであるように、ただそこにある。控えめながらも、その美しさや命の力強さを漂わせているもの。

言葉で言い表すのはとても難しいけれど、パーティーでもないのに派手なドレスを着て街を歩くようなものは、そのドレスの美しさを損ねているように思えるのだ。

日本料理の考え方も似ている。部屋の設えや光の具合、食卓などを含む調度品など、空間とのバランスを考えて器や料理を整えていく。そう、作るというよりも「整える」という表現がしっくりくる。

先日の「掛川ガストロノミーシンポジウム」で、父が「もっと食材そのものの味を知ったほうがいい」と言っていた。野菜を手に入れたら、あれこれと味付けをする前に蒸して食べてみる。醤油も味噌も湯に溶いて味わってみる。これは、整えるために必要な過程だと考えているからだと思う。

料理というのは、場との関係性を整える食なのだけれど、その反対側には食材とそれに関わる自然や人々がいる。「場・料理・食材」という順に表現するならば、食材側にある網羅的な世界と、場の側にある網羅的な世界の中間にあって双方をつなぐのが料理。という思想。

少なくとも、ぼくはそんなふうに料理を解釈している。

だから、一年中同じ料理を提供し続けることに違和感を覚える。本当ならその時その時の場と食材に合わせて、常に変容し続けるのが料理だと思っている。飲食店というビジネスにおいては、とても経済合理的ではないのだけれど、そういう世界観は確かに存在してきた。それは、貴族や武士階級のもてなし料理や、神饌にも現れている。わかりやすいのは「武士の献立」という映画にもなった、舟木伝内の逸話だろうか。

残念ながら、現代の経済の仕組みでは彼らの思想を持続的に提供することは難しい。ビジネスとしてSDGsではないのだ。出来ないことはないかもしれないけれど、かなりハードモード。

常に移ろうことの中に美を見出す日本らしい精神性。これを、どうやって伝えていくのか。料理文化だけでは、もしかしたら難しいのかもしれない。表現するのに料理はコストが高すぎるかもしれない。などと思ったりもするのだけれど、それはビジネスであればという前提か。家庭の中では、実は当たり前の感覚だろう。現代では薄れてしまったかもしれないけれど、昭和世代の先達と話をするとわかる。

今が悪いというわけじゃないけれど、その直前まで当たり前だった文化を知っておくのも良いだろう。なにせ、ぼくらは好むと好まざると、「移ろう」「整える」という世界観の延長上に生きているのだから。

今日も読んでいただきありがとうございます。ちょっとビジネスライクな話になるけれど、この感覚って世界に発信したら価値が高まるような気がするんだよね。他の社会だと受け入れられないなんてことはなくて、たまたま違う文化を形成してきただけ。違うからこそ、知って体験すれば興味を持って良いと感じる人もたくさんいるはずだと思うんだ。今回は、あえて「日本らしい」と表現したのだけれど、その曖昧な感覚こそが大きな観光資源となる、と思う。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ、カルフォルニア州の大学留学。帰国後東京に移動し新宿でビックカメラや携帯販売のセールスを務める。お立ち台のトーク技術や接客技術の高さを認められ、秋葉原のヨドバシカメラのチーフにヘッドハンティングされる。結婚後、宮城県に移住し訪問販売業に従事したあと東京へ戻り、旧e-mobile(イーモバイル)(現在のソフトバンク Yモバイル)に移動。コールセンターの立ち上げの任を受け1年半足らずで5人の部署から200人を抱える部署まで成長。2014年、自分のやりたいことを実現させるため、実家、掛茶料理むとうへUターン。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務める。2021年、代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなどで活動している。

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