今日のエッセイ-たろう

田舎の都市生活。〜“出前が届かない”時代に生きる。 2025年10月22日

先日、久しぶりに旅行に出かけた。帰り道、山間地域を通り抜ける。
ほとんど商店というものは見られない一帯。時計の針は夕方と呼べる時刻を指していたけれど、空はまだ明るく、山も畑も、所々に群れをなす住宅もはっきり見えた。秋の日はつるべ落とし。ほどなく、薄暗がりの中に明かりが灯り始めた。

買い物にはどこまで行くんだろうね。

日用品を揃えるには、車で出かけていくのだろう。15分ほど前に大手スーパーや雑貨店が立ち並ぶ地域を通り過ぎたところだ。コンビニもファミレスも、それ以来目にしていない。近所に小さな商店があるのかな。ある程度の品物はそこで手に入れるのかもしれない。

「不便だろうな」と思うのは、近代以降の"都市生活”が意識に染み付いているからだ。都市生活では、食料も日用品も“購入するもの”。そこで取り扱われる商品のほとんどは“遠くの誰か”が作ったものである。
遠くへ買い物に行く代わりに、商品を集約する市場が作られた。その市場は、面積ではなく人口に対する一定の割合で設置されている。誰かが図ってそうしたわけじゃないが、経済の合理性を求めればそうなる。

集落の構造が違うんじゃないかな。

現代の商流は、主に工業社会を前提になっている。一箇所でまとめて作って、あちこちに運ぶ。運ぶ先は主に町。生活者は、町へ出かけていって買い物をするのだ。

生産現場から売り場までの距離が遠いことは、知っている人も多いだろう。産業革命がもたらした社会変革の大きな特徴だ。19世紀から、「居住地と労働場所の分離」が広がり、それは加速し続けた。20世紀になって、ついには郊外の“住宅地”が大きくなっていく。アメリカを皮切りにモータリゼーションが発達していく。その原動力だ。そして、新しく“近代的郊外型都市”が作られていく。そこでまた物品の売買が行われていく。

こうした流れから外れているのが農村。伝統的な農村は、集落が小さい。アメリカの大規模農業ならば、一軒一軒が遠く離れているのだけれど、それは自動車社会だから可能なこと。人間は、他の誰かとの交流がなければ精神的にも物理的にも生きていくのが難しい生き物だ。だから、ある程度まとまって集落を作る。だけど、職場となる田畑があまり遠くても不便だ。となると、「そこそこの集落と、その周辺の農地」があちこちに出来ることになる。

田舎の都市生活

一見矛盾するようだけれど、現代の日本ではそれが現実だ。社会構造が違う。違うからと言って拒絶するわけでもなく、それなりに順応していくのもヒトという生き物だ。多少遠くても買い物には出かけていくし、農地が遠くてもそこまで通勤する。注文すれば商品を届けてくれるなんてことは、ほとんどの地域で当たり前になった。

農村の構造の中にいながら、近代都市生活とも接続している。これを支えているのは、もちろん自動車である。よく「田舎暮らしには車が欠かせない。」といわれる。これは個人の生活スタイルとか嗜好ではなく、構造的にそうならざるを得ない。郊外に住む人たちほどガソリン価格に敏感なのは、当然なのだ。

都市生活を支えている要因はもうひとつ。保存性だ。工業製品は、当然だけど輸送による劣化を気にすることはない。家電製品が腐るなんて聞いたことがない。問題は食品。晩年のフランシス・ベーコンはロンドンの郊外で解決策を模索していたが、あれからおよそ500年。あらゆる方法で保存するための技術が発達してきた。おかげで、生産地から市場、市場から家庭、それぞれの距離が離れていても安定して食品を手に入れられるようになったのである。

保存できない商品

どうしても保存できないものがある。いや、長期保存してしまっては意味がない、と言ってもいいかもしれない。それは「出前」だ。

日本の都市部では、出前という食文化が発達した。最初は、江戸や京都などの都市部で始まったのだろう。大規模な宴会では、たくさんの人を収容できる寺院などが会場に選ばれた。だけど、寺院で宴会料理を用意することができない。だから、近所の料理やから料理を届けてもらうことになった。他にも、花見などの需要があって行楽弁当専門の飲食店も現れている。蕎麦やが隣近所の家に届けるというのも、江戸時代後期頃から日常風景になっていった。

これらは、いずれも「徒歩」を中心にした社会だ。やがて、近代に入ると自転車やバイクなどを利用して出前するエリアが拡大する。ただ、出前というのは「近所」からとるものだ。それは近世以降の社会構造が残っていたからこそ成立した文化なのだろう。
「料理の質を保てる時間」と「届ける距離」のバランス。これが、出前では大切なポイントになる。「蕎麦が伸びる前に」届けられる距離は、徒歩から自転車、バイクへと交通手段が移り変わったことで伸びた。ところが、やがてそれも限界に達する。どんなに急いだとしても“間に合わない場所”がある。

「都市と生活の距離感」は一様じゃない。

「都市(=労働する場所)」と「居住地」の分離は、19世紀ころから始まったとされる。20世紀初頭には、“郊外の住宅地”が形成されるようになる。特にアメリカでは顕著だった。それを支えたのは、自動車社会だ。やがて、社会全体がワーカホリックになっていく。(歴史的に見れば、近代以降の社会はワーカホリックと言って差し支えないだろう。)そうすると、時間あたりの人口に偏りが発生する。多くの時間を労働に費やすようになったことで、かなり多くの時間を居住地の“外”で過ごすようになった。結果として、居住地周辺では市場が小さくなったといえる。

日本のほとんどは地方都市。その地方都市では、ぎゅっとまとまった町があるわけではなく、あちこちに住居がある。分離が加速したとは言ったけれど、近代的な住宅地は一部に限られる。その多くは、農村をベースとした集落構造。その構造のまま都市生活を送っている。だから、集落と言ってもかなり広い。

つまり、居住地に限って言えば、その構造は「工業化によって成立した住宅地」と「農村構造のまま都市生活を取り入れたもの」で大きく異なるのだ。後者の場合、その広さ故に「蕎麦が伸びる前に」届けられる住宅は限られてしまう。まだ、集落内で蕎麦屋が営業できているうちは良かったが、それも困難な時代になった。前述の通り、日中は居住地の人口が少なくマーケットがビジネスを支えられないからだ。

出前文化の変化

そもそも出前というのは、人口集中地域で成立するもの。「品質を担保できるエリア内にどれだけ顧客がいるか」が重要である。品質だけでなく、配達にかかるコストも馬鹿にならない。遠くへ届けられたとしても、帰り道は空走になるのだ。タクシーのように帰りに客を拾うことができればいいけれど、(タクシーでも運任せだが)出前の場合は、ほぼ確実に空走になる。ある程度まとまった注文があれば、その売上でコストを回収することが出来るかもしれないが、それもなかなか難しい。なにせ、郊外なのだから。

こうなってくると、出前文化も変わらざるを得ない。宴会のケータリングや、イベントのキッチンカーのように、ある程度まとまった注文が期待できる場合がひとつ。それから、品質を担保しやすい料理を選択することがひとつ。これらがクリアでいない環境であれば、必然的に出前は成立しないことになる。
もしかしたら、ここに新たなテクノロジーが導入されるかもしれない。とも思うのだけれど、同時に採算が合うかという懸念もある。

今日も読んでいただきありがとうございます。

もともと出前文化は都市部で発達した文化。だから、一時的に郊外に広がったけれど、また元の形に戻っていった。とも言えるのかな。正直なところ、個人的には「郊外でも出前があったほうが良い」とか「消えても仕方がない」といった意見があるわけじゃない。興味深く観察する対象でしかない。

伝えたいことがあるとしたら、ひとつ。
社会は一様ではないということ。「なんとなくこんな感じだろう」というイメージでは見えないことがある。だからこそ、ときには現場の空気に触れてみるのが良い。そう思うわけだよ。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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