食文化を勉強していると、異なる民族や文化の食べ物に言及している記述をみかける。
「唐にはこんなものがあるらしい。それはこうして食べるもので、このようにすると美味しい。」というのは和名類聚抄などの辞典の記録。実に淡々とした記録である。これが度の記録になると、「奇妙なものを食べさせられたが、美味しかった」とか「口に合わなかった」などと感想が伝えられる。
基本的に食べ物の痕跡は分解されて残らないから、こうした文字による記録がとても貴重な資料となっている。
異国人による記録は、対象となる地域の食文化を知るうえでとても重要なのだ。ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが記した「日本史」は、戦国時代末期の日本の記録。日本人だったら当たり前過ぎて書き残されないような出来事も、異国人の目を持ってすれば特筆すべきことになる。
箸という道具を使って器用に食べ物を口へ運ぶ。と驚いているのは、16世紀のポルトガルにはフォークなどがなかったからだが、もしかしたら東洋人を野蛮だと感じていたのに想定外に文化的だったという驚きかもしれない。
古代ローマ帝国人の記録も興味深い。泡立つ酒を飲んでいて、彼らはワインを知らないらしい。ミルクの加工油(バター)という珍妙なものを食べていて野蛮だ。肉を食べるのは野蛮だ。というのは、遊牧民族であるゲルマン人やノルマン人のことを記録したものだ。イチイチ一言多いのだ。野蛮だと感じるのも、ワインを知らないことを誹るのも、蔑視しているからだ。
もともと地中海地域にはバターもあったわけで、たまたまオリーブオイルの方が量産できたためにバターを使う文化が埋もれたか消失しただけのことだろう。ビールだって、元はと言えばメソポタミア地域の飲み物。その影響を受けたローマ帝国にビールが伝わっていないと考えるほうが難しい。北方民族がワインを知らないのはぶどうが育たないというだけのことで、むしろビールを知らないことを恥じるべきじゃないのか。
などと、歴史の結果を知っている現代人の視点では、反駁したくなる内容である。
洋の東西を問わず、世界中で「異民族の食文化をディスる」文献を見つけることができる。比較的日本は少ないけれど、無いわけではない。もんじゃお好み焼き論争や醤油論争など、国内の事例のほうがわかりやすいだろうか。
何を食べるか、何を食べないか。これは、自分や自分の所属する集団のアイデンティティを担保するものなのだ。簡単に言ってしまえば、どこからどこまでを仲間だとするか、という意識に繋がっている。だから、自分ではないものを否定することで自分とは何者かを表明したかったのだろう。
近代が始まったばかりの東京には、東北地方から多くの労働者が集まった。その結果、上野駅周辺には東北の郷土料理を食べられる店がいくつも生まれた。これは、見失いかけたアイデンティティを取り戻したい気持ちが、郷愁となって現れた現象だろう。
米国に渡ったWAPS以外のヨーロッパ系移民も、やはり郷愁にかられたのだろう。ドイツから移住したアメリカ初期の移民はザワークラウトを懐かしがり、手に入らなかったキャベツの代わりに他の野菜を使ってピクルスを生み出した。欧州では定番だった中国由来のソースを、アメリカ大陸原産のトマトで再現してトマトケチャップが生まれた。ドイツのハンブルグで食べられていたタルタルステーキは、後にハンバーガーと呼ばれるようになる。アメリカで生まれたドイツっぽい食べ物は、まさに彼らそのものであり、それがアイデンティティの拠り所でもあっただろう。
さて、現代社会を改めて見回してみよう。毎年正月を迎えると、食文化に興味のある人たちの界隈では「お雑煮マップ」が話題に登る。関西で生まれ育った人は、どこに移り住もうと丸餅でなければしっくりこないという。角餅も食べるのだけれど、どういうわけか雑煮だけは丸餅の方が落ち着くというのだから、食のアイデンティティは理由もなく、かつ頑固なものだ。
そうした頑固な郷土食が生き残り続ける一方で、郷土料理は失われ続けている。
原因のひとつには、全国的な均質化があり、もうひとつには、郷土料理のパッケージ化がある。
日本各地に数え切れないほどの多様な味噌があるが、今では大手メーカーの信州味噌が「基本」だと思っている人も多くなった。正確にカウントできないほどに多様な味噌において、基本とかメジャーが存在するほうが不自然だったのだ。良し悪しを論じることに意味はないが、ローカルの味噌よりも信州味噌の方が親近感を覚えるという人もいる。
郷土料理のパッケージ化は地域内の多様性を淘汰する力を持っている。静岡のおでんはこういうものだよね。湯豆腐はこういうものだよね。などと、地域内で「正解」を生み出していく。同じ県であっても、地域によって異なる傾向をもっているわけだし、家庭ごとにも違いがあるはず。だけど、郷土料理を「売る」という視点に立ったとき、メディアに乗せるイメージは強力なステレオタイプであったほうが効果が高いのだ。
メディアによって創作されたステレオタイプのイメージは、いつの間にか脳内に入り込んでいく。作られたイメージに触れながら成長した子どもたちは、それこそが唯一の正解だと誤解したまま大人になっていく。
気がつくと、アイデンティティの拠り所となっていたはずの郷土料理は、拠り所としての力を失うことになっていく。郷土料理という拠り所を失えば、残るは家庭料理と個食だ。かつて「おふくろの味」は「郷里」をイメージすることが多かったが、今では「家庭」をイメージすることが一般的だ。そして、ついに家庭料理からも特色が消えているのだという。
個食が当たり前になっていく社会では、自分が何者であるかを規定するのは自分の責任となる。自分で学び自分で考え、確固たる自分を形成しなければならない。人はこれを自由だというけれど、同時にとても大変なことである。多くの人はアイデンティティクライシスに陥ることになり、強烈なメッセージにすがりたくなるというのは歴史上何度も繰り返してきた現象だ。
千利休を祖とする茶の湯では、かなり細かな作法がある。一見して不自由なようだけれど、一度作法が体に染み付いてしまえば、他者や道具の扱い方などの「必要な行動」に意識を向けなくても良くなるのだ。その結果、床の間の軸や花、場そのものに心を向ける自由を手に入れられる。逆説的ではあるけれど、自分の外側にアイデンティティの拠り所があったほうが、より自由になれるということなのだ。岡倉天心の茶の本によると、伝統的な茶の湯は精神の自由を求め続けた結果として細かな作法が形成されたらしい。
そこには、頑固なまでに「根っこ」がある。少し前の時代まで、故郷に錦を飾るという言葉が使われていたのは、村の援助を受けていたという理由だけでなく、故郷と自分のアイデンティティが繋がっていたからだろうと思う。上京して一旗揚げたとしても、「私は◯◯村の◯◯である」という意識。それが私を支えてきたのだ。とね。
郷土という漠然としたものに対するアイデンティティ。これがちょっとややこしくて、人によって郷土と呼ぶエリアの広さが違うのだ。人によってというよりも状況によってと言い換えたほうが良い。例えば、海外に住んでいるときは「日本」が郷土となる。都会に行くと「都道府県」くらいのサイズが郷土だし、県内では「市町村」、市内になると「地域」、最終的には家庭ということになるだろうか。入れ子構造になっている。
この「郷土というエリア」意識があることで、郷土がどういうものか、を決めることになっている。私の故郷はこういうところだ。という説明をしようとすると、ある程度ステレオタイプにならなければならない。自分が生まれ育った家庭くらいの小さなコミュニティなら、解像度が高いかもしれないけれど、10万人以上の暮らしが詰まったエリアを簡単に説明できるわけがない。全体的にふわっと共通していそうなことを抜き出して語るより仕方がない。「◯◯県の郷土料理」というふわっとした概念が作られていって、気がつけばそれが伝統的なものだということになっていく。詳細に調べたわけではないけれど、ある時代になって突然形成された「特徴のはっきりした郷土料理」が雑誌などで紹介されるようになっていく。
これは、細かな差異の抹殺とも言い換えられる。同時にアイデンティティの確立とも言える。人の移動範囲が広がって、グローバルに向かうほどに、この現象は避けられないのだろうか。
郷土食とアイデンティティを密接なものだと考えると、多様性の話題にも触れることになりそうだ。
例えば市町村単位で、エリアごとの開発が進められたとする。ここは住宅街、あそこは商店街、農地はそっち、と言った具合。地域ごとの特徴がはっきりしていて独自性があるように見える。けれど、住宅街には住宅以外が存在しないので全く多様性が無いとも言える。どの範囲で見るか、地図で言えばどの程度の縮尺で見るかによって、多様性があるかどうかは変わるはず。
各地方都市にも、東京と同じようなショッピングモールやスーパーマーケットがある。飲食店チェーンもあって、日本全国どこへ行っても似たような町。東京の劣化版ばかりになってしまっていて、旅をしていても楽しくない。という声も多い。実際に、ぼく自身も旅先でそう感じることもある。
ただ、それを言ったら江戸時代だって似たようなものだ。
東海道の宿場町は、規模ごとのバリエーションが決まっている。備えられている機能も、宿や飲食店、商店、馬宿などが基本。宿場町を離れれば、見える景色は山と川と田んぼ。たまに海が見えたり、峠からの眺めを楽しんだりする。ほら、こうして抽象化した文字に置き換えると、日本全国「似たような」まちだったと言えるのじゃないだろうか。
でも。でも、なのだ。
それでも、地域性を感じる気持ちがある。東京には東京の、名古屋には名古屋の、大阪には大阪の「空気」がある。ワールドワイドに見れば似たような都会でしか無いのかもしれないけれど、訪れてみれば確実に違うと「感じる」はずだ。
郷土の特徴を作り出している「なにか」がある。
似たようなまちはいくらでもあるけれど、似ているというだけで全く同じ町なんて存在しない。その差分は何だろう。
地図上に山林は緑、住宅は青、商店街は黄色、と言った具合に適当に色を塗っていく。そうすると、モザイクのようなタイル画のような模様になる。それをずっと遠く離れたところから日本全体を眺めたら、その色はグレーに見えるかもしれない。
けど、本当はグラデーションになるのじゃないかと思うのだ。なぜなら、紀伊半島の山林と北海道の山林を同じ色で塗ることがナンセンスだから。田んぼだってそうだし、商業施設だってそう。だから、いろんな緑や青や赤や黄色があって、まるで点描画のように塗り分けをしていく。そうすると、地域ごとの「特徴」の「素」みたいなものが見えるんじゃないかと想像している。
別に差分なんて見出さなくたって良い。とも思うんだけど、人類というのは差分によってでしか自己認知が出来ないらしい。相対的とかメタ認知とか、いろいろと言い換えられるけれど、結局のところ他者との差分から自分が何者かを認識するということなのだ。だから、素直に他者との比較をすればいい。その差分を批判するのじゃなくて、お互いに楽しめば良い。
今日も読んでいただきありがとうございます。過去の人達は異文化をディスっているのだけれど、実は楽しんでいたのかもしれないよ。この食べ物結構美味しいかも。ってね。最初は「獣臭い」とか言って肉を食べなかった明治初期の日本人も、いつの間にか食べるようになったしね。そうして取り入れた後に、「郷土の特徴の素」が作用して、新しいものも郷土に染まっちゃうんだ。ってことは、郷土に染まることのない頑固な存在としてのチェーン店とかはどうなるんだろう。どうもこのあたりにヒントがありそうだと思っている。