正直な話、いま会社の経営は苦しい。コロナ禍以降、余裕のある飲食店は少ないと思うけれど、ご多分に漏れず、である。ただパンデミックなどの不確定要素によって、商売がうまくいかなくなるということは古い時代からずっとあるはず。先人たちは、どうやって生き残ってきたのだろう。百年以上の歴史を持つ老舗に話を聞いてみたいものだ。
地域の個人商店は、どうやって安定したビジネスを続けているのだろう。
「この店どうやって成り立っているの?」と不思議に思う商店を見かけることがある。決してキラキラしているわけでもない、少々古臭いと感じられるデザインの洋服を売っている小さな店。ほとんど人が入っているようには見えない喫茶店。何世代にも渡って続く小さな料亭。
何人か知り合いがいるのだけれど、共通していることがあるとすればなんだろう。ぼんやりと顔を思い浮かべながら想像してみる。と、はたと気がついたのは、事業の成長や拡大という意識が薄いことだ。もちろん、中にはいろんなチャレンジをして事業拡大を目指している人もいる。けれども、ほとんどの人はそうではない。
だからといって、諦めているとか怠惰だとか、そんなものを感じることもない。そもそも、事業を拡大させることに意味なんてあるの?そんな声が聞こえてきそうだ。
そんなことしなくても、きちんと収益を出していて、少ないながらも人を雇用していて、ちゃんと地域社会に貢献している。大金持ちではないけれど、衣食住には困らないし、旅行や娯楽も楽しんでいる。地域を巻き込んだイベントを企画したり、事業を行ったりする時間も作れている。
事業拡大と比べて、どちらが良いという比較をしても意味がない。そういうモデル。で、想像だけど、こうした地域の商店のようなビジネスが日本で最も多いのじゃないかと思う。というか、人類史を紐解けば、こちらがスタンダードということになるのだろう。
小さなドットがいくつも寄り集まって、互いに地域社会と繋がり合っている。そういう社会構造があった。と、地元の商店街から感じられる。
事業を成長させようとすると、どこかで無理がでる。その原因は主に借金。既存の売上をストックして、コツコツと拡大させる分にはそれほど負担にはならないのだろうけれど、急速に拡大させようとするなら資金調達は必須となる。返済義務を追わない融資や投資ならばいいけれど、商店だと借入先は基本的に銀行になる。銀行では融資という言葉を使っているものの、その実態は借金だ。
事業成長のための借り入れであるが、同時に返済のために拡大させなければならない。その型にはまることになる。
世の中には、たぶん商売によって適したビジネス規模というものがあるのだろう。ちょうどいいサイズ。小規模が適している場合もあれば、大規模でなければならない場合もある。株式資本主義によって実現した鉄道などはその典型。社会にとって必要なものを提供すれば、それを利用する人がいる。そのために適した規模感はどの程度か。その見極めが大切なのだろう。
適正規模を大きく超えた拡大戦略と、それに伴う借金は場合によっては負の連鎖を生むことにしかならない。
そういえば、80〜90年代の地方商店街の成長戦略が良い事例かもしれない。規制緩和して大型商業施設ができて、商店街が苦しくなったからって補助金を出しまくって事業成長という呪縛を生み出した。日本各地に似たようなアーケード街がいっぱいできて、借金を返さなくちゃいけないからいっぱい売らなきゃいけなくなって。だけど、商圏の人口は決まっているわけだから頭打ちになる。でシャッター商店街の完成だ。
結局、商圏の大きさが事業の適正サイズを規定する。市場の大きさなのだから当然か。となると、借金を抱えた商店が生き延びるためには商圏を拡大するか、ずらすかしなくちゃいけないわけだ。少々遠くても行きたい。忙しくても時間を作る。そういう店。近所の自動車整備工場の顧客には、県外の人も結構たくさんいるって言ってたな。地元も多いし、県外も多い。
今日も読んでいただきありがとうございます。いろんな人の顔を思い浮かべていて、思ったんだけどね。みんなしなやかな印象があるかな。柔軟と言うか、竹みたいなしなやかさ。大企業の頑健さとは別の強さがあるんだろうな。