今日のエッセイ-たろう

「正しさ」という呪縛とクリエーション。 2024年2月12日

「利休好み」という言葉がある。茶事に関する所作や、茶器、花に料理。実際に千利休が好んだとされる趣向だったり、いかにも利休が好みそうな風情というものだったりする。なんだか、とても興味深い。

ともすると、利休好みこそが正解のように思えてしまうかもしれない。けれども、弟子の古田織部も、その継承者である小堀遠州も、それぞれに自分なりの茶の湯を展開している。師匠の教えを踏襲すること拒んでいるかのようだ。美意識というのは、そういうものなのだろう。師匠の教えを引き継ぎつつも、自分なりのものを生み出していく。だからこそ、利休好みは利休の好みなのだ。つまり、言葉通りの意味でしか無い。

実際のところは知らないのだけれど、ぼくにはそんなふうに思える。

明治時代、東洋的なものから西洋的なものへと社会がシフトさせられるとき、茶の湯は「茶道」になったし、教育であり、マナー講座のような立ち位置になった。そうでもしなければ、茶の湯を守ることが出来なかった。ただ、その結果、茶の湯の作法には「正解」が埋め込まれることになる。正解以外のことに手を伸ばしづらい環境になった。

「正しい出汁の取り方」という表現が、ぼくは好きではない。ということは、このエッセイでも何度か書いているし、たべものラジオの中でも語っている。それは、「正しさ」を定義することで「不正解」を生み出すからだ。料理に「不正解」なんてものは無いのだ。と信じている。あるのは、美味しいか美味しくないか。美味しいのであれば、それが正しくないやり方であっても、全く問題ない。むしろ、そこにこそイノベーションが起きる可能性があると信じている。「正しい〇〇」という表現が好きではない理由は、実にここにある。

「正しい」と定義されてしまう方法論は、たしかに存在している。それは、間違いと分断するものじゃなくて、「こうすると美味しくなるよ」という提示なのだと思う。その通りにやれば、概ね失敗しない。それはそれで大切なこと。茶の湯の作法も、似たようなものじゃないかと思うのだ。このようにすると、美しいよ。一旦、それを習得したら良いんじゃないかな。という提示。茶の湯は未経験なので、ぼくの想像に過ぎないのだが、そんな気がしてならない。

守破離の考え方に似ている。守を正だと定義すると、その先にいけなくなる。一方で、守はその先に進むために必要なステップでもある。どちらも大切。というか、二項対立じゃないはず。成長の段階なのだ。

ぼくなんかは、料理と真剣に向き合うようになったのが遅かったから、同年代の料理人に比べたらずっと後発になる。だから、破も離も見えていなかった。守を知らずにアレンジして、何度となく失敗したものだから、ある時心に決めたのだ。もう、徹底的に守をやる。むしろ、それだけでいい。日本料理の歴史にある、あらゆる守をやりつくすだけで、きっと一生かかるだろうから。この意識は今でも変わらない。

10年近くもこのスタンスで料理と向き合った結果、いつのまにか次のステップに足を載せていたらしい。お客様との会話の中で、どうやらそうらしいということを知った。はずれようとか破ろうとか思わなくても、自然とそうなるのだろう。押さえつけて押さえつけて、それでも顔を出してくるのが個性というものだ。と思っている。

今日も読んでくれてありがとうございます。振り返ってみて、つくづく自分を縛らなくてよかったと思うよ。もし、守に対して厳密に守ろうという意識が強かったら、きっとクリエーションとは程遠い職人になっていただろうなあ。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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