今日のエッセイ-たろう

「科学は信じるに足るのか」ー“好きだけど役に立たない”の奥にあるもの。 2025年7月30日

たべものラジオのリスナーさんからは「身近な食を起点に歴史を知ると理解できる」と言われることがある。少しだけれど、ぼくらも「学問と実社会の接点」を提供することができているのだとしたら、嬉しいことだ。

さて、前回からの続きを読み進めていこう。今度はもう少し深く広く“今の社会”と“科学”について踏み込んでいく。

ほとんどの人が大学への進学を希望していて、医療関係や理学系の人気が高いようだ。他国に比べて理学系は割合が少ないが、2割ほど。希望者が少ないのは研究者、システムエンジニア、プログラマーなどで、特にサイエンティストは最下位。キャリアがイメージできないのかもしれない。大学に残っても、今は腰を据えて研究するには過酷な環境だとも聞いている。

傾向として「体験」が少ない。自然の中で活動するとか、動植物と触れ合うとか、社会の中で働いてみるとか、そういう体験がとても少ない。科学館や動植物園などを訪れたり、映像メディアに触れたことがある人は5割を超えていて結構多い。こうした経験は大切だけれど、見ることと実社会の中で体験することは別物である。料理動画を見るのと、調理実習と、飲食店の現場に立つのとでは天地ほどの差があるのと同じこと。実際に作ってみないと、匂いもわからないし火加減の難しさもわからない。仕事になった時に求めれるクオリティや早さは、その場の空気を感じるしかないだろう。
アンケートでは、自発性、創造性、実社会との接点のある学習活動に対する要望をヒアリングしている。興味深いことに、他国と比べると低い傾向にある。そもそも、求めていないのか。

理科について興味がある人は多い。「受験に関係なくても重要だ」と思っている割合は66%で、「理科の学習は面白い」と思っているひとも70%を超えている。にも関わらず、「社会に出たら理科は必要ない」と答えている人が約46%と、他国と比べて最も多い。面白いけど意味がない。これは前述した基準に置き換えると「好きだけど役に立たない」に当てはまる。このカテゴリに分類されていたのはアートだ。これは興味深い。

これは学校教育の課題とも言えるかもしれないけど、もしかしたら家庭環境も影響するのかな。例えば、家庭で理科に関する会話があるかと言うと、ほとんどない。家族に科学技術に興味を持っている人がいるかというと、それも少ない。図鑑はあるのかな。ぼくの周りだけかもしれないけれど、図鑑を読んでいたという話はよく聞く。そうすると、会話という自発的な思考よりも、見て学ぶという環境に慣れているのかもしれない。

生成AIは使っているっぽいんだけどね。慣れ親しんでいる割には、使い方が「作業の効率化」や「生活の利便性向上」であって、「新しい仕事を創造する」「学習を深める」という方向での利用は少ないようだ。どうやら抵抗感もそれなりに感じているらしく、「仕事が奪われる」「なんとなく怖い」が米国に次いで多い結果になった。これは、もうどの世代だろうと同じだと思う。なにしろ、生成AIに初めて出会ったタイミングは、世代にかかわらず同じなのだ。いま、人類が直面している事象を、同じように捉えていると考えても差し支えないんじゃないかな。

とはいえ、上手く活用できているかどうかを他国と比較すれば、そこはちょっと低い値が出ている。これはなんだろうね。教育環境が原因なのか、それとも文化的な思考パターンの違いなのか。ちょっとよくわからない。社会課題の項目では、自然との共存しなくてはならないと考えている傾向が高いのは圧倒的に中国が多くて、次いで日本。中国の場合は自然を利用するべきだという論調もかなり低い値が出ていて興味深い。韓国や米国は自然は征服しなければならないとの回答が比較的高い数値を見せている。こういう項目を突き合わせて考えると、教育と文化しそうの両面が影響しているようにも思える。

このレポートの中で、個人的に一番興味を惹かれたのが「科学技術への評価」かな。「医療、環境問題、社会平和、国家繁栄において、科学記述の重要性を高く評価している」と同時に「社会的不平等や貧富の差においては科学の限界を強く感じている」という。どうも、このあたりに、ニュース記事を読み解くヒントが隠されている気がするんだ。

「社会に出たら役に立たない」という感覚の背景には、科学技術が貧富の差を広げたり、自然環境を破壊を壊してしまうんじゃないか、という懸念があるんじゃないだろうか。諸問題を解決するためには科学技術の発展は必要。これに対しては、肯定的な意見が多い。一方で、その「科学技術の発展のためには自然環境が破壊されてもやむを得ない」と考える人は他国に比べてかなり低い。米国が48%、中国が73%、日本は24%。

科学技術の発展は、諸問題を解決する手段を得ることになる。だからといって、環境を破壊したり、人々の幸福を阻害するようなことがあってはならない。こうした意識があるような気がして、それはある種の現代科学への不信なのだろう。「現代人は科学技術に対する依存が大きすぎる」に「YES」と答えた人は、日本以外の国では減っているのに対して、日本だけはわずかだが増加している。

ぼくも気持ちの上では共感する。でも、個人的には、否定するのじゃなくて科学という力を上手に使うことが大切だと思っている。そしてそのための知恵として、人文社会科学が求められているのだと思う。

140頁もあるレポートを1項目ごとに読み解いていくのは骨が折れる。いくら文字数制限がないとは言え、これ以上書いてもきりがないのでこのあたりにしようと思う。ただ、紐解いてみて良かったよ。ニュースだけを見ていると、「理科が嫌いになった若者たち」とか「理科の能力が低下した」みたいな論調を見かけるけれど、そこだけを出発点にして何かを変えようとしても、たぶん根っこの部分には届かない。ここで僕自身が書いたように、実生活との接点が足りないというだけではきっと変わらないと思うんだ。それはそれで有効だと思ってはいるんだけど、もっと根本にある「科学は本当に人類社会を幸福にするのか」という大きな問いに向き合うことを忘れちゃいけないのだろう。

今日も読んでいただきありがとうございます。あくまでも、このレポートを読んでみて個人的に感じたことだからね。興味がある人は、こちら(https://www.niye.go.jp/pressrelease_kenkyu_0703.html)からダウンロード出来るから読んでみて。概要版なら15ページだしね。ところで、一次ソースにあたらないとわからないことって、やっぱりあるもんだね。

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武藤 太郎

1978年 静岡県静岡市生まれ。掛川市在住。静岡大学教育学部附属島田中学校、島田高校卒。アメリカ留学。帰国後東京にて携帯電話などモバイル通信のセールスに従事。2014年、家業である掛茶料理むとうへ入社。料理人の傍ら、たべものラジオのメインパーソナリティーを務め、食を通じて社会や歴史を紐解き食の未来を考えるヒントを提示している。2021年、同社代表取締役に就任。現在は静岡県掛川市観光協会副会長も務め、東海道宿駅会議やポートカケガワのレジデンスメンバー、あいさプロジェクトなど、食だけでなく観光事業にも積極的に関わっている

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